第八話 Realで人生が変貌を遂げた人
ミュージックコンボにMDを挿し込み音楽を流す。
「いいね」
ちょっとテンポの速いジャズが良い朝を作り、庭先で鳴くスズメがビートに拍車をかける。ナイススクラッチ。オーブンに昨日買っておいたラザニアをぶち込んでタイマーをセットする。シャワーを浴び終え、丁度良いぐらいの食べごろになる。カゴメのトマトジュースをボトル毎テーブルに置いて、ごくごく飲み干す極上の至福を思い切り味わう。ラザニアをチンし終わって、ふと自分に食欲が無いことを思い出して冷蔵庫に再びぶち込んだ。
「うん」
最高の一日になれそう、僕はなんだかそんな確信をしてしまう。たまに人生の朝、ふと、そんなことを思う時がある。これが不思議と外れたことは無い。
「…」
なぜか知らないけど、むしょうにプレスリーの監獄ロックを聞きたくなり、年代毎、ジャンル別に並べられたMDカセットの詰まったタンスから探してだす。両親がミュージシャンっというよりも、プレイヤーという演奏の弾き手のせいかメジャーどころは揃えてあり、マイナーも一通り揃ってる。手垢まみれのMDカセットを見つけてコンボに入れて再生ボタンを押す。
「いいね」
良い感じだ。古典ロックはこうであるべきだ。プレスリーはやっぱり安定性があるね。Realの出来事じゃないけど、ああいう、今流行りのクラブミュージックには無い、ゆったりとしたテンポ。こういうのが僕には合ってる。少なくとも、今朝には素敵だ、マッチする。一通り聴き終えた後は、MDを取り出して元の場所に戻しておく。珍しく間違った場所に置いてあるMDがある。ザ・ピーナッツの音楽集と書かれている、一曲目がキングクリムゾンの宮殿のエピタフ。…成る程。昭和時代の花だったザ・ピーナッツの歌唱力と非常に高い歌唱力が要求されるエピタフか。聞いてみたい。とりあえず今は時間が無いしテーブルの上、目に付くところに置いておく。帰ったら聴いてみようと思う。楽しみだ。
「こういうところが多分にズレてんだよね…」
今時の高校生の音楽ライフとは一線を画す楽しみ方をやってのけてしまってる。親が居ない時が多いので大音量でリビングで聴いたり出来るのだ。
「親が居ない時が多い、か…」
旅行とか言ってたけど、多分仕事になるだろう。忙しいのはいいことだ。親はあまり僕に関心が無い。アニメやらドラマだとかは、親は結局子供のことを思ってるよ、みたいな流れが多いけど、実際の現実世界の親ってのは、子供の事に関心を持たない人間も少なくないって思う。親が子供を心配したりだとか、よくあるお母さんお父さんの描写すら、僕にとっては絵空事だ。現実世界、そんな優しい親ばっかりじゃない。自分勝手で自分都合を優先し、結局子供なんか欲しくなかったとか思ってる親だっている。良い人間ばかりじゃないってことは、自分の家庭を省みれば分かる事だ。それならそうと、僕だって好き勝手にやらせてもらってるけどね。
「ま。ご飯食べさせて貰ってる内は、文句言うほーがお門違いか」
監獄ロックに続いてプレスリーの歌ったマイウェイを聴いたせいだろうか、少しばかり感傷的になってしまった。それでも気分が良いのは、Realでヤったドラッグの効果が大きいのかもしれない。
「あれはないよな、さすがに…」
今日初めての独り言。更に思い出し笑い。気を失う瞬間、一瞬、僕は確かに極楽にいた。悟りを開けたね。確か誰かが言ってたっけ。修行で得た悟りも、薬物で得た悟りも、結局は同じだって。
「全くつまんない事言う大人もいるもんだよね、そんな大人にだけはなりたくないな」
さくっと着替えて、カボンを持って家を出た。ルンルン気分は未だ続いてる。つま先でローファーを調えて、日光を拝む。
「今日はなんだかいいことありそ!」
第十話 Realで人生が変貌を遂げた人
「東雲君」
新宿の駅を降りたところで、声をかけられた。女の子から呼び止められたのは、これが人生で初めてだった。
「ひぁ!あっ」
多分ホラー映画のクライマックスシーン最大のビビリポイントで同様の声を出すであろう、そんな声を出してしまう。
「えっ」
だって。そうだろう?面識の無い女の子二人に声を掛けられ、挙句に肩まで掴まれたのだ。新宿東南口という新宿駅で比較的マイナーな出入り口でだって、朝は通勤ラッシュでお祭りオンライン状態だ。肩を掴んで声をかけなければスルーしてしまうだろう。
ちなみに、僕はというと。多分、女の子から声を掛けられた時点で、緊張して、とりあえず気づかないフリをして逃げるのは間違いないだろう。女の子が僕に声を掛ける。それは人類に滅びの時が近いという厳かな兆候に感じてしまう。そう思えてならないからだ。僕はアニメの主人公みたいにイケメンじゃない。普通だ。普通だって思いたい。多分これまで生きてきた人生の中でバレンタインデイで他人の女の子からひとつだって貰えた事が無い僕が、ちょっとばかしカッコイイんだぜっとか間違っても思ってやしない。が。心の底ではチョッピリそう思い込みたい自分もいる。男の子なんて大体そんなもんだって思う。僕もきっと例外じゃないのだろう。
「あっ。はい」
だから、僕はこんな異常事態が発生してしまっても、持ち前のエロゲで鍛えた女子とのシュミレーションを思い起こしてバッチリで最高で完璧な対応をこなしてしまう。動悸を抑えて、ちょっとイケてる感じの声を出す。
「あ、やっぱり東雲君だ~。ちょっとこっちこっち」
「はい」
促されるまま、日本で一番大きいって密かに思ってる大きな歩道の端へ向かう。
「東雲君!Realでシークレット賞とかゲットした?」
「しましたけど」
そこで女の子二人が悲鳴に近い歓声をあげた。多分歓声だと思う。そう信じたい。だって僕は何かを彼女たちにやってないのだから。
「えー!じゃあさ!もっしかして~あのでっかいドラゴンとか、東雲君のだったりする~?」
「ヴァミリヲンドラゴンですね。当たりましたよ」
ちょいドヤ。まぁ結構ラッキーな部類に入るらしい。売る気は無いけど、ヴァミリヲンドラゴンと一緒に冒険すれば、きっと楽しい人生になることは間違いなさそうだ。
「ええ!すっごい!レベルは?レベルは何なの!?」
「1299ですよ」
僕の声を聞くと、彼女達二人は割りとかなり大きな声を出した。こういう女子のリアクションって生で初めてみた。本気で驚いてるらしく、綺麗めな顔が歪み唾が飛んでる。割と生々しいというのが印象的だ。
「東雲君東雲君それさ。ホントだよね?ホントのホントだよね?」
「ですよ」
思い出した。二人とも面識無いとか思ってたけど、高校一年の頃のクラスメイトだ。名前はもちろんわかんない。だって、女子とか名前覚える必要が僕の人生であるわけがないのだ。それでも必要に迫られたり、何かの拍子で覚えることはあるとは思うけど、この二人の名前はわからない。
「そうなんだ~。東雲君の家ってお金持ちなの?それクジで当てちゃったんだよね?」
「いや……」
お金持ちじゃない。クジで当てたって。そうか。大量にガチャを購入したと勘違いされてるのか。
「たまたまですよ。一回目で。運良く。あっそろそろ学校の時間ですよ…」
ヤバイって思う。女の子の顔を間近で見ながら会話するという時間。生で。正直言って、心臓に負担がかかるし、恥ずかしく思う。ドギマギしてしまう。実戦経験。本物の場面で、空想のシチュエーションでの準備がいかに無意味だったか。……う。あ。カワイイという感じがする。なんというか、化粧をしてるんだよなぁ。化粧っか…。でも会話を続けることによって僕のMPがドンドン削られてる感じだ、正直いっぱいいっぱいだ。わざとらしく時間を気にしてケータイを取り出し時刻を見る。あっ。そろそろ時間なのは本当だ。
「そっかー。まーいーじゃん。東雲君単位足りてるでしょ、もっちろん。今日はこれから一緒に遊ばない?」
「え」
一瞬、頭がフリーズ。
「エリーそれはマズイって。そもそも東雲君はあたしらと違って真面目なんだからサボったりしないでしょ。ゴメンね。東雲君。この子Realにハマっててさ。こー見えてギルドのサブマスターやってんのよ」
「どー見えてよっての」
「金髪ミニスカがRealじゃ黒髪ロングってとこ」
「あのさぁ。アニメじゃないんだから、現実で黒髪ロングとかどんだけコスパ悪いんだっつーの。分かる?東雲君。め~~っちゃ大変なんだよね。でも悪くないよね、ロングって。カックィ~~って感じがしてさぁ」
「あ。え。っと。まぁ。分かりますよね…」
生唾を飲み込む。現実に頭が追いついてない。女の子二人といっぺんに会話だなんて、どんだけリア充な男なんだっていう。
「大変、ですよね。こう……ドライヤーとか、トリートメントとか。シャンプー代もかかりそうです」
「そーそー!しかもあたし一回中学でやってたけど、すっごい苦労すんのって。起きた時とかリアル貞子よ。マジで。東雲君ロング好き?ロング?」
思考が止まった。後は口から自動的に吐いて出る言葉だけ。
「髪型で好き嫌いはないです」
「どっちかっていうと?」
「憧れはしますよね、そりゃ」
見た目強そう。
「おー。だよねー。まぁ現実問題んな格好やる年じゃねーって話だよね。もう二年だし」
「エリーって見た目と違ってちゃんとしてるよね。けどRealにハマってて現実どーでもいーって話じゃね?それ」
「もっちよ!媚びる男もいねーってナ!」
そう言って二人して大笑いしてる。これは。なんというか。ノリが違う。ノリが僕のこれまでの交友関係で発見してきたライヴ感と一線を画しちゃってる。男は犬みたいな縦割りで、女は猫みたいな横割りの組織図を描くって聞いたことあるけど、なるほど。確かに猫っぽい関係性かもって思っちゃう。でも、本当の友人として最も真実近いってのは、強い弱いとかじゃない、横のつながりの大切さに思える。だから、ちょっと。ほんのちょっと。羨ましいって思ったりした。誰かと一緒になって声をあげて笑うようなことって、最近無かったことだ。
「そろそろ学校行きませんか?遅刻しますよ」
「あー。だねー。良かったら今日学校終わったらRealやろーよ。VRカフェも安いとこオープンしてるし」
VRカフェ。確か仮想現実空間に飛ぶこめるハードウェアが一通り揃ったカフェだったっけ。テレビと月間Realに書いてあったのを見た気がする。カプセルホテルみたいなノリでカフェってどーよって一人でつっこんでた記憶がある。
「でも僕初心者ですよ?」
「いいね。ルーキーは歓迎するよ」
そして登校中、僕は女子二人という両手に花の状態で通学してしまった。明日は氷河期が訪れるのかもしれない。太平洋にムー大陸が浮かぶかもしれない。
Realでサブマスターをやっててドハマリして不登校希望と親にマジで言ってるのがショートカットの鬼怒川絵梨さん。
運動部に入ってるらしいスポーツカットのボーイッシュなエリーと呼ぶ人が郡山京子さん。
「へー。結構運良かったンじゃないそれって?東雲君もう今後の人生ラッキーは期待しない方がいいかもね」
二人と話してて少しだけ人生の真理を分かった気がする。男だけじゃ、やっぱりダメだ。女の子としゃべってるこの瞬間。脳が変な液体を分泌して、僕に強い自分を生み出すように命令してる。そして気持ちよく、変なプレッシャーと動悸で、呼吸はただただ早くなってく。あっ。人生って幸せジャン。そんなことを、ちらっとだけ思った。
「んじゃ、うちら隣だから。またねー」
「はい。それじゃ、また」
「またねー」
なんとか。なんとか生き延びた。ほっと胸をなで下ろすとはまさにこのことだ。怒涛だった。疾風怒濤の展開だった。まさかヴァミリヲンドラゴンを引き当てた事から現実世界の女子から声をかけられ挙句、学校終わった後に一緒に遊ぶ展開まで持っていってしまうとは。やはり天才だったか。まぁ僕は僕自身を信じてたけどね。そんな心持で、自分のクラスのドアを開いた。
「東雲!お前Realでシークレット賞引き当てたよな!?」
「えっあ…。そうだけど」
「マジかよ!!それドラゴンだよな!?すげーデカイやつ!」
その日僕は間違いなく、スターになった。
そして校内放送で僕は校長室に呼ばれた。
全てが変わってしまった。僕が変えてしまったのだ。もう戻ることはできない。永遠に。
僕の時代が遂にやって来たのだ。
二時間目の休み時間。僕はトイレで大声で笑っていた。あまりにもおかしくて。おかしくて。たまらない。




