2−2:物語開始
「文月 桔梗である!」
大声だった。これ以上ないほどの大声だった。つまりは、文月さんだった。
現在地、購買棟――まるでコンビニのような品揃えの購買部、安い安い安い一点張りの学食、学校用品を取り揃えた購買部その二、その三つの施設が生徒に大人気な小屋程度の離れ校舎だ――であり、目的は昼食兼雑談である。学生的には非常に健全なのだが、相手が文月さんとなると楽天的なことも言ってられない。
文月さんが入浴中のお風呂に侵入し(第二次文月大戦として私の中で語り継がれている、一次はその前の騒ぎ)、そしてカレンと対立してから10日余りの日々が過ぎようとしている。あの時、文月さんは文月さんで事実を隠そうとせず、カレンはカレンで彼女の事を敵と認識したらしい。
つまり、関係が微妙にこじれたのだ。よって文月さんと話すとなるとお昼しかないわけだが……
「……はぁ」
怒声一発、学食の順番待ち列がモーゼのように割れていく。いや、細すぎてどっちかと言うと裂けるチーズだ、モーゼとかそんな大層なもんじゃねぇ。
毎回毎回、文月さんはこうだった。何やってんすか副会長。
そんな我らが生徒会副会長殿は、仏頂面のまま握り締めていた食券を荒野のガンマンの如き渋さで台にぶちまけ、声を張り上げる。
「おばちゃん! カツ丼一つとネギラーメン一つです!」
「列守れ、馬鹿!」
威勢の良い注文は、声と共に振るわれたお玉で撃墜された。文月さんともなれば簡単に避けられるだろうが、甘んじて必殺『学食のオバチャンスマッシュ』を受けている。もちろん仏頂面のままで。
またか、といった様子で人が再び列を成してオバチャンに群がった。その人ごみの中で微動だにせず、文月さんはただ真剣に首を傾げる。
「何がいけなかったのだろうか……?」
「しいて言うなら貴女がいけなかったんです」
忠告してみた、それなりに真面目な顔で。いやもう、三回ほどお昼を共にしているのだが、ここまでのやり取りが基本だ。品行方正で悪を許さないはずの文月さんだが、何故かこの順番だけは必ず守らない。なんかポリシーでもあるんだろうか。
結局、文月さんは数分後に二つの丼を持って、私が確保していた席――勿論、丁度私の隣――に座った。ちなみに私は、今日も今日とてお弁当である。無骨な四角形である。かっこいいのである。
「ふむ……なぁ、アキラ」
ずるずるずるとラーメンを脅威の肺活量ですすりながら、文月先輩は湯気の向こうから顔を上げた。
「今日、どうして葵が居ないのだ?」
……今さら聞くな。
いや、当然というべきか私と文月さんの二人だけで食事をするのは今日が初めてだ。いつもは、文月さんと仲良く肩を並べて談笑する葵の付き添いみたいなもので、洋太との会話が減った事以外は今までとほとんど変わらない。しかし今日、葵が居ないという初の環境。
そう、初っ端から居ないのだ。初めに気づけや文月さん。
「えーっと……話せば長くなるんですけど、みよ、じゃなくて、葵は私の友達の手伝いです」
「手伝い? 友達? お前の友達となると……女か? それとも女装か? それとも気持ち悪い男か?」
「選択肢が妙に限定されてる……! え、いや、一応男なんですけど」
間はねーよ、神に誓って。趣味で女装をする野郎なんかとは一生分かり合えそうにもない。最後はまぁ、合っていると言えるのだが。
先日(第一次文月大戦=文月さんが私を誘拐した時の事だが)、私を探し出すのにヒナと洋太はアイツを――大谷を使ったらしい。ヒナだって、もちろん洋太だってアイツの危険性を知らないわけでもないだろうに……まぁ、だからこそ軽い時に恩を返しておく事は必要なのだが。
という訳でそういう訳で、お昼はアイツの手伝いだ。葵も可哀想に、あの身体であの性格なら、大いに活用されるだろう。
「ふむふむ、なるほど……ん? ならば何故お前はここに居る!? まさか、葵と私の二股狙いか!」
「誘ったのは文月さんでしょうが!」
うん、葵が居ないといったら『まぁ、お前と親睦を深めるのも良かろう』と言ったのは文月さんだ。この人、どうにかならないか。
文月さんは未だに自分の言った事が思い出せないようで、じっくりと首を傾げてている。短い付き合いだが分かった事がある、この人多分思いつきだけで生きている。
「むぅ、思い出せないものは仕方ない。だがな彰、私はお前のような小さい男は好みでは無いぞ」
「二股狙い疑惑を勝手に定着させないで下さい!」
本当、どうにかならないもんか。あと、小さいって何が小さいのか問い詰めたい。
と、馬鹿みたいなことをしている内に私は食べ終わった。文月さんもあとはスープだけだが、全部飲む気らしいので中々終わらない。
「そう、私の趣味は、なんていうかこう、背が高くて私より強い人だ。質実剛健が望ましい、心も体も……」
あと、こんな事言ってるから中々終わらない。そこらの凡百じゃ敵わねぇぐらい理想高い、アンタより強いって人間兵器か何かか。
印象の訂正だ。思いつきで生きてるどころか思いつきだけでどこまでも突っ走っていけそう。
と、どうでもいい事を考えている内に文月さんの食事は終わった。器ごと持ち上げて流し込む男らしさと底に残ったネギを一つ残らず食べ尽くす繊細さを併せ持った、食堂冥利に尽きそうな食いっぷりだった。
「ふぅ……ご馳走様でした!」
食堂全体を振るわせる完食の声をあげて(恒例行事)、流し台まで食器類を運ぶ文月さん。私も一応、その後に続く――と、いきなり電話の音が鳴った。着メロでもなく、着うたでもなく、ただ電話の音色だった。黒電話チックな音でジリリリリだった。使ってる人居たのか、その着信音。
文月さんは流れるような動作かつ有無を言わさぬ迫力で私に食器を押し付け、そして袴のような形状に改造されているスカートから携帯電話を取り出した。予想通り過ぎるよ、文月さん。
「うむ、会長。私だ」
びしぃっとデキる女を感じさせるほどの立ち姿、ここが食堂ではなく文月さんが学生服でなければ何かのエージェントにでも見えただろう。何でこの人、見た目はカッコいいかな。
そんな感じに、いつもの仏頂面を崩さず応対する文月さん。
「……む、もうそんな時間ですか。失敬、後輩との食事で遅れていたようです。……いや、すいません」
敬語だった、珍しい――というか、私が聞いた事ないだけか。とりあえず食器を片付けながら、文月さんの声を聞く。もうやる事ないし、次の授業までまだあるし。
「……へ? あ、いや、その日は別の後輩との都合が……すいません、絶食は勘弁して下さい」
なんか絶食とか聞こえた、スゲェ怪しい。でも、文月さんが仏頂面ではなくちょっとうろたえ顔になっている方が驚きだ。私の知ってる中で二番目に表情変化が乏しい人なのに(一番はもちろんカレン)。
「ちょ、ま、え、いや、でも」
どもってるどもってる。うわ、何この楽しさ。私がやってるわけでもないのに、妙に征服感がある。
「……分かりました。後輩には断りの返事をしておきます。では」
なにやら話がついたらしい。少し溜め息を吐き、文月さんはいつもの仏頂面に戻った。
「何だったの? 会長とか言ってましたけど……」
「うむ、生徒会長だ。今度の日曜は葵達と遊びに行く予定だったのだが……残念ながら、予定が入ってしまった」
生徒会長、か。文月さん直属の上司――といったら変だけど、この学校の責任者の一人。この学校は生徒の自主性を重んじすぎて暴走しがちだから生徒会には制圧能力(そんなもの必要な学校生活はおかしいと思うけど)が求められる。投票券を持つ生徒にも、手綱をとる教師側からも。
私達一年も生徒総会で顔を見ているが、細身でもしっかりしている中々強そうな人だった。二年の方からも「アイツなら安泰だな、多分」「暴力沙汰は減るだろうな、一応」「あんまり好き勝手できねーな、おそらく」等の意見が。ちょい不安なのは気のせいだと思いたい。
「大変ですね、文月さんも」
そして副会長である文月さんも強そうってーかバトルな展開では実際に強いのだが、やっぱりこの学校の生徒会は大変そうだ。色々問題が多いのは知っていたが、日曜出勤まであるとは。
「いや、私は会長の片腕だ。何があろうとも、会長の意思に背く事は無い」
かっけー! 文月さんかっけー!
「そもそも、私は既に若様に全てを捧げる所存だ。誰よりも、何よりも、私は若の役に立つ為に生きている」
……ん? あ、何か話の矛盾。「若様」と「会長」の両方をってことはつまり……
「ねぇねぇ文月さん。前に言ってた若って……」
「うむ、四面楚歌高校生徒会長、そして我らが若様は同一人物だ。名は師走 荒文という」
予想的中、ていうかなんだその無駄に強そうな名前。「荒」の部分が。
***
で、解散。離れ校舎の出入り口で文月さんと別れて自分の教室に向かう。文月さんを待ってはいたが彼女も別段遅かったわけでは無く、まだ時間はある。飲み物でも買っていこうか。
購買棟は部室棟と並んで、普通の校舎二つと体育館を挟んだ逆側に位置している。つまりは教室に帰るなら必ず体育館の横を通っていく事になるわけで、我が校ではその位置に自販機がるわけで。つまり、帰り道で自然と寄れるベストポジションなのだ。
「男なら炭酸よね炭酸、女も飲むけど」
独り言&鼻歌、周りに人がいないから気兼ねなくいられる。嗚呼、素敵だぜこの微妙な時間帯。普段は恥ずかしい鼻歌だって絶好調だ。
「おいこらアキラ、人が居ないからって恥ずかしい。ていうか、選曲が恥ずかしいよ」
うんごめん恥ずかしいというか恥ずかしさが恥ずかしいで恥が恥ってていうか後ろに居たのなら一声ぐらいかけろ恥ずかしい。
英子だった。今日の朝、我が家のお風呂でさっぱりして、何日か分の汚れを落とした綺麗な英子だった。
もちろん鼻歌停止。
「……英子、後ろに居るなら言いなさいよ。あと選曲が恥ずかしいってどういう意味?」
「ごめん、あんまり楽しそうだったから。ていうか、何で北鳥五郎?」
「往年の名歌手! 演歌舐めんな!」
北鳥五郎さんは私の心を動かす良い声をしてらっしゃる。あんまり音楽用語とか分からないし、歌う方に回ればこの声質(思いっきり女の声だ、死にたい)のせいで上手くいかない、等の理由で歌はもっぱら聞くだけだけど。
とりあえず振り返り、真正面から英子を見遣る。相変わらず、私の身長じゃ乳しか見えないが。
「それ高校生としては珍しいセンスだと思うけど……ま、いいか。なんでここに居んの?」
「学食の帰り。英子は?」
自然な距離、自然な友人関係を測りながら微笑む。あぁもう――まだ英子との距離が分からない。嫌いじゃないのに、むしろ好きなくらいなのに。
「ん……あぁ、学食帰りだから知らないか。ねぇ、アキラ」
降り注ぐ結構真剣な声音。思わず英子の顔を見上げるが、しかし無表情。人生に捻くれた、つまらなそうな顔。これが普通だと分かってはいるが、あまり見ていて気分の良い表情じゃない。
目をそらすために頭を下げて足元に視線を向け、次の言葉を待つ。
「葵、大変なことになってるよ」
で、何というか、予想外な言葉が返ってきた。
「……へ? 葵?」
「うん、騒がしかったからこっちに逃げてきたの。私は耳、良すぎるし」
被った麦わら帽をぽんと叩き、口の端を少し歪めた。得意そうに言いたかったのだろうか。
私も少しだけ笑い返し、背を向ける。
「ふぅん……ま、どうせアイツのせいだろうし、直接確かめてみる」
自然に挨拶。自然に背を向け。自然に走り出す。自然に、自然に自分の恋人の心配をする。
完璧だったと信じたい。すぐに家族になれないなら、この態度こそが一番だと信じたい。私と英子は、腐れ縁なのだから。
「じゃあね、健闘を祈ってる」
柔らかな英子のその声に、少し振り向いた。見ると彼女は帽子を脱いでそれを振っている、少し派手な挨拶。常人ならばその程度。しかし彼女の場合は勝手が違う、隠しているものが露になる。
ネコミミ、だった。正真正銘、カチューシャでも何でもない、体温を伴う英子の耳。人間と同じ場所にももちろんあるので、それは二対目。
「馬鹿、迂闊すぎ」
呟くだけ呟いた、聞こえないだろうけど。