第2話 母
第2話になります、もちゃもちゃです。
今回は段落の初めにヒトマス入れてみました。
どちらが見やすいんだろう....宜しくお願いします!!
あと、ブックマーク登録ありがとうございます!!!
眼が覚めるとそこには、女の巨人がいた。
神は私の願いを聞き入れたらしい。同じように父リグロに抱かれ、修道女から洗礼を受けた。この世界では貴族は生まれてすぐにその地の守護神に信仰を誓うしきたりがある。この時洗礼の証として、聖職者が清めた水を額に塗る。ルトヴィアでは豊穣の神シャーディを祀っていた。この神は時に気まぐれで河川を氾濫させ、惑う民を見て無聊を慰めるはた迷惑な神だった。一方で貢物と祈りさえ欠かさなければ大いなる祝福をその地に与えるという。商人気質のルトヴィア人にはそこが受けたのだろう。
そして私は母に出会った。まばゆいばかりの銀髪に、淡い光をたたえた赤い瞳をしていた。出産の疲れからか万事気怠げであり、助産婦のいたわりの言葉にもぞんざいに返していた。母は私を抱え、頭を撫で、名を与えた。
この時私はあることに気づいた。体を自由に動かせる。ヘーゲルに憑いて以来久しぶりの感覚だった。そして私は、自らの半身の欠落を直感した。私のうちにあるのは、砕け散った「ヘーゲルの魂だったもの」だけだった。そこに命はない。24年にわたり精神体で過ごしてきたのだ。わからぬはずがない。若く苦労を知らなかったヘーゲルの心は、あの無残な転落の中で粉々に砕けてしまったに違いなかった。セリアの死を聴いた夜、ヘーゲルは一人自室で泣いていた。彼は非情になりきれていなかった。あの時、すでに彼の心は壊れてしまっていたのかもしれない。
感傷気味に物思いにふけっている私を見て、元気のない子供だと思ったのか、母は
「リグロの血が勝ったか」
とおかし気に笑った。この二月後母は死ぬ。もともと病弱だった母に出産は命がけだった。弱った体は風邪に耐え切れず、あっけなく死んだ。それが前世リグロに聞いた、いま私を抱く母の顛末である。助産婦が
「しかし、目鼻は陛下によく似ておいでです」
というと、
「いや」
と前置いて、
「これはリグロによく似ている」
重ねて言った。母は外見のことを言っているのではないようだった。私の目をじっと見つめて、それきり黙っていた。私も、もう言葉はわかるけれど、ろくに舌が回らないので見つめ返す他なかった。
いたたまれぬ、と思った。この、あと半年も生きられぬ女が命を賭けて産み、名を与え、愛しげに抱いている己は、真のこの人の子供ではない。それはすでに無残に砕けてしまっている。そのことをこの女は知ることはない。
「乳兄弟にふさわしいものはいるか」
母が尋ねた。すると、部屋の隅に控えていた女中が
「先月モンテノール伯の家に女児がお生まれになったそうです。他にはつい三日前にボン男爵家に嫡男が生まれたとか」
と答えた。おそらく、セリアの妹ノアと、力持ちで心優しいガルドのことだろう、とヘーゲルの幼馴染たちを思い出して思った。彼らは皆争いの中死んでいった。
「ではその二人にしよう」
そう言うと母は疲れたのか、私をその女中に任せ、眠った。
私は女中に抱かれ部屋を出た。母とはこれが今生の別れになるだろう。一国の王である母が手ずから子守をするはずがない。特にこの国の王族は私を除けば叔母と、祖父王の兄弟に当たる老人たちだけだ。リグロが婿に入ったのもそういう事情だった。
女中に抱かれ揺られながら、私は半身のことを考えた。彼の命は確かにない。魂は粉々に砕け散り、彼という存在も塵と消えたように思われる。しかし、それはかつての私と何が違うのか。ヘーゲルが死んだ時、私はまだ意識があった。彼の死体が辱められるのを確かに見ていた。私は死ななかった。されど彼の肉体は動かせなかった。これは私に命がなかった証拠ではないか。よしんば命があったにせよ、彼の砕け散った魂が未だその体の表層にあったがために、私はそれを無視して体を動かすことができなかった、ということになる。
すなわち、魂は砕けても、その存在は死んでいない。
命の有無は、問題にならないということになる。どんな形になっていようと、存在の証明となる魂と、命。この二つがあれば人間は動くことができる。今私が動いているというのは、そういうわけに違いなかった。神は新たな機会を与えるために、もはや命を欠き体が動かせぬヘーゲルの魂を深層に追いやり、魂と命を持ち奥で安穏と暮らしていた私を表に引きずり出したのだ。
どうせならヘーゲルに命を授けてくださればよいものを、と思わないでもないが、嘆いても始まらない。神は気まぐれだ。不満でも言おうものなら、せっかく与えられた機会さえ取り上げられかねなかった。それは、困る。
とにかく、この考えが正しいならば、ヘーゲルは命もなく、魂も砕け散っているが、その魂がある限り、存在する。ということになる。となれば、私のなすべきことは定まった。
やり直しである。
ヘーゲルは物の道理を知らなかった。幼い頃から不自由なく暮らし、いよいよ現実を知る、という時期をあの愚昧な皇帝の元で甘やかされて過ごした。そしてそのまま国へ帰り、放蕩し、人心をつかめぬまま死んだ。人は彼を愚劣、阿呆と罵ったが、誰も彼によりそわなかった。彼の心を知らなかった。故に私はやり直しを願い、こうして機会が与えられた。ヘーゲルの砕けた魂を携えて。
さればあの刑場での誓いを果たすに何の迷いがあろう。父に、民に憎まれ死んだこの幼い魂に愛を与えること、一体何の誤りがあろう。
私は慈悲深き神シャーディに感謝した。
しばらくして、予想を裏切り、私は母と再会した。外は既に雪が溶け、春になっていた。母は危篤だった。前世と同じように、産後冬でも比較的暖かい南部へ移っていたが、そこで風邪を患い、今際を悟って幼い一人息子を呼び寄せたものだった。
私が乳母に連れられ病室に入ると、母は自らの叔父と妹を除いて人払いを命じた。
「話が、ある」
母はそういうのも苦しげな様子で言い切った。叔母がいたわるように勧めたが、首を横に振って続けた。
「私の死後、ヘーゲルが成人するまで、国政はリグロに一任する」
これに反応したのは老人たちだった。中でも文官嫌いで知られたカトール翁は色をなして反論した。曰く、所詮婿であるリグロは国政を握るに能わず、すべては我ら王族の手で執り行うべきである。幸いお前には健康な妹がいることだし、彼女の夫は武で知られた強者であるから、軍事についても心配いらない。経験不足は自分たち老人が支える故、さようなことを言うな、ということだった。叔母もしきりに頷いていた。どうやら父は蛇蝎のごとく嫌われているらしい。
「叔父上。もう決めたことであり、リグロにも話を通してあります」
これが母の返答だった。
そのあとも皆反対をしたが、
「私は王である」
という一言に黙ってしまった。
そうして皆が不満げに退室したのち、私は母に王としての訓示を与えられた。
「乳飲児にこのようなことを言っても詮無いやもしれないが」
と笑っていたが、私は黙って聴いていた。母は、信用できる家臣の見分け方、人心のつかみ方、褒賞の与え方から全てを私に語った。それは母の人生であった。この講義は母が疲れて眠ってしまうまで続いた。
翌日、王は死んだ。
葬儀は遺言の通り婿であるリグロが執り行ない、国中が喪に服した。翌月喪が明けると、王には息子ヘーゲルがいること、幼いため成人するまでリグロが国政を行うことが国中に公布された。
叔母や老人たちは不満を隠そうともせず、リグロが主宰した王の葬儀にも名代を派遣したのみで、のちに王族のみで葬儀を行った。こうした露骨な対立は、国民の中でも盛んに取りざたされた。曰く、リグロは簒奪者である、と。こうした噂はカトール翁が流行病で病死して以降ぱったりと止んだが、リグロに対する暗いイメージは拭えないようだった。
私は、母が死んでのち、あの誓いと母の愛を無駄にせぬため、研鑽した。と言っても所詮は歩くことさえ一人でできぬ赤子である。歩けぬうちは頭を働かせ、母の教えを反芻し、魂の問題を考えるほかなかった。
歩けるようになると、度々部屋を抜け出して、屋敷にある図書室に赴いた。前世のヘーゲルは芸術に関する書物を好んだが、私が重視したのは政治学と経済、そして魔術だった。
この世界には、魔術がある。
と言っても、空を飛ぶだとか大爆発を起こすだとか水を高密度で放射するだのといったアニメじみたものではない。火・土・水・空気の四元素に働きかけてそれらをほんの少し都合の良い風に動かす程度のものだった。日常生活の助けになる程度で、間違っても矢の雨が降る戦場で用いるような代物ではない。
私が目をつけたのは、魅了の魔術と魂の魔術だった。
王は人の上に立つ存在である。であれば、戦陣で華やかに戦鎚を振り回す剛勇のものであるよりは、そうした剛の者を魅了し、従えるものであるべきだ。そう考えた。日本にも例がある。豊臣秀吉だ。このものは羽柴筑前守と名乗り織田右大臣信長の下で働いていた頃、敵をむやみに殺さず懐柔し味方を増やしたという。彼は百姓の出で、譜代の臣がいなかったと言う事情もあるが、その結果天下を取るに至った。彼自身には何某という剛の者を見事その手で殺した、という華々しい武功はない。彼の配下が殺した。それを見習うべきだと思った。ただでさえ、王である母が早くに死に、父と親族が仲違いしている私には、味方が少なかった。だからこそ、自分の手で少しずつ味方を増やさなければならない。そう思った。
魂の魔術に関心を持ったのは、ひとえに我が半身のことがあってだった。砕けた魂を元に戻す方法があるならば戻してやりたいと思ったし、魂と命の真理を見出した私には、書物に書かれた既存の魔術は児戯に等しかった。魂に関する研究は面白いように進み、魅了の魔術と併用することで、そのレベルを格段に引き上げることができた。
魅了と言っても、人を操るようなことはできない。死ね、と命じても全く意味はないし、意志の改変などもってのほかだ。ただ、人を惹きつける。その術を手にいれるために私は3年を費やした。人は城、人は石垣、人は堀。人は一人では決して大事を成すことはできない。孤独に死んだヘーゲルのために、毎日王族としての教育が終わると研究に明け暮れた。
そんな日々の中、私は世話役の仲介で、懐かしい幼なじみ達との邂逅を果たした。
乳兄弟であるガルドとノアとは前からの付き合いだったが、剣術に秀でてヘーゲルには野蛮と疎まれていたブラム、商人上がりの貴族の出のザック、あの叔母の娘で私の従姉妹にあたるルーナ、そしてノアの姉でヘーゲルの想い人であったセリアとは、これが初対面だった。前世では彼らは皆無残な最期だった。それだけに、私は彼らに入れ込んだ。
彼らとの交流は楽しかった。いつまでもこの日々が続けば良いと思った。
だがこの平和もいずれ終わる。5歳。皇帝に謁見するその時が節目だった。
私は、この時のための対策を練ることにした。
次くらいに他の視点も入れてみたいかなあと思っております