バッドエンドを迎えそうなこと
私は囲まれていた。
私を囲んでいるのは、フィリップ王子を筆頭とした攻略キャラ五人たち。彼らの向こうでは、細い肩を小刻みに震わせて涙を堪えている様子のメルティが。
……なぜ、こうなった?
「白状しろ、アリシア・ティリス。おまえがメルティを虐めたのだろう」
そう、冷たい声で告げるフィリップ王子。そんな彼にはもう、ゲームで見た清廉潔白な王子様の面影は跡形もない。
「証拠は揃っている。何より、メルティ・アレンドラが君の話の後で泣く姿を私も見ていた」
そう援護射撃を放ってくるのは、リットベル先生。先生、授業に行かなくていいんですか。
「メルティが人気者だからって、卑怯な手を使ったんだろう!」
そう語気を荒くして言うのは、ロット。というかメルティが人気者って、今知ったよ。
「……見苦しいものだな。学院祭で見栄を張ったつもりか?」
ルパード・ベルクも、腰に剣を下げたままで言う。確か今日は、ルパードは王城勤務のはずだけど……。
「料理を誇りに思っているメルティの心を挫いた罪、簡単には許せませんよ?」
言葉は丁寧だけど、半端ない殺気を放つラルフ・オードリー。その手に握られているのは……えっと、ナイフ、ですか?
五人に詰め寄られて、私は知る。
これ、本来ならベアトリクスとカチュアが受けるべき運命だ。
ベアトリクスは主人公への度重なる嫌がらせでフィリップ王子たちに詰め寄られ、そしてカチュアはメルティを愛するヤンデレと化したラルフによってめった刺しに殺される。
いや、でも! ゲーム中でのあの二人は、可愛そうだけど自業自得のきらいがあった。ベアトリクスは実際に喧嘩売ってきたし、カチュアはラルフを引き留めようと、メルティに雑用をさせたりしていた。
でも、私は何かした? 泣かせたっていうのは、あのレシピ寄こせ事件のこと?
「……私は、アレンドラさんを傷つけた覚えはありません」
私はなんとか声を振り絞ってそう言ったけど、五人の態度は変わらない。それどころか、数名から放たれる殺気がより増したように思われる。
「しらじらしい! レシピを見せてほしいというメルティを言葉で攻撃したのだろう!」
「人に頼るな、自分で考えろと、必死なメルティを冷たく突っぱねた!」
フィリップ王子とロットが言うけど、君たちあの時同じ教室にいたじゃないか。私がそんな毒のあることを言ってないって、知ってるだろうに……。
理不尽だ。私は唇を噛む。
なんだか、ゲームの制作者が無理矢理にでもストーリーをゲーム通りにさせているように思われる。ベアトリクスとカチュアがバッドエンドを迎えないのなら、代わりにストーリーをひっくり返した私に罪を擦り付ければいいじゃん、って言ってるみたい。
……結局、物語を変えることはできないのか。それどころか、いろんな黒の部分を全部、私に押しつけて……。
「アレンドラに謝れ」
決定事項のように言うのは、リットベル先生。俺に構うな系でクールだと思った私、前言撤回。少なくともゲームでは、こんなメルティ贔屓の阿呆じゃなかったはずだ。
私は顔を上げる。フィリップ王子とロットの間に、メルティの顔が見える。
……ここでメルティが悪役顔でニヤリとでも笑えば、ある意味溜飲は下がったかもしれない。でもメルティは、最後まで被害者だった。
「いいのです……皆さん。私は、アリシアさんに事の次第を知ってもらっただけで、十分なのです」
「メルティ……」
五人の視線がメルティに注がれる。メルティは一歩前に出て、私に切なげに微笑みかける。
「きっと、私たちの間には誤解やすれ違いがあったのです。アリシアさんは、意地になってしまっただけ。私はそんな彼女の心情をはかることができなかった。……だから、いいのです」
「何を言っている、メルティ。それでは君の本心が晴れないだろう!」
そう言ってツカツカ歩み寄り、メルティの肩を抱き寄せるフィリップ王子。
……ゲームでは確か、ベアトリクス追放イベントで好感度の一番高いキャラがこうしてメルティを抱きしめることになっていた。やっぱり、好感度が一番高いのはフィリップ王子で間違いないみたいだ。
「君は優しすぎる……どうしてもっと冷酷になれない?」
優しい……? そうか、これは優しい……のか?
「私はこれからも、クラスメイトとしてアリシアさんと共にいたいのです」
そう言って、メルティは私に向かってにっこり微笑みかける。
――裏の全くない、無邪気で、可憐で、残酷な微笑みだ。
ともすればうっかり、その言葉の前に頷いてしまいそうになる。でも――
「あなたの罪を許します、アリシアさん」
小さな桜色の唇から紡がれた言葉に、私の体中がスッと冷える。
罪を許す?
私の罪って、何?
なぜ、あなたに許されないといけないの?
これまでは胸の奥で叫ぶに留めていたことが、どばっと溢れ出す。気づけば私は、自然と口を開いていた。
「……ですか」
「何?」
「罪って……何ですか!」
私は叫んでいた。きっと、この世界に転生してからいまだかつてない、大声で。
私たちがいる狭い講堂に、私の声がわんわんと響き渡る。その声に、六人は少しだけ怯んだようだ。
「何が罪ですか! あのレシピだって、私が考えたものじゃないですか! 私は確かにそれを譲りたくなくて、断りました! でも、それが罪なのですか! 私はアレンドラさんを傷つけることなんて言ってません! それは、その場にいたあなたたちも知っていることでしょう!」
――わたくしの何が罪だというのですか!
――婚約者であるわたくしをないがしろにして、別の娘ばかり愛したのは、あなたの方でしょう!
ゲーム中で悪役令嬢ベアトリクスが叫ぶシーンが重なる。
そう、今私は、ベアトリクスになっていた。
フィリップ王子を諦めきれず、メルティに嫌がらせをしたベアトリクスと、似たような立場になっていた。
「私は謝りません! それに、あなたたちに罪を問われるいわれも、アレンドラさんに罪の許しを得る義理もありません!」
すらり、と音がする。
フィリップ王子とロット、リットベル先生はメルティを庇うように私の前に立ちはだかり、ルパード・ベルクは腰に下げていた剣を、そしてラルフ・オードリーは手に持っていたナイフを、私に向かって突き出してくる。
ああ、ここからはカチュアエンドだ。
私は、「誰もいない」講堂で原型がなくなるまでめった刺しにされる。
全ては、メルティのため。全ては、ゲームのシナリオのため――
私、また死ぬんだろうか。
一度目の人生はトラックに轢かれて。
二度目の人生は乙女ゲームのモブで、攻略キャラたちに斬られて。
また、死ぬんだろうか――
私は、目を閉じていなかった。
だから、ルパードとラルフが剣とナイフを振りかぶった直後、彼らの背後にあった講堂のドアがばんと叩き開けられ、そこから飛び込んできた人物によって二人の得物が叩き落とされる瞬間を、見ていた。
がらん、からん、と乾いた音を立てて落ちる剣と、ナイフ。呆然とする彼らと、そんな彼らの脇を通り抜け、私を庇うように立つ、制服姿の少年。
「……学院内で剣術の授業以外に剣を振るのですか? 見下げたものですね」
そう言ってふっと笑う少年。さらりとした茶髪が、首筋を擽っている。
「おまけに、六人対一人でいじめ倒す? ……姑息どころか、幼稚な人間ですこと」
ゆらり、とうねる黒髪。
モデルさながらの足運びで入ってきたグラマラス美女が、室内に集まった面々を見て鼻を慣らす。
「リットベル先生、ベルク先生、今は授業の時間でしょう? ……ああ、もう学院長先生はご存じですけど、こんな所で生徒いじめですか?」
そう挑戦的に言うのは、最後に入ってきた青銀髪の美女。彼女は制服姿にベルトで剣を吊っていて、すらりとそれを鞘から抜いて手近なところにいたラルフの喉元に剣先を宛う。
「……見た顔があると思ったら、ラルフ、あなたここで何していますの?」
「……カチュアお嬢様」
「名前を呼ばないでくださる? ……既にあなたの名前は我が伯爵家の使用人名簿から除籍しております。令嬢であるわたくしの迎えにも来ずに女子生徒を追いかけ回したいのなら、どうぞお好きに。晴れてあなたは自由の身ですわ」
「……私は何度も言ったはずですよ、殿下」
私を背に庇っていた少年――レグルス王子は、青い顔でこっちを見るフィリップ王子を見据えて言う。
「ご自分の立場を十分に考えた上で行動なさるようにと。……あなたはサイラス兄上に次ぐ王位継承権保持者です。そんなあなたが、一時の恋愛感情に流されて一国民を手に掛けさせるというのですか?」
「レグルス、おまえは黙って……!」
「黙りません。私はこの女子生徒を見殺しにすることはできません。彼女の存在を快く思っている者は、あなたが庇おうとしている少女を快く思う者よりもずっと多いということを、いい加減に気づいた方がよろしいのでは?」
「! 貴様、メルティを……!」
いきりかけたフィリップ王子だけど、そんな彼を制したのは、意外な人物だった。
「殿下……私は大丈夫です」
おっとりと言うのは、メルティ。彼女は自分の目の前であれほど赤裸々に言われたというのに、しっかりと自分の足で立っている。
彼女はフィリップ王子を遮り、そして私とレグルス王子に視線を向ける。そして、彼女と対峙する私たち四人の度肝を抜くようなことを口にした。
「……私は、負けません。どんなことを言われようと、どんな仕打ちを受けようと……必ず、耐えてみせます。それが、私を守ってくれる人たちへの、最大の恩返しだからです」
「メルティ……!」
感極まったように声を震わせるフィリップ王子。ロット以下の面々も、メルティの言葉に胸を打たれたのか、各々感じ入った表情をしている。
……している、けど。
「……どうしてそういう発想になるんだ」
私の横では、頭を抱えるレグルス王子が。私はどうしようもなくて、彼の肩をポンポンと叩く。
「あの……多分、彼女は天然なんです。それも、かなりの」
「天然で済むのか!? ……私は……僕は……これからのことが不安でならない……」
「……これ、もうどうしようもないわね」
ベアトリクスが完全に白けたように言うと、しばしの間フリーズしていたカチュアも剣を下ろし、頭を垂れる。
「……そうですわね。たぶん、言うだけ無駄ですわ」
「ティリスさん、行きましょう。時間の無駄だ」
そう言って、レグルス王子はそっと私の手を引いてくれた。私も彼に逆らうことなく、包囲網の間を縫ってベアトリクスたちの所まで行く。
ベアトリクスとカチュアが先に部屋を出て、レグルス王子もそちらへ向かう。私もそちらへ行きながら、ふと、足を止めて踵を返す。
このままなら、ベアトリクスの言うように「どうしようもない」展開になってしまう。きっと、何も以前と変わらない。
ゲームは、必ず私を……もしくは、私たちの誰かを排除しようとしてくる。
だったら。
「……皆、聞いてください」
私はゆっくりと、その言葉を告げた。