主人公に呼び出されたこと
あれから私は、ベアトリクスやカチュア、そしてそれに加えてレグルス王子とちょくちょく話をするようになった。
同じクラスのベアトリクスはともかく、隣のクラスのカチュアとレグルス王子(二人は同じクラスだ)とも、たまに図書館や食堂、ラウンジで会ったりする。
ベアトリクスは、言葉はきつい人だけれど根は真っ直ぐで正義感に溢れてるし、カチュアは学級委員長としてバリバリでみんなの信頼を厚め、レグルス王子はフィリップ王子との衝突を避けてこっそり生活しているようだけど、物腰は優しいし私にも丁寧に接してくれる。
そして、ベアトリクスとカチュアの心境にも変化が起きたようだ。
まず、ベアトリクスはフィリップ王子のことを口にしなくなった。この前、カチュアがそれとなく水を向けた時には、「ああ、まあ、そうでしたわね」と至極どうでもよさそうに流していた。それはカチュアも同じで、自分の執事がメルティを追いかけ回していても、何も言わなくなった。カチュア曰く、「いつでも辞職届を受ける準備はできていますわ」とのことだ。
何で二人がゲームと違ってこんなに淡泊になったのか、理由は分かるような、分からないようなところだ。だから二人はメルティのことを詮索することもなくなった。二人曰く、「もう、どうでもいい」だそうだから。
……ただし、なぜだろうか。
私にその余波が襲ってくることになるのだった。
「あの……少しいいですか、ティリスさん」
そろそろ冬に差し掛かろうというある日。
愛らしい声で私を呼び止めたのは、何を隠そうメインヒロインのメルティ・アレンドラ。
マル秘ノートを出そうとしていた私は、慌ててノートを鞄に突っ込み戻す。そして、藪から棒に話しかけてきたメルティに怖々笑みを返す。
「あ、はい。何でしょうか、アレンドラさん」
「折り入って、ティリスさんにお願いしたいことがあるのです」
そう言うメルティの目は、本気だ。マジだ。美人のマジの目、威力がある。
チラと彼女の背後を見ると、フィリップ王子とロットが伺うような目で、ホームルームを終えて教室を出ようとしていたリットベル先生も前髪の隙間から、こっちを見ている。
……なんだ、断ったらただじゃおかないぞ、って意味かな。
私は渋々承諾し、メルティに先導されて教室の隅に移動した。ここなら親衛隊の目も届くってことかな。
「……それで。お願いとは何でしょうか、アレンドラさん」
早く話を切り上げたくて私がせかせかと問うと、なぜかメルティはふにゃりと笑って首を横に振る。
「私のことは、どうかメルティとお呼びください」
なぜだ。
「オルドレンジさんやレイルさんのことは名前で呼び合っているではないですか。私もアリシアさんと呼ばせてもらうので、私のことはメルティと呼んでくださいな」
えっ、私がアリシアと呼ばれることは決定なのか?
……ごねたいところだけど、親衛隊の目が怖いし、さっさと席に戻りたいから頷くことにする。
「……分かりました。よろしくお願いします、メルティさん」
「敬語もいいのですよ。私も砕けた言葉でお話したいから」
私の意見は全面無視か。
「いえ、これは私の主義ですので。……それで、お話とは?」
私に拒否されるとは思っていなかったのだろうか、メルティはしばらく頬を殴られたかのように目を見開いていたけど、しばらくしてゆっくり頷いた。
「……アリシアさんに折り入ってお願いがあるのです。アリシアさんが以前の学院祭で作っていたパン、あのレシピを私に譲ってもらいたいのです」
(私にできることといえば、みんなにおいしいお菓子を提供することくらい)
そう思って、メルティはおいしい料理のレシピ探しもすることにした。図書館に行き、知り合いにも聞き、皆を喜んでもらえる食べ物を作ろうとした。
だが、図書館の本にあるのはありきたりなレシピばかり。知り合いに聞いても、「教えるほどのものじゃ……」と断られる。
(どうすれば、みんなを幸せにできるだろうか)
メルティの言葉を聞いて、ゲーム内のこんな一節が思い出された。
うああああああ! またか! また私の登場か! ここでは「知り合い」なのか! さっき「名前で呼んで」と言われた時に知り合いに昇格してしまったのか。
えーっと、えーっと……私は壁に背中を付けて、強ばった笑みを浮かべ、その内心冷や汗ダラダラで、メルティのマジ顔を見返す。
えっと、つまり、私が言うべきなのはゲームの台詞通りで……。
「そ、そんな、人に教えられるほどのものじゃなくて……」
よし、言ったぞ! と心の中でガッツポーズする私だが。
「そんなことありません。私、私もアリシアさんが作ったものを自分でも作りたいのです」
食い下がられました。
「いえ、あのパン自体、私の思いつきのようなものでして……」
「そんなことありません。私も、料理で皆を幸せにしたいのです。それくらいしか、取り柄がないので……」
美貌があるじゃないか。私にはそんなもの、ないよ。
「お、贈り物用でしたら、それこそオリジナルのものが一番喜ばれると……」
「そんなことありません」
何だ、この無限ループ。
「お願いです、アリシアさん」
うるうるの愛らしい目で私を見上げてくるメルティ。その背後では、無言でこっちにガン飛ばしてくる親衛隊たち。
……おや、通りすがりだろうか、剣術講師のルパード・ベルクまで廊下にいて、親衛隊が現在四人に……。
いや、だからといってあのレシピを教えるのは憚られる。なんだか……この後、レシピの著作権を巡って大乱闘になりそうな気がするし、私が自分の前世の知識で得たレシピを無努力でメルティが得てしまうのは、悔しい。
こっちだって、いろんな試行錯誤を経てあの品々を仕上げたのに、「レシピちょうだい」「はいどうぞ」ですんなり渡すのは口惜しい。
乙女ゲームヒロイン相手だから、そう思ってしまうのかもしれないけど……。
とにかく私はゲーム通り、「教えられるほどのものじゃ……」を連呼し、始業のチャイムが鳴るまでギリギリ粘って、逃げるようにメルティの前から飛び出した。
……ゼエゼエ息をつきながら席に着き、次の授業の先生が来るのを待ちつつ、私は次に来るだろう嵐の予感を感じずにはいられなかった。
「恋の花は可憐に咲く」のストーリーでは、主人公は春の修了パーティーまでにルート選択し、その人をパートナーに四年生に上がることになっている。つまり、現在三年次はルート選び期間、四年次は選んだ相手との蜜月(笑)期間ということで、ストーリーは大きく前編と後編で分かれている。
現在、三年次の後半。そろそろメルティが相手を選ぶ頃だ。そして三年次の終わりにはベアトリクスは強制退学、ラルフルートの場合カチュアの惨殺エンドが待ち構えている。
少なくともカチュア惨殺だけは避けたいし、できるならベアトリクスにも学院に残ってもらいたい。四年次からも三人で過ごし、次はレグルス王子とも同じクラスになってみたい。
そう思っていた私は、愚かだった。
まさか、モブでしかない私にこんなエンドが待ち構えていたなんて。