学院祭でイベント発生したこと
実行委員会によって華やかに飾り付けられた学院は、生徒たちの笑い声で満ちていた。
今日だけは許可制の一般開放がされていて、生徒の家族や卒業生、加えて将来有望な生徒を視察しに来た王都の役人なんかもたくさん来訪している。
「完売することはもちろんだけど、今年の目標はより多くのお客様に満足してもらうことよ!」
開店間近の料理研究クラブテントにて。私たちは、きちっとエプロンを纏って力説するリーダーのお説教を有難く頂戴していた。
「接客は優雅に、笑顔で、そして気品高く! 皆で頑張りましょう!」
はーい! と元気の良い声が上がる。
このエリアは料理研究クラブだけでなく、有志の模擬店がたくさん並んでいる。隣のテントからはお肉の妬けるいい匂いが、反対側からは炭酸入りのドリンクを空ける小気味良い音が、それぞれ響いている。
私たちはお揃いのエプロンを身につけ、それぞれの定位置に立つ。笑顔と美貌が売りのお嬢様たちは呼び込みに、私のような地味子、そして計算の速いリーダーたちは店番に、それぞれ回る。いいんだ、私は自分の考えた商品が売れる様を目の前で見守れるんだから!
遠くから鐘の音が高らかになって、いざ学院祭開始。
お客たちは、今まで見たことのない形状のパンに最初、戸惑っているようだった。これはリーダーも予想していたけれど、初っ端の客の入りはよくない。
でも、そんな人混みを肩で掻き分け、堂々とこちらにやってくる二人の美女を目にして、私の頬が緩んだ。
「ベアトリクス、カチュア!」
「約束通り来たわよ、アリシア」
制服の胸元もきつそうなベアトリクスが笑い、小さな財布を手にしたカチュアもしっとりと笑う。
「わたくしたちがお客の一番目でしょうか? ……広告塔のお仕事、果たしますわね」
「ありがとうございます!」
私は早速、二人に改良した商品をオススメする。二人の意見を取り入れて、口の小さくて食も細い方でも食べられるように、加えていろんな種類をたくさん食べられるように、ハンバーガーのように丸く扁平なミニミニサイズのものから、この前二人に試食してもらったハーフサイズ、男性でも満足のロングサイズの三種類のサイズがある。味も、口臭が気にならないようにきついハーブやニンニクは控え、ヘルシー路線を好む若い女性向けに野菜多めのサンドも作っている。
二人は目を丸くして、嬉々としていくつかのパンを取る。
「さすがね、アリシア。これなら中身も出ないし、口を大きく開けなくても食べられそう」
「食べ歩いても良いのですよね?」
お金を払ったカチュアが恐る恐る聞く。立ち食いは普通、マナー違反だけど今日だけは見逃されている。お客が食べながら校内を回ることも考えて制作しているんだ。
「もちろんです。……ご来店、ありがとうございます」
「こっちこそ。……ああ、夕方からの劇、絶対に見に来てね」
「もちろんです! お二人の勇姿をしっかり見届けます!」
私はおいしそうに食べながら店を離れる二人を見送り、そして隣にいたクラブメンバーにちょいちょいと袖を引かれた。
「ティリスさん……オルドレンジさんとレイルさんと仲が良いのね」
「ええ、まあ……」
「すごいなぁ……あ、見て! お二人を見たからかしら、どんどんお客が入るわ!」
その後は、無駄話もできないくらいの大盛況になった。オルドレンジ侯爵家とレイル伯爵家の令嬢も公認、ということで皆も入店する勇気が出たんだろう。
よし、売って売って売りまくるぞー!
午後を少し回った頃。くるくる働いていた私はリーダーに呼ばれる。
「ティリスさん、本当にお疲れ様。後は私たちに任せて、劇の方に行ってきなさいな」
「えっ、でもこれからおやつの時間ですよ」
ここからまた、ティータイム向けにデザートパンを買いに来る客が増えるはずだ。ただでさえ小規模クラブなんだから、売り子が抜けるのは痛いと思うんだけど。
でもリーダーは微笑んで、パンをいくつか私の手に押しつけて首を横に振る。
「あなたが考案して、しかもオルドレンジさんたちを広告にお願いしたんでしょ? それだけでうちは十分助かった。彼女らの劇、見に行ってきなさいな。これ、おやつね」
おおお、これは俗に言う「まかない」ってやつか!
私はリーダーの厚意を有難く受け、クラブの皆に挨拶してテントから出た。
劇が始まるまでもう少し時間がある。私はリーダーにもらったパンを手に、中庭のベンチに腰掛けた。
お昼を回った頃から、この店エリアの人は格段に増えた。ざっと見ていても、やっぱりうちのクラブの店の客入りは上々だ。店で買ったパンを囓りながら談笑する人たちを見ていると、ほんわかと胸が温かくなる。
ああ、私ってこういう仕事も向いているのかな……なんてね。
「……失礼、隣いいですか」
ほくほくと喜びに浸っていた私は、不意に隣から掛かってきた声に跳ね上がりそうになる。私に声を掛けた人物は私の動揺を見てか、広いつば付き帽子の奥で驚いたように目を丸くしている。
「申し訳ない……驚かせてしまいましたか」
「いえ……すみません、お隣どうぞ」
「ありがとう」
そう言って彼は笑顔で座る。
学院の制服を着ているから、間違いなく男子生徒だ。眉まで覆うような大きな帽子を被っていて、その手にはなんと! うちのクラブの店のシーザードレッシング掛け野菜サンドを持っているではないか! そういえば、ちょっと前にこんな大きな帽子の男子生徒が来たような気もする。
「すみませんが……料理研究クラブのアリシア・ティリスさんであっていますか」
急に男子生徒は、私のフルネームを当ててくる。
「っ……そ、そうです」
「やっぱりそうですか。僕、隣のクラスの者ですけど、びっくりしました。こんなに斬新でおいしいものを作る子がいたなんて知らなくて」
そりゃあ、異世界のメニューだから斬新でしょうね。
それにしても……彼、誰だ? 多分、今まで同じクラスになったことがない……と思うけど。
「……はあ。私も、思いつきで浮かんだメニューですので」
嘘だけど。
「そうですか。……僕はあまりこういう賑やかな場は好きではないのですが、おいしい食べ物と巡り会えただけ、仮病で休まなくてよかったと思いますよ」
「ど、どうも」
うーん……本当に、誰だろう?
――その答えは、全く別の方からやって来た。
「……レグルス?」
人混みから聞こえてきた、低い声。私は聞き流してしまいそうだったけど、私の隣の男子生徒は弾かれたように顔を上げる。
私もゆっくりと顔を上げて――思わず、うへぇ、って言いそうになった。
モーゼの行進のごとく人混みが割れ、そこを堂々と歩いてくる金髪碧眼の少年。その隣を子リスのようにちょこちょこ歩いている金髪の美少女に、なぜかその後を金魚の糞のごとく追従する、四人のイケメンたち。
……ゲームイベントだとしても無理があるだろう、って面子の組み合わせに、私は内心苦笑するしかできない。
金髪碧眼男子は私の隣にいる少年の前に立ち、うっとりするようなその美貌をわずかに曇らせる。
「……日中から女子生徒を引っかけるとはな。おまえは硬派な人間だと思っていたが」
「そういう殿下こそ、お連れ様がいるじゃないですか」
一国の王子相手だけど、少年は怯まない。ずばっと真実を言われたフィリップ王子は、いつの間にか手を繋ぎ合っていたメルティを見た後、フンと鼻を鳴らす。
「私はメルティ・アレンドラ嬢が初めての学院祭なので、案内しているのだ」
「それにしては厳重な警備ですね。なんだか……案内係というか、親衛隊のような……」
「くふっ……!」
い、いかんいかん! 少年の含み笑い混じりの冗談に思わず鼻から空気を吐き出してしまった!
メルティの後をノコノコついて回る自分たちにも思う節があるんだろうか、リットベル先生含む四人の攻略キャラがムッとする中、フィリップ王子は一気に視線を凍らせて少年を見下ろしている。
「……無駄な口を叩くな。それに……おまえは、同じクラスのティリス男爵家の娘だな」
うわぁ! 私にも矛先が向いた!
「今、メルティのことを馬鹿にしたか?」
……ん? いや、してませんけど……?
ほけっとする私が気に入らないのか、フィリップ王子はぽややんとした表情のメルティの手を強く握り、今度は私の方を睨んできた。うぐ、美形の睨み、結構怖い。
……つーか何で、私がメルティを馬鹿にしたことになってるの? ん?
「……いえ、そんなことは……」
「殿下、ティリスさんに八つ当たりしないでください。それに彼女に喧嘩を売るのはよくないですよ」
「レグルス、おまえは今は黙って……」
「知ってますか? 今僕も持っているこのパン、料理研究クラブの力作で、飛ぶように売れているんです」
「……そのようだな。先ほどメルティも買ったところだ」
ん、ということは私が休憩に出た後にこの御一行が買いに来たのか。
……男五人もぞろぞろ引き連れて来店した様、カオスだっただろうな。
少年はフィリップ王子に挑むように、視線を厳しくした……ようだ。帽子で顔は見えないけど。
「このパンの考案者は彼女です。僕が思うに、このパンは王都の品評会に出しても遜色のない出来映えです。学院中の皆も来客も、この出来映えに感嘆しているところです。そんなすばらしい才能を持つ彼女をいじめたら、殿下が皆から落胆されることでしょうね」
うわぁ……なかなか厳しいことを言うな、レグルス君とやら。
……ん? レグルスって、確か……。
私が思案に入るより早く、フィリップ王子の方が反応した。彼はさっと白皙の頬を赤らめ、私を一睨みした後、メルティの手を引いてくるっと踵を返した。
「え、あの、フィリップ様?」
「行こう、メルティ。そろそろ劇の準備の時間だ」
「でも、私、ティリスさんにパンのお話を……」
「後でいいんだよ、メルティ」
そんな話をしながら王子とメルティ、そして一言も喋ることなく金魚の糞している連中を連れて一行は去っていった。
モーゼの行進が終わった後の皆は、何もなかったかのようにお喋りを始めている。気のせいか、私の方をちらちら見る人が出てきたような、気がするけど……。
「……騒ぎを大きくして、申し訳ない」
帽子の少年が落ち込んだ様子で言うけど、私は首を横に振った。
「そんなことありません。私こそ、不用意に笑ったりしてすみませんでした……レグルス殿下」
私は確信を持って、そう言った。
――グランディリア王国には、三人の王子がいる。現在王太子のサイラス殿下、第二王子でメルティ親衛隊……もとい攻略キャラのフィリップ殿下、そして妾妃の子どもでフィリップ殿下と同い年のレグルス殿下。
フィリップ殿下とレグルス殿下は非常に仲が悪くて、どうしても学院に同時期入学になったけれど、クラスは絶対に別れるようにしているという。私は三年間、なぜかフィリップ王子と同じクラスだから必然的に、レグルス王子と出会うことはなかった。
レグルス王子は曖昧に微笑んで、顔の大半を隠していた帽子の鍔を押し上げる。帽子に押し込んでいたさらりとした茶色の髪が零れ、優しい緑色の目が瞬く。
「……まあ、分かってしまいますよね。改めて……グランディリア王国第三王子、レグルス・ヴィー・グランディリアです」
「……レグルス殿下」
レグルス王子は、ゲーム本編ではほとんど出てこない。何せ、非攻略キャラでクラスも違うし、攻略キャラのフィリップとは仲が悪い。
フィリップとのイベントで名前くらいは出てくるだろうけど、じゃあどんな人とか、立ち絵はとか、そんなこと分からない。第三王子はもちろん、第一王子のサイラス殿下さえ出てこないんだから、ゲームの容量的に仕方なかったのかもしれない。
帽子の奥のレグルス王子の顔は、フィリップ王子とよく似ていた。フィリップ王子よりは目が切れ長で、少しだけ優しそうな感じではある。いや、ひょっとしたらさっきフィリップ王子に濡れ衣着せられて睨まれたから、穏やかな口調のレグルス王子が優しげに見えるだけかもしれないけど。
私たちはその後会話も特にないまま別れ、私は劇の会場に向かった。
さっき食べ損ねたパンを囓りながら劇を見つつ、私は思った。
少しずつ、ゲームのストーリーが変わろうとしている。
今舞台では、ヒロイン役のメルティがフィリップ王子の手を取って熱烈な愛の言葉を告げている。ここでの意地悪な継母役がベアトリクス、意地悪な妹役がカチュアというのが、なんというかもう……ゲームのストーリー通りではあるけど。
でも、ゲームでは中庭でフィリップ王子がモブ(=私)に喧嘩をふっかけるシーンはなかった。もちろん、レグルス王子と話をする場面も。
そもそも、私たち料理研究クラスの店が繁盛する、っていう件もないし、もっと言えばモブ(=私)とベアトリクス、カチュアが仲よくなる話もない。
私は、少しずつストーリーを変えている。
そしてその一方で、メルティは与えられた台本通りに物語を進めている。
……本当に?
これから、運命が変わっていくんじゃないのか?
そう、ひょっとしたら学校追放エンドしかないベアトリクスが残留できるとか、もしメルティがラルフ・オードリーを選んでも、カチュアが死なずに済むとか……。
私は、ゲームのストーリーに触れないようにしていた。
でも、この世界で親しくなった人を救えるのなら……絶望しかない運命を変えていきたいと、思う。