悪役令嬢とのイベントが起きたこと
翌日から。
私は制服の上着のポケットに小さなハンドサイズのメモ帳を仕込んで登校した。このメモ帳を何に使うかというと、メルティの今後の行動をメモするのだ。
昨日家に帰って考えたけど、私は乙女ゲームの物語に介入するつもりはない。介入といっても、不可避イベントには巻き込まれるだろうが、積極的にメルティと関わることは避けたい。
昨日考えていて、ふと思ったんだ。主人公は、男性キャラにはことごとくモテモテだったけどさて、女の友だちっていたっけ、と。
むしろ彼女と接触を持つ女性キャラは、ライバルキャラばかりだ。ライバルキャラとはつまり、主人公と攻略キャラの中を阻害してくる人たち。確かゲーム中には二人いて、彼女らからの妨害やらいじめやら独りぼっち攻撃やらに晒される。
基本的に主人公の窮地には、どこからともなく攻略キャラが駆けつけてくれるが。さて、そんな彼女が女性キャラとまともに話すシーンはあっただろうか? いや、なかったはずだ。
となれば、メルティ・アレンドラがこの先、順調にゲームストーリーを辿っていくと女子群の中でぼっちになる可能性大だ。だって主人公、クラスの女子と関わろうとしなかったし。お弁当も異性キャラとばかりだったし。ゲーム的にはそれでいいんだろうけど、現実問題、それってかなり浮いた子になるよね。
だが、私はだからといってメルティに声を掛けるつもりはない。冷酷だと言われたらそれまでだけど、まあ、メルティはたぶん主人公として男性キャラを手腕巧みに陥落させるんだろうし、モブの声掛けなんて必要ないっしょ。
そう思って、登校。クラスの子に挨拶して、席に着く。
ホームルームが始まるまでに、私は鞄からこっそり例のノートを取り出した。これはポケットに入っているメモ帳と違い、私が家や自習室とかで書いている、乙女ゲームでのメモ書きだ。昨日の晩のうちに、ゲーム開始から主人公がどんな体験をするのか、思い出せるだけ書いておいた。これがベースで、メモ帳には実際にメルティがどんなことをしたかを書く。この二つを照らし合わせれば、本当にゲームのストーリー通りにメルティが動いているのか確認できる。私の仕事は、あくまでも観察係だ。メルティの行動や発言に介入はしない。以上。
そのノートによると、メルティは編入二日目に早速、一人目の攻略キャラである王子様と運命的(笑)出会いを果たし、早速その婚約者であるクラスメイトに絡まれることになっている。キャラクターのルート選択まではまだまだ日数があるから、それまではひたすら各キャラとの出会いと、お邪魔キャラからの妨害を受けることになる。
ホームルームまでは時間がある。私はノートを片付け、最初のイベントの場所へ急いだ。
最初のイベントは、朝の校庭付近。一人で登校した主人公は、門をくぐった時に髪留めを落としてしまう。それを後から来た攻略キャラが拾って渡してあげるのだ。
私はそそくさと、件の場所へ急ぐ。ぼちぼち他の生徒も登校してきていて、そんな中、おどおどしたように校門をくぐるメルティ・アレンドラの姿は目に付いた。
私が校庭の木に寄り掛かってさりげなく様子を伺っていると、予想通り、メルティの髪からころりと髪留めが落下する。
……今気づいたけど、うちの学院、結構校則が厳しくて髪留めは派手なものや高価なものはダメなんだよ。でもメルティが落とした髪飾り、遠目でもルビーやらパールやらが付いてるのが分かる。そういや、ゲーム中も養母からの贈り物だって言ってたな。つまり、自分を拾ってくれた侯爵夫人のお下がりだ。そんなもの、付けてくるなよ。校則違反だ。
とにかく、ひたすら派手な髪飾りは地面に落ちたから、音もほとんど立たない。メルティは気づかずに歩いていくけど、その後にいた人物が、髪飾りに気づいた。
おっと、ここで第一攻略キャラのご登校だ。第二王子のフィリップ殿下。護衛代わりの生徒をずらずら引き連れた彼は、容姿も完璧な柔和な王子様。朝日を浴びて輝く金髪が見事ですわ。
彼は足元の髪飾りに気づいて、メルティを追いかけて彼女に渡す。メルティは驚いたように目を丸くして、顔を赤らめて髪飾りを受け取る。そしてついでに、フィリップ王子に髪飾りを付けてもらう。
……うん、ストーリー通りだ。私はメモ帳にささっとその旨を書き、その場から離れた。
授業を受けつつも、私の頭の中はメルティのことで一杯。断じて、疚しい意味ではない。
さて、この後どうなるかというと、朝早速王子と出会いを果たした主人公は、王子の婚約者であるクラスメイトに呼びだされてしまう。もちろん、登校時に王子と仲よさげにしていたからだ。
私はちらっと、斜め前方の席を見やった。そこには、艶めかしくうねる黒髪が見事な、グラマラスな女子生徒が座っている。
ベアトリクス・オルドレンジ。オルドレンジ侯爵家の娘で、フィリップ王子の婚約者。
この位置からは見えないけど、彼女は深いブルーの目の別嬪さんで、ボンキュッボンの見事な体躯の持ち主。周囲を威圧させるようなきつい美貌持ちで口調も言ってることも厳しいけど、非常に真っ直ぐで発言力のある人物だ。どう見ても悪役顔で実際悪役令嬢な彼女だけど、その手腕を見込まれて生徒会副会長に就任している。
ベアトリクスは強烈な人間で、敵に回すと厄介だ。だけど、彼女は敵に厳しいけど無関係者に当たったりはしない。その人柄は、ゲームの中以上にこの二年間でよく分かった。彼女はフィリップ王子のことになると感情的になるけど、クラスメイトとしては普通にいい人だった。侯爵令嬢だからって威張り倒したりはしないし。地味子な男爵令嬢の私にも普通に接してきたし。
ベアトリクスは、主人公が誰のルートを選んでも共通して、学校追放エンドを迎えることになる。要は、モテモテの主人公に嫌がらせをして男性陣の怒りを買い、フィリップ王子には婚約破棄を言い渡されて学園を追い出されるんだ。このストーリーは、どうしようもない不可避イベントである。
そんな彼女は今、真っ直ぐ前を見て授業を受けている。今は淑女のマナーの授業だから、受講生は同じ学年の女子ばかり。というわけで当然、少し離れたところにメルティもいる。
……確かメルティは、朝出会った素敵な王子様のことで頭がいっぱいで、授業が全然頭に入らない、ってテロップで語っていた。それは今も同じのようで、彼女はそわそわと自分の髪飾りに触れ、愛らしい顔をぼんやりと緩めて明後日の方を見ている。
……私のノートによると、午後、ベアトリクスがメルティにいちゃもんを付けに行くんだけど……何だろう、妙な胸騒ぎがする。
(ふう、なんとか無事に授業が終わった)
(それにしても……朝会った王子様、ステキだったな)
(フィリップ様だっけ……フィリップ様に触れられたことを思い出すと、授業も全然頭に入らなくなっちゃうな……どうしてだろう)
はい、こちらがゲーム内での主人公の脳内テロップです。時刻は夕方。
私が見ている間に、あれよあれよとメルティはベアトリクスによって連行されていった。うん、ストーリー通りだ。
私は手早く荷物をまとめ、クラスメイトに挨拶して、彼女らの後を追った。もちろん、経過観察するためだ。
ベアトリクスは人気のない校舎裏にメルティを連れて行く。ここで多数の取り巻きを連れて行かない辺り、実はベアトリクスは正々堂々してるんだな、と感じる。ゲーム画面ではそんなこと分からないから、肉眼で見ないとね。
私はベアトリクスがメルティを連れて行く場所を事前に知っていたから、校舎裏の庭ではなくその庭に面した校舎へ移動する。そして、廊下を進んでおそらく二人が来るだろう場所の、窓ガラスをそっと空けておく。そして廊下の壁に背中を付ければ、わざわざ危険を冒してまで現場に行かずとも、声ならしっかり聞き取れる。二人の表情を見られないのは残念だけど、仕方ない。
そうこうしているうちに、女子二人の声が近付いてきた。間違いない、メルティとベアトリクスだ。
「オルドレンジ様……一体何でしょうか」
おびえたようなメルティの声。まあ、そうだろうな。強烈な悪役顔のクラスメイトに引っぱってこられたんだし。
「とぼけないでちょうだい。あなた、今朝フィリップ様とお話ししていたでしょう」
対するベアトリクスは、悠然とした深みのある声。ゲームにボイス機能はなかったから分からなかったけど、ベアトリクスってこんなにハスキーな声なんだ。彼女らしくって、いいかも。
「お話なんて……ただ、髪飾りを落としたのを拾ってくださっただけで」
「フィリップ様はわたくしの婚約者ですの。みだりに接触を持たないでいただきたいのよ」
「でも、フィリップ様の方から声を掛けてくださって……」
「大体何よ、その髪飾り。調子に乗ってるの?」
うむ、ここまでストーリー通り。だけど……。
私はメモ帳にメモを取りつつ、首を傾げる。なんだろう、やっぱり違和感が……。
眉を寄せる私をよそに、二人のやり取りは続く。
「それ、寄越しなさい」
「い、嫌です! これは……お母様が譲ってくださった、大切な品なんです!」
「いいから! こんなのがあるから、フィリップ様の目に留まるのよ!」
「やめてください!」
きゃあきゃあ言いながら髪飾りの奪い合いをする二人。……うん、違和感は増す一方だけど、ここで新しい攻略キャラの登場だ。
「おまえたち、何をしている!」
低いドスの効いた声。これは担任のリットベル先生だ。彼は通りすがった時にメルティの悲鳴を聞いて駆けつけて、ベアトリクスを追っ払ってくれるんだ。
案の定、リットベル先生がベアトリクスを注意している。
「オルドレンジ。あまり編入生に手を出すな」
「手を出すなんて! あんまりです、先生!」
ベアトリクスは抗議するけど、リットベル先生に追い払われてしまう。微かだけど、チッって舌打ちの音がしたような、しなかったような。
壁一枚隔てた向こうで、今度はリットベル先生とメルティのやり取りが為されている。
「大丈夫だったか、アレンドラ」
「はい……ありがとうございます、先生。オルドレンジさんに、髪飾りを奪われそうになって……」
「ふむ。その髪飾りは確かに人目を引く。校内ではもっとシンプルなものを付けなさい」
「分かりました、先生」
「では、校門まで送っていこう。……立てるか?」
「はい。……あっ」
「腰が抜けたか……私に掴まれ。行くぞ」
「はい……」
(いきなりオルドレンジさんに怖い思いをさせられたけど、リットベル先生が助けてくれた)
(先生……怖くて一匹狼な感じだけど、優しかったし、手のひらは温かかった)
(これからもっと、先生と仲よくなれたらいいな)
以上、メルティのテロップでした。
さて、観察を終えた私だけど、違和感の正体が分かったぞ。
さっきのやり取り、ゲームの画面上だと完全にベアトリクスが悪役になっていた。そりゃあ、メルティにいちゃもんを付けて髪飾りを強奪しようとしたんだから、見る人によっちゃあリットベル先生に叱られてザマァ、なんだろうが。
ちょっと待て。
実際にメルティの髪飾りを見て、しかも本校の校則を知っている私にとっては、さっきのベアトリクスの「それ、寄越しなさい」が全然別のニュアンスに聞こえるんだけど。
ベアトリクスは生徒会副会長だ。態度は尊大で悪役顔だけど、正義感は強くって真っ直ぐな子だと、私は知っている。
ベアトリクスは、こう言いたかったんじゃないか。「その髪飾りは校則違反だから、生徒会で預かる。だから寄越しなさい」って。
もし、そうなら……ベアトリクスが校則を取り締まる生徒会員としてメルティに忠告したのなら。ちょっとだけ、話は違ってくるんじゃないだろうか。
ベッドに潜り込みながら、私は今、メルティよりもベアトリクスというキャラクターの方が気になって仕方なかった。