終わりに、殺陣をどうぞ(四)
柴山藩の者たちが遠巻きに見ている中、中村左内は龍の腕を掴んだ。もみ合うふりをしながら、なおも囁き続ける。
「いいか龍、今からお前に縄を掛けるから――」
「そんな面倒な事はしなくていい。一思いにやってくれ……」
龍の言葉に、左内は愕然となり動きが止まる。この男は、何を言い出すのだ――
しかし、すぐさま気を取り直した。動きが止まれば、怪しまれるのだ……左内は龍の襟首を掴み、必死の形相で問いただす。
「龍、おめえ何を言ってやがる――」
「八丁堀……俺はもう駄目だ……体が動かねえ……立ってるのもやっとだ……目も視えねえよ……頼む……お前の手で……とどめ刺してくれ……」
「ざけんじゃねえ! 俺は絶対に――」
「声がでけえぞ……八丁堀……頼む……俺はせめて……仲間の手で……あの世に送ってもらいてえ……俺の……最期の願いを……」
言いながら、龍は左内を突き飛ばす……ような動きをする。
だが、左内は思わず顔をしかめた。龍の腕力は、若い町娘と同じ程度でしかなかった。あの、ちゃぶ台を手刀で叩き割ったほどの男が……。
もはや、龍の寿命は尽きかけているのだ。意思の力だけが、彼の両足をかろうじて支えている。
ならば最期のとどめは、仲間である自分の手で刺す……今の自分には、それくらいしか出来ないのだ。
左内は、ぱっと後ろに飛び退いた。そして、ゆっくりと刀を抜く。
奉行所の腐敗に絶望し、もう二度と抜くまいと誓っていた腰の太刀……しかし今、左内は殺気を込めて刀を構える。
すると、龍がにやりと笑った。
「安国寺って寺に……多助さんと……お松さんがいるはずだ……力になってあげてくれ……」
言いながら、龍は構えた……最後の力を振り絞り、息を荒げながら左内を睨みつける。
その瞬間、左内は吠えた――
「うおぉぉぉ!」
気合いともに間合いを詰め、一太刀を浴びせた。
直後、龍の巨体ががくりと揺らぐ。
そして、倒れた。
「いい……腕……してるじゃねえか……」
それが、龍の最期の言葉だった。さらに、左内はとどめの一太刀を浴びせる。
龍を苦しませることなく、あの世に送るために。
「おい中村、お前がやったのか? 信じられんな」
不意に後ろから声をかけてきた者……同心の諸田慎之助だ。諸田は困惑の表情を浮かべ、左内に近づいて行く。
だが、左内は答えなかった。いや、答えられなかったのだ。
「中村……お前、泣いているのか。情けない奴だな……」
呆れ返った様子で、諸田は言った。そう、左内は泣いている。死体となった龍のそばに膝を着き、体を震わせ涙を流していたのだ……。
「人を斬ったくらいで泣くような腰抜けが、よくまあ同心を続けてこれたもんだな……お前ほどの臆病者は、今まで俺は見たことがないぞ。お前、同心などさっさと辞めてしまえ」
まるで虫けらでも見るような表情で、侮蔑の言葉を浴びせる諸田。だが左内の耳には、その言葉は届いていなかった。彼は刀に付いた血を拭おうともせず、体を震わせ泣いていたのだ。
そんな左内を、源四郎は切なげな表情でじっと見つめていた……。
その数日後、左内と政吉は店の地下室にいた。常に五人揃っていた地下室だったが……いつの間にか、二人だけになってしまった。二人だけの地下室は、妙に広く感じられる……。
左内は神妙な面持ちで、事の顛末を語った。
「龍は俺が斬った……あいつは、多助とお松を逃がすために命を捨てたんだ。見事な死に様だったぜ。俺は仲間のために、あんな風に死ねる自信がねえよ」
「そうかい」
座ったまま、素っ気なく答える政吉。
すると、左内の表情が変わった。
「おい政吉、お前だって気づいてるんだろうが……こいつは、誰かの仕組んだ罠だ。土田小十郎みてえな田舎侍が、多助に辿り着くなんておかしいだろう。誰かが、多助のことを喋りやがった……その誰かってのは、察しがついてるんだろうが」
「いいや、ついてねえ」
投げ遣りな口調の政吉……すると、左内は勢いよく立ち上がった。
そして、政吉の襟首を掴む。
「いいか政吉……多助は拷問を受け続けて、今や生ける屍みたいになっちまったんだよ。首と右手を動かすのがやっとだ……龍は、そんな多助のために命を捨てたんだぞ! いや、多助のためだけじゃねえ! 龍は俺たちみんなを守るために命を捨てたんだ! おめえは何とも思わねえのか!」
唇を震わせ、政吉を睨み付ける左内……だが、政吉は力なく笑うだけだった。
「分かったから、まずは落ち着け。焦って、下手に動いたら殺られるぞ。今は慎重に……な?」
政吉の顔からは、意思が感じられなかった……左内は顔を歪め、政吉を突き飛ばす。
政吉はよろけて、床に尻餅を付いた。
「くそがぁ! おめえみてえな屑、今すぐ叩き斬ってやりてえよ!」
吐き捨てるように怒鳴りつけ、左内は足音も荒く立ち去って行った。
たった一人、残された政吉は自嘲の笑みを浮かべ、ため息をつく。
「八丁堀……自棄を起こすなよ。お前は、最後の切り札なんだ」
翌日になっても、政吉は一人で店にこもっていた。何をするでもなく、店でぼんやりしていた。端から見れば、政吉もまた生ける屍のようであっただろう。呆けたような表情で、彼は椅子に座っていた。
だが、その夜……政吉の態度を一変させる事件が起こる。
突然、乱暴に戸を叩く音がした。政吉は面倒くさそうに立ち上がる。
「誰だよ……」
そう言いながら、政吉は懐に短刀を隠した。そして戸に近づいて行く。
「政吉さん……俺だ……正五郎だよ……」
「!?」
その声は、間違いなく正五郎のものだ。政吉は慌てて戸を開ける。
そこにいたのは、間違いなく弁天の正五郎であった……ただし全身を滅多刺しにされ、息も絶え絶えの状態になっている。ここまで辿り着けたのが奇跡だ。
「正五郎さん、誰にやられたんだ!」
言いながら正五郎の体を担ぎ、店の中に運び入れる政吉。正五郎は、顔を歪めながら口を開く。
「鳶辰だよ……あの野郎、全て仕組んでやがった」
「どういうことだ?」
「鳶辰は最初から……俺と政吉さんを潰すつもりだったんだよ。邪魔な連中を一人ずつ始末し、一方で俺たちの評判を……」
そこまで話した時、正五郎は咳き込んだ。口からは、大量の血を吐き出す。
「正五郎さん、喋ったら駄目だ。すぐに医者を呼んで来るから――」
「呼ばなくていい……俺は、もう助からねえ。それより、俺の話を聞いてくれ……」
正五郎から聞いた話は、政吉の予想を遥かに超えていた。
鳶辰はまず、正五郎が阿片を異様に嫌っている点に目を付けた。そして手下たちを通じ、阿片を扱う者たちのうち、自身の邪魔になりそうな組織もしくは人間の情報だけを正五郎に教えたのだ。
結果、正五郎は仕掛屋に依頼して始末する……鳶辰は自身の懐を痛めることなく、邪魔者を消すことが出来た。
その一方で、鳶辰は他の連中に根回しをした。正五郎は阿片に対し厳し過ぎる、あいつはもう時代遅れだ……などという言葉で、自身の味方を増やしていく。
そして決定的だったのが、密売人である栗栖の死であった。質の良く安い阿片を作る栗栖の存在は、江戸の裏社会において重宝されていたのだ。ところが、その栗栖が死んでしまった……真相は当人の自殺であるが、鳶辰は正五郎の仕業であるかのように噂を流す。もとより正五郎が阿片を嫌っていることは、裏の世界ではよく知られている。噂を疑う者などいない。しかも、実際に正五郎は仕掛屋に依頼しているのだ。
弁天の正五郎は、裏の世界で完全に孤立してしまった。
そして今日、鳶辰は裏社会の主だった者を集め、さらに正五郎を呼び出した。
正五郎を引退させるために。
だが正五郎はその申し出を拒絶し、さっさと引き上げてしまう。すると、その帰り道に刺客に襲われた……全身を滅多刺しにされながら、正五郎は最後の力を振り絞り刺客を返り討ちにする。
その後……政吉に真相を伝えるため、正五郎は息も絶え絶えの状態で歩き続けたのだ。
政吉は、どうする事も出来ないのを悟った。鳶辰に対抗できる者はいない。このままだと、自分や左内も殺られるかもしれない。いや、殺られないのが不思議なくらいだ。
もう、仕掛屋は解散させるしかない。
その翌日、政吉は密かに左内を呼び出す。
そして言った。
「八丁堀、俺は江戸を離れる。仕掛屋は解散だ。世話になったな」
「政吉、それはどういう意味だ……」
語気鋭く尋ねる左内。だが、政吉は怯まない。
「そのまんまの意味だよ、八丁堀。仕掛屋はもう終わりだ。俺は上方に逃げる。もう会うこともねえだろうが、達者でな――」
そう言った途端、左内の拳が飛んだ。拳は政吉の顔面に炸裂し、政吉は勢いよく倒れる。
「いいか政吉……俺はおめえを殺してやりてえよ。だがな、おめえは殺す値打ちもねえ屑野郎だ! さっさと消えろ! おめえの面は二度と見たくねえ!」
声を震わせ、怒鳴り付ける左内……政吉は、口元を歪めて立ち上がる。
そして荷物を担ぎ、店を出て行った。
後に残された左内は、やりきれない表情を浮かべ天を仰ぐ。
そして左内は、土田小十郎の言葉を思い出していた……。
(どうしても、と言うなら……腕ずくで参られよ)
あの時、侍同士の果たし合い、という名目で小十郎を斬っていれば……手遅れになる前に、多助を牢に移せたのかもしれない。
龍も、命を落とさずに済んだのかもしれなかった……。
・・・
その夜。
鳶辰は一人、供の者も連れずにのんびりと歩いていた。彼は歩き続け、やがて河原へと到着する。普段なら、夜鷹がうろついているような場所であるが……今夜に限り、人っ子ひとり見えない。
すると、鳶辰の背後で声がした。
「鳶辰……死んでもらうぜ!」
言いながら、姿を現したのは政吉だ。彼は短刀を抜き、じりじりと間合いを詰めて行く。
しかし、鳶辰には怯えた様子がない。むしろ、楽しそうな表情だ。
「政吉さん、あんたが直接来たとなると……他の手下は仕掛屋を見限ったんだね。それなら一安心だ」
そう言って、笑みを浮かべる鳶辰。
「ざけんじゃねえよ。正五郎さんから、話は全部聞かせてもらった。おめえ一人殺すのは、俺だけで充分だ!」
叫ぶと同時に、短刀を構える政吉。だが、いきなり背後からの衝撃を感じた――
次の瞬間、背中に焼けるような激痛が走る。その激痛に耐えきれず、政吉は倒れた。
「政吉、お前もおしまいだな。出来ることなら、仕掛屋について奉行所できっちり取り調べたかったが……こうなると仕方ないな。ま、無礼討ちということで大目に見てやる」
言ったのは、同心の諸田であた。
どこから姿を現したのか……顔を歪める政吉。諸田は刀を振り上げ、なおも切りつけた。
だが、政吉は地面を転がり太刀を躱した。
そして、川めがけて走る――
だが、諸田の動きも早かった。走る政吉の背中に、なおも一太刀浴びせる。
その一太刀は、政吉の背中を切り裂く。政吉は倒れ、川の中に落ちていった……。
「諸田さん、ご苦労様です……残りの手下たちの動きが気にかかっていたのですが、仕掛屋はもうお仕舞いですな」
満足げな笑みを浮かべる鳶辰。だが、彼の顔色が変わった。
「ところで諸田さん、その中村左内という同心ですが……本当に、ただの昼行灯なんでしょうな?」
「お前も考えすぎだ。中村は屑だよ。武士の風上にも置けん。龍を斬った後、恐怖のあまり泣きながら震えておった。あんな恥さらしは見たことがない。龍を斬れたのも、ただのまぐれ……いや、龍の疲れに乗じたものだろう。ひょっとしたら奴は、小便をもらしていたかもしれんな」
そう言うと、諸田はくすくす笑い出す。
「しつこいようですが、中村左内は仕掛屋とは関係ないのですね?」
鳶辰の問いに、諸田は笑いながら首を振る。
「奴が仕掛屋? 前にも言ったが、そんな事はあり得ない」
次回で完結となります。




