晴らせぬ恨み、晴らします(三)
利吉と為三は幼い時からの幼なじみであり、また近所でも評判の極道者であった。飲む打つ買うで時間と金を浪費し、金がなくなれば何でもやる。親分格の一朗太が侍くずれなこともあって、最近の二人はますます図に乗っていた。
さらに先日、『辰の会』の元締めである鳶辰から、一朗太ともども三人そろって加入を認められたのだ。鳶辰といえば、泣く子も黙る裏の顔役である。その後ろ楯があるとなれば……二人はもはや、単なるごろつきとは呼べない。
そんな二人であるが、今夜はあまり機嫌が良くなかった。先ほど博打で、有り金のほとんどを擦ってしまったのだ。
そして今、二人は苛々した表情で、夜の町を歩いていた。自らの感情をぶつける対象を探し、ぎらついた目で周囲をねめつける。危険な雰囲気を察し、周囲には人が近づかなくなっていた。
だが、その時……前から歩いてくる者がいる。坊主頭で杖を突き、真っ直ぐこちらに向かって来た。どうやら盲人らしい。そして、巧みに二人を避けて歩いていった。着ている物はみすぼらしいが、数枚の一朱金らしき物を片手に握りしめて、じゃらじゃらと鳴らしながら歩いている。
利吉と為三は顔を見合せた。二人は、付き合いが非常に長い。いちいち言葉にしなくても、お互いの言いたいことは何となく理解できる。
二人は、盲人の後をつけて行った。
盲人は、ひとけの無い裏通りを歩いていく。利吉と為三は、またしても顔を見合せた。どちらからともなく笑みがこぼれる。
「おい、そこのめくら」
利吉の声を聞き、多助は歩みを止めた。ここまでは作戦通りだ。あとは仕留めるだけ。多助は杖を握りしめた。そして、慎重に向きを変える。
「あっしですかい?」
「ああ、お前だよ。ちょっといいものをやる。だから、そこに止まれ」
言いながら、利吉は拳骨を為三に見せつけた。そして一人、多助に近づいて行く。ぶん殴って金を奪う……利吉にとって、ごく簡単な行動のはずだった。
しかし、多助の動きは速かった。
利吉が近づき、拳を振り上げる……その一瞬の間に、仕込み杖を抜いていた。 そして一閃――
利吉は何が起きたのかも分からぬうちに、腹を切り裂かれた。
だが、多助は手を止めない。さらに、恐るべき速さで斬りつけていく。喉、胸、腹……利吉の体は切り刻まれ、声も出さずに絶命した。
「野郎! 何しやがる!」
怒鳴ったのは、為三だった。何が起きたのかを即座に理解し、懐に呑んでいた短刀を取り出す。
そして、鞘を抜いて構える――
多助と為三は、距離を置いて対峙した。
「よくも利吉を! ぶっ殺してやる!」
わめく為三。一方、多助はじりじりと下がって行った。。
「この野郎……」
為三は吠えながら、短刀を構える。この短刀で人を刺したのは、一度や二度ではない。
だが、その為三を、物陰からじっと見つめている者がいた。
「おら、めくら! かかって来いや! ぶっ殺してやるからよ!」
吠えながら、短刀を振って威嚇する為三。一方、多助は仕込み杖を構えたまま、じりじり下がって行く。
それを見た為三は、相手が怯んでいると判断し、にやりと笑った。
そして、間合いを詰めていく。
だが――
三間か……。
まだだ。
「来いよ! めくらが!」
二間半、か……。
まだ遠い。
「来ねえなら、こっちから行くぞ!」
二間!
次の瞬間、物陰から飛び出た者……それはお松だった。竹鉄砲を構え、火縄で点火する――
そして、轟く銃声。
為三は額を撃ち抜かれ、仰向けに倒れた……。
・・・
その頃、一朗太もまた、夜の町を歩いていた。
利吉や為三のような単なるごろつきとは違い、一朗太は無宿者ではあるが侍くずれだ。腕は立つ。また、勘も鋭い。既に、自分の後を尾行している者の存在に気づいていた。
龍は大きな体でありながら、音を立てずに一朗太の後をつけて行く。一朗太は脇目も振らずに真っ直ぐ歩き、そして角を曲がった。
龍も、すぐに後を追う。
だが――
「お前、誰だ。俺に何の用だ」
角を曲がった途端、一朗太の声が聞こえた。
龍は反射的に立ち止まった。見ると、抜き身の長脇差を握りしめた一朗太が、こちらを睨みつけている。
龍は、にたりと笑った。
「一朗太だな……死んでもらうぜ」
「そうか。俺を殺しに来たのか……俺も、少しは名前が売れてきた、というわけか」
言いながら、ふっと横を向く一朗太。
次の瞬間、剥き出しの刃が龍を襲う。常人なら、不意を突かれ首を斬られていただろう。
しかし、龍はその刃を前腕で受け止める。刃は鉄製の手甲に当たり、不快な音を立てた。
驚愕の表情を浮かべる一朗太……その直後、龍の左足が一閃――
龍の爪先は、まるで三日月のような軌道を描いていた。そして鞭のような速さで一朗太の鳩尾に突き刺さる。
想定外の凄まじい衝撃に、息を詰まらせる一朗太……弾みで、手から刀が落ちる。
だが、龍の動きは止まらない。次いで、右の正拳が顎に炸裂――
その一撃は、一朗太の意識を刈り取った。一朗太は一瞬、棒立ちになり……崩れ落ちるようにうつ伏せに倒れた。
さらに、追い打ちをかける龍。全体重をかけて首を踏みつける――
何かが砕けるような音が響き渡った……。
止めを刺した龍。だが、物陰に人の気配を感じた。顔を上げ、そちらを睨む。
「誰だ」
「私だよ、龍さん」
言いながら、物陰から姿を現したのは以蔵だった。龍の眉間に皺が寄る。
「おめえ……何してやがるんだ?」
「何って、あんたがちゃんと仕留めるかどうか見届けるためさ。あと……いざという時、あんたの手助けをするためでもある」
「どういう意味だ……俺が仕損じるとでも思ってるのか?」
言いながら、以蔵を睨みつける龍。その瞳には、殺気が宿っている。
だが、以蔵は余裕の表情だ。龍を恐れる様子もなく、すっと目を逸らした。
「私はただ、政吉さんの命令に従っているだけさ。これも仕事なんでね。じゃあ、失礼するよ」
そう言うと、以蔵は音もなく去って行く。
龍は舌打ちし、その場を離れた。
そして翌朝。
「おい、またかよ……」
同心の中村左内は、苦り切った表情で呟く。
立て続けに、二人の死体が出た。しかも、一人は刃物で数か所を斬られており、もう一人は鉄砲で眉間をぶち抜かれている。徳田新之助とかいう名の、旗本の三男坊が殺された時と似た手口だ。
「旦那……やっぱりこいつは、仕置人の仕業じゃないですかねえ」
そう言いながら、岩蔵がぬっと顔を突き出す。左内は思わず顔を背けた。
「仕置人って……だから、何だよそれは?」
「旦那、本当に知らないんですかい……人の恨みを銭で晴らすとか、大それた事を嘯いてる野郎達がいるって話ですぜ。おひろめの半太とかいう奴から聞いたんですがね」
訳知り顔で答える岩蔵に対し、左内はしかめ面をして見せる。
「そんなもん、でたらめに決まってるだろう……あの半太は、てめえの瓦版を売るために、いい加減な事ばかりぬかす野郎さ」
「いや、そうとも言えませんぜ。現に、この利吉と為三ですが……あちこちで評判の鼻つまみ者でさぁ。この二人は、飲み代は踏み倒すは女はかどわかすは男を殴って銭とるは……弱い奴を相手にせこい真似ばかりしてる、どうしようもない半端者の屑でさぁ」
「そうか……」
生返事をする左内。彼にとって、そんなことはどうでもいいのだ。仕置人だの何だのといった面倒なことには関わりあいたくない。
こんな仕事は、さっさと終わらせよう……左内はまず、集まってきた野次馬の方に歩いていく。
「ほら、お前ら……邪魔だよ。さっさと失せろ」
言いながら、左内は野次馬を追い払う。その時、野次馬の中に見覚えのある顔を見つけた。
蕎麦屋のあるじである政吉だ。もっとも、店で蕎麦をこねるよりも、博打場で駒札をいじっている時間の方が長い……ともっぱらの噂である。左内も一応、顔だけは知っていた。
「おい政吉……おめえ店ほっぽらかして、こんな所で何してやがる?」
左内が声をかけると、政吉は愛想笑いで応じる。
「へ、へえ……いや、ここで人が殺されたと聞きまして、見に来たんですよ。物騒ですねえ」
言いながら、揉み手をする政吉……左内はうっとおしそうな表情で、犬でも追っ払うように手を振る。
「用がねえなら、さっさと失せろ。真面目に働け」
「へえ、失礼します」
言いながら、去っていく政吉。すると、岩蔵が横に来た。
「政吉の野郎、得体が知れねえや。旦那、あっしはね……あいつが怪しいと睨んでるんですよ」
「政吉が? 冗談だろ? あいつは、ただの博打好きの蕎麦屋じゃねえか」
「旦那……本気で言ってるんですかい? 政吉の面を見りゃわかるでしょう。あいつは絶対、何かとんでもねえことやってますよ。いずれ、しょっ引いてやりますぜ」
言いながら、にやりと笑う岩蔵。
左内はため息をついた。この岩蔵は、悪党を見分ける勘は鋭い。腕も立つ。実際、そこらの悪党が五〜六人たばになっても敵わないいだろう。弱い者を思いやる優しさも持っている。事実、女子供や老人からは好かれているのだ。
しかし悪党に対しては、手段を選ばぬ部分がある。口を割らせるための拷問は当たり前のように行なう。岩蔵の拷問で、不具者にされた悪党は少なくない。拷問の最中に死んでしまい、左内が上手く誤魔化したことも、一度や二度ではないのだ。
「岩蔵、ほどほどにしとけよ。あんまり無茶すると、いくら俺でも誤魔化しきれねえぞ」
「わかってますって」
左内の言葉に、生返事をする岩蔵。馬耳東風、を絵に描いたような表情だ。ほどほどにする気など、欠片もないだろう……。
左内は仕方なく、視線を二人の死体に向ける。どうなろうが、自分の知ったことではない。
・・・
政吉は、さっさと歩いていく。いつもながら、多助とお松の二人は見事な手際だ。利吉はともかく、為三の死体は一発で仕留められていた。
ただ、死体を調べていたのが……鬼の岩蔵だったのが気になる。岩蔵は非常に厄介な目明かしだ。鋭い勘で下手人を見抜き、そして手荒い拷問にかけて吐かせる。その遣り口は、裏の世界では知れ渡っていた。もっとも、一緒にいる同心が無能な昼行灯の中村左内なのが救いだが――
「よう政吉さん。ちょっと待ってくれねえか」
通りで、不意に呼び止める声。政吉は愛想笑いを浮かべて振り返る。
「誰かと思えば、鳶辰さんじゃござんせんか。俺に何か用ですか?」
そう、政吉を呼び止めた男は……江戸の裏稼業でも指折りの組織『辰の会』の元締め、鳶辰こと鳶の辰三であった。中肉中背でくすんだ色の作業着を着た、白髪の目立つ男ではあるが……その目には、どこか狂気じみた光が宿っていた。
噂では、鳶辰は実の父親を自らの手で殺し、今の地位を手に入れたと言われている。ただし、その真偽を本人に問うた者はいない。
「政吉さん、困ったことが起きてなあ……うちに新しく入った三人が、相次いで殺されたんだ」
「ええ? そいつは本当ですかい?」
政吉は大げさに驚いたような表情で答える。だが、内心では舌打ちしていた。まさか、あの三人が辰の会に入っていたとは……。
「ああ。四日前に、うちに入ったらしいんだが……いきなり殺されちまうとは、不運な奴らだよな」
鳶辰は、そう言って笑った。もっとも、目は笑っていない。じっと政吉を見据えている。
「いやあ、どこの馬鹿なんでしょうねえ……辰の会に手を出すなんざ、気違いの仕業としか思えませんや。今ごろ、家で震えてるんじゃねえですかい」
言いながら、政吉は呆れたように首を振る。だが彼には、鳶辰の狙いが読めてきた。鳶辰は全てを承知している……仕掛屋の者が、辰の会の人間を殺したことを。これは知らなかった、では済まされない。一歩間違えれば、全面戦争にもなりかねない事態だ。
だが、鳶辰は商売人だ。そんな一文にもならないような事はしない。代わりに、政吉に貸しを作るつもりなのである。
そう、これは鳶辰からの警告だ。
「まあ、俺もあんな雑魚のために、いちいち動くつもりはねえ。だがな、こんなことが続くようだと……血を見なきゃ、収まらなくなる。わかるな、政吉さん」
「へえ、わかってます……鳶辰さんに逆らおうなんて馬鹿は、この江戸にはいやしませんよ」
そう言って、揉み手をして見せる政吉。すると、鳶辰の手が伸びてくる。
そして、政吉の肩を叩いた。
「ところで政吉さん、近頃は仕置人とかいう馬鹿が出てきたらしいんだが、知ってるかい?」
「仕置人? 瓦版屋が適当にでっち上げた与太話じゃないんですか」
「俺もそう思うんだが……ちょっと気になるんだよ。何かわかったら、知らせてくれよ。じゃあな」
鳶辰はにやりと笑い、向きを変えて去って行った。
その後ろ姿を、じっと見送る政吉。
鳶辰……敵に廻したくはない男だ。
しかし――
どうせ、あの世も地獄と決めた。
命がっさい勝負に賭けて……。
燃えてみようか、仕掛屋稼業。
「ようござんすね、ようござんすね……勝負」
政吉は一人、そっと呟いた。