闇に裁いて、仕掛けます(一)
泥棒市は、今日も大盛況だった。
江戸の下町の片隅で、ひっそりと開かれている泥棒市。あちこちから怪しげな商品――そのほとんどが盗品だが――が集められ、屋台で売られているのだ。
同心の中村左内は、そこで屋台を見回っていた。とは言っても、盗品を回収したり悪事を取り締まるためではない。小悪党どもから、ちょっとした小遣いをせしめることだけに血道をあげていたのだ。
あちこちの屋台を回り、袖の下をきっちり集め、にんまりしている左内……だが彼の視界に、ある人物が入った。
その途端、左内の目がすうっと細くなる。十手を抜き、彼は静かに近づいて行った。
その頃、龍もまた泥棒市を見て回っていた。もっとも、今日は冷やかしに来ただけだが……今は特に、買いたい物もない。単なる暇潰しのつもりだった。
彼は懐から胡桃を取り出し、殻を握り潰す。そして実を口の中に放り込んだ。その時――
「おい、そこのでかいの……ちょいと待ってくれねえか」
その声に、振り向いた龍……だが、彼の顔は一瞬で歪んだ。
同心が一人、十手を弄びながら立っている。とぼけた感じの馬面、そしてやる気のなさそうな態度。この同心には、前にも会った覚えがある。名前は確か、中村左内……。
いや、こんな奴の名前などどうでもいい。龍は不機嫌そうな表情で、左内を見つめる。
「お役人さま、あっしのような人間にいったい何の用です?」
「いや、用ってほどのものでもないんだがな……ところで、おめえの力は凄いなあ」
言いながら、左内は手を伸ばした。龍の太い腕を掴む。
「この腕、凄いな。丸太みてえだよ……胡桃の殻を握り潰せるなんざ、誰にでも出来ることじゃねえぜ」
「いや、大したことじゃありませんよ。じゃあ、忙しいんで失礼します」
そう言うと、そそくさと去って行く龍。
残された左内は、その後ろ姿をじっと見つめる。
「さて、お前さんはいったい何者なんだろうな……ま、おおよその見当はついてるがね」
やがて見回りを終え、奉行所に戻る左内。すると、門の前で立ち尽くしている娘がいた。
「おい、奉行所に何か用か?」
声をかける左内。普段なら、確実に無視していただろう。全てにおいて、事無かれ主義の左内である。仕事は徹頭徹尾、手抜きでいく……これが彼の信条のはずだった。
しかし、今日は袖の下がたんまりと入った。口うるさい女房と姑に内緒のへそくりを貯めること……今の左内にとって、それだけが生き甲斐だったのだ。そして、今日は予想を遥かに上回る収穫である。
そのため、ついつい柄ににもない真似をする気になったのだ。
しかし、左内はすぐに後悔する羽目になる。
「はあ? お前の親父さんが打ち首に?」
その娘の話を聞き、すっとんきょうな声を上げる左内。確かに、昨日は一人の男が打ち首になっている。だが、その男は……。
「なあ、お前は勘違いしてるんだよ。昨日、打ち首になった男は、善八って名の盗賊の親玉だぞ。あちこちで押し込みを繰り返し、何人も殺してる奴だ。とんでもねえ悪党だよ」
そう、善八はあちこちを荒らし回った盗賊集団『赤兎馬組』の頭領である。打ち首の時は、泣くは喚くは漏らすは垂らすは……とにかく大変だったらしい。
しかし、娘はというと――
「違います! あれは……うちのおっとうです! おっとうは、ただの大工です……盗賊なんかじゃありません!」
・・・
その翌日、政吉はいつものように街中をふらふらしていた。博打場を探し、あちこちを見回ったり話を聞いたりしながら徘徊していたのである。
だが、そんな彼を呼び止める者がいた。
「おい政吉……お前に話がある。ちょいと来てくれねえか」
振り向くと、そこにいたのは同心の中村左内だ。いつになく表情が真面目である。いったい何事が起きたのだろうか……。
「おや、中村さんじゃありませんか……どうなさったんですか?」
愛想笑いを浮かべながら、ぺこぺこ頭を下げる政吉……とはいえ、この男のただならぬ様子に対し、警戒心を強めていた。この前の件といい、左内は自分に目を付けているような気がする。その真意はまだ図りかねているのだが。
「前置きは無しだ。ちょいと来てくれ。嫌だと言うならしょっぴくぞ」
政吉の思いをよそに、左内の態度は有無を言わさぬものだった。半ば強引に、政吉の腕を掴み引っ張っていく。その顔つきには、普段の昼行灯の面影はどこにも無い。
ひとけの無い河原に、無理やり連れて来られた政吉……だが、そこで左内が語った話は、政吉の想像の斜め上をいくものだった。
「はあ? 身代わり?」
驚愕の表情で聞き返す政吉。だが、左内は真顔で頷いた。
「ああ、そうなんだよ。俺もまさかとは思うんだが、お咲という娘が言い張ってやがるんだ……」
左内の話は、次の通りであった。
お咲の父親、竹造は大工を営んでいる。病弱な女房のお歌、そして娘のお咲の三人で長屋に住んでいる。町の片隅で、貧しくも平穏に暮らしていた。
ところが数日前、竹造が思いもかけぬ大金を手に現れたのだ。
十両の金を手に、竹造はお歌とお咲に言った。
「おい、金を稼げる仕事が見つかったぞ! これで、お前たちにも楽させてやるからな!」
しかし翌日、竹造は帰って来なかった。次の日も、また次の日も……。
そして昨日、斬首刑の後で晒し首に処された男がいた。赤兔馬組という盗賊団の頭である、善八という男だ。
しかし……。
「お咲の話だと、晒し首になっているのは竹造だと……そう言い張っていやがるんだよ。その竹造と善八は、顔が瓜二つだったらしいぜ」
何とも奇妙な話を、淡々と語る左内……政吉は困惑した。話の内容ももちろんであるが、そんな話を自分に聞かせる左内の意図もまた理解できない。
「い、いやあ……ただの勘違いなんじゃないですかねえ」
政吉はとりあえず、当たり障りのない言葉で誤魔化した。左内の意図が読めない以上、下手な事を言うわけにはいかない。ひょっとしたら、罠かもしれないのだ。
だが、返ってきた左内の言葉は意外なものだった。
「それがな……調べてみたら妙なんだよ。あの善八だが……あいつ、牢の中でも堂々としていやがった。いびきかいて昼寝するは、お調べの時もにやにやしてるは、大した度胸だったらしいぜ。打ち首を言い渡されても、眉一つ動かさなかったんだよ」
「へえ、そりゃあ大した度胸ですね。さすが盗賊の頭だ」
「そうだろう……ところがだ、打ち首の日が来た途端に態度が一変したんだよ。あの野郎、泣くは喚くは漏らすは垂らすは……たった一日で、えらい変わりようだったって話だ。こりゃあ、誰が見てもおかしいだろうが」
言いながら、左内は政吉を見据える。政吉はさらに困惑し、うろたえながらも言葉を絞り出す。
「い、いや……最初は強がっていても、いざ打ち首となりゃあ誰でも怖じ気づくんじゃないですか?」
「まあ、確かにな。しかし、それだけじゃねえのさ。善八は打ち首の寸前、人違いだ! って叫んでたらしいぜ。しかもだ、もう一つあるんだよ」
「もう一つ? どういうことです?」
「それがな、晒されていた善八の首が消えちまったんだよ。お咲が訴え出た翌日に、何故か首が消えちまった……おかしいとは思わねえか?」
左内の言葉を聞き、政吉の態度にも変化が生じた。眉間に皺を寄せ、表情も険しくなる。
「そいつぁ、確かに妙な話ですね」
「だろうが。こいつぁ、何か裏がある。そこで、ものは相談だが……」
そこで言葉を止め、左内は辺りを見回す。誰も見ていないことを確かめると、にやりと笑った。
「なあ、政吉……俺と組まねえか?」
「はい?」
思わず聞き返す政吉。だが、左内はお構い無しだ。
「いいか政吉……こいつには裏がある。俺としては、是非ともそいつを知りたいんだよ。だが、俺一人でやれる事には限界がある。そこで、お前らに協力してもらいたいんだよ」
「協力……てえと、いったい何をする気なんです?」
尋ねる政吉。彼は、左内の腹の中が読めずに戸惑っていた。この昼行灯は、何をやらかす気なのだろう。普段はけちな小悪党の上前をはね、大悪党には見て見ぬふり……それが、左内の日常であったはずだ。
なのに、今の話はどうだ……下手をすると、左内はこの事件を仕組んだ黒幕の手で潰されてしまう。打ち首にされるはずの盗賊が、寸前で無実の大工と入れ替わっていた……これは前代未聞の事態だ。それこそ、奉行所の存在そのものを揺るがしかねない。
政吉の言葉を聞き、左内は口元を歪めながら語り出した。
「なあ政吉……俺は怖いんだよ」
「怖い?」
「ああ。金さえあれば、黒も白に変わるのが奉行所だよ。そいつは百も承知だ。しかしな、今回ばかりはやり過ぎだぜ。極悪な盗賊の身代わりに、無実の男が首を斬られた……いくらなんでも、こんな話は酷すぎるだろうが。もしこれが、お咲の勘違いであってくれればいいんだがよ……」
「勘違いでなかったら、どうなさるんで?」
「そん時は……俺がこの手で片を付ける。今まで、正しい事や綺麗な事なんかありゃしねえってのは分かっていたさ。だがな、こいつは見逃せねえよ」
淡々とした口調で語る左内。一方の政吉は黙ったまま、左内の言葉をじっと聞いていた。この会話の行き着く先は、なんとなく想像できる。果たして左内を信用していいのかは、疑問であるが……。
だが、その後の左内の言葉は、政吉をさらに驚愕させるものだった。
「政吉、俺には分かっているんだ。今まで、お前らの手で何人もの悪党が殺られてるはずだぜ。岩蔵も、お前らが殺ったんじゃねえのかい?」
「……さあて、いったい何のことでしょうね」
笑みを浮かべながら、とぼける政吉。だが、その手は懐に呑んだ短刀へと伸びていく。
「とぼけるなよ……まあ、俺はお前らをしょっぴく気はねえ。だがな、こいつだけは引き受けてもらいてえんだよ。頼む」
そう言うと、左内は頭を下げた。
政吉は、その姿をじっと眺める。
「どうだかなあ……仮に俺が殺し屋だったとして、役人のあんたをどうやって信用しろっていうんだ?」
語気鋭く尋ねる政吉。その言葉遣いは、他の者に対するのと同じくだけたものになっていた。
「そうだなあ……俺も、お前らの仲間に入る。奉行所の同心が味方だってのは有利だぜ」
「まあ、確かに有利だよなあ……だが、なぜ俺と組むんだ? この江戸には、鳶辰の率いる辰の会がある。さらに、弁天の正五郎もいる。なのに、何で俺たちみたいな小さな所と?」
言いながら、政吉は左内を睨み付ける。
「そうだなあ……奴らは信用できない。奴らは金になるなら何でもやるだろう。だが、お前らは違う。俺は今まで、お前らの仕事を見てきた。お前らは外道じゃねえ……俺には分かるんだよ。どうせなら、外道じゃねえ奴らと組みたい」
左内の目は、真剣そのものであった。普段の昼行灯の面影はどこにも無い。政吉は、じっと左内の目を見つめる。
二人は黙ったまま、じっと睨み合う。だが二人の間では、言葉にならないやり取りがあったのだ……。
そして、先に目を逸らしたのは政吉の方だった。
「いいだろう。あんたと組むよ……ただし、一つ条件がある」
「何だ……言ってみろよ」
「あんたの手も、汚してもらうぜ。汚れ仕事だけ俺たちにやらせて、自分は高見の見物なんてふざけた真似は許さねえ。誰か一人は、その手で殺してもらおう……それが出来ねえなら、この話はなしだ」
そう言うと、政吉は懐に手を入れた。そして、入れてある短刀の柄を握りしめる。返答次第では、この場で刺し違えるつもりだ。
しかし――
「そうか……いいだろう。黒幕は俺が殺してやる。俺は最初から、そのつもりだったんだよ」
あっさりと、事も無げに答える左内。
一方、政吉は訝しげな表情で、じっと左内を見つめる。彼の真意を図ろうとするかのように……。
やがて、政吉は口を開いた。
「分かったよ……ただし、あんたが裏切ったら、俺たちみんな地獄逝きだ。その時は、あんたも必ず道連れにしてやるからな」




