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晴らせぬ恨み、晴らします(二)

 以蔵は、多助の手を引いて階段を上がって行く。お互い、一言も話そうとはしなかった。重苦しい空気が、両者の間に流れている。

 だが、その沈黙を破ったのは多助だった。

「以蔵さん、すまねえな。じゃあ、また来るぜ」

 そう言って、笑みを浮かべる多助。すると、以蔵の表情も和んできた。

「ああ……なあ多助さん、あんたが、私たちをどう思っているかは知らん。それは、あんたの自由だ。だが私は、あんたのことを仲間だと思っている。それだけは忘れないでくれ」

 以蔵の言葉は、優しさに満ちていた。多助は微笑みながら頷く。

「ああ、わかったよ」


 多助を見送った後、以蔵は地下室に降りて行った。部屋を覗くと、政吉は椅子に座ったまま、豆をぽりぽり食べている。

「政吉さん、次の仕事はどうなっているんだい?」

 以蔵が尋ねると、政吉は首を振った。

「いいや、まだ来てねえよ……仕方ねえから、大人しく蕎麦屋に精を出すとするかな。とりあえずは、明日の仕込みだ」

 そう言う政吉の表情は、若干ではあるが不機嫌そうだった。先ほどの多助とのやり取りのせいかもしれない。

「元締めも大変だね」

 以蔵のその言葉に、政吉は顔をしかめて見せる。

「よせやい……俺は元締めなんて柄じゃねえ。鳶辰じゃあるまいし」

 吐き捨てるように言ってのけた政吉。その反応を見て、以蔵は苦笑した。

 鳶の辰三たつぞう――通称・鳶辰とびたつ――は、江戸でも屈指の殺し屋集団である『辰の会』の元締めである。政吉たちとは、人数も規模も比較にならない。ただし、政吉は鳶辰とはそれなりに上手くやっており、お互いの組織がかち合ったりしないよう気を配ってはいた。

 もっとも政吉は、内心では鳶辰を毛嫌いしている。以蔵もまた、鳶辰のことは好きになれない。やり方があまりにも強引で、かつ残忍だからだ。


「ところで以蔵……多助とお松なんだが、お前はどう思う? 俺は今後も、奴らを信用していいのかね?」

「うーん……それについては私なんかより、本職のあんたの方が確かな判断が出来ると思うがね。どだい、私たちのやっているのは人殺しだ。自慢できる稼業じゃない。まともな人付き合いを求めるのは無理があるよ」

「ちっ、蘭学者くずれが……気取ってんじゃねえや」

 冗談めいた口調で言いながら、政吉は豆の殻を投げつける。以蔵は苦笑しながら、飛んできた殻をかわした。


 ・・・


 多助は杖を突きながら、剣呑長屋を通り過ぎて行った。そして、古い廃寺へと入って行く。そこはかつて刃傷沙汰があったとかで、誰も近寄らなくなってしまった場所なのだ。周囲は雑草が伸び放題で、虫や小動物の蠢く音が聞こえる。

 そんな中を、多助は慎重に進んで行く。

 やがて、崩れかけた境内の前で立ち止まった。

「お松、いるか?」

「いるよ」


 廃寺の中にいたのは……物の怪、と言っても差し支えないような外見の女だった。長く伸びたざんばら髪、左右で位置が擦れている目、そして曲がった鼻。唇は歪んでおり、さらに顔全体には、太い線のようなぎざぎざの傷痕が、何本も張り付いていた。

 だが、盲目の多助は全く怯まない。杖を頼りに、慎重に歩いていく。

 女の前に来ると、多助は懐から小判を一枚取り出した。

 そして、女に差し出す。

「お松……お前の取り分だぜ」

「ありがとさん」

 そう言うと、お松は小判を受け取り懐に入れた。一方、多助はその場に腰を下ろす。

「なあ、お松……お前の竹鉄砲だが、弾丸が飛ぶのはどうしても二間(約三・六メートル)までなのか?」

 多助の言葉に、お松は頷いた。

「そうだね……まあ、二間が限度かな。火薬を増やせば、こっちまで吹っ飛んじまう。下手すりゃ、あんたと同じめくらになっちまうだろうね。ま、面の方はこれ以上は崩れようがないけどさ」

 そう言って、お松は自嘲の笑みを洩らす。

 お松の使う武器は、竹製の火縄銃である。だが、射程距離は二間までだ。しかも、一発撃つと銃身が砕けて使い物にならなくなるのである。

 したがって、お松が仕事を行なう場合……標的となる相手に二間の距離まで近づき、分厚い毛皮の手袋をはめた状態で銃を構えて――でないと、撃った直後に自分の手が弾け飛んでしまう――一発で仕留めなくてはならない。

 もっとも、お松の銃の腕は確かである。あの徳田にしても、その気になれば一発で仕留めることは出来たのだ。

 それをしなかったのは、多助の意思だった。

(野郎には、刀の痛さを思い知らせてやりてえんだ……止めは俺が刺す)


 不意に、にゃあという声がした。そして一匹の三毛猫が、のそのそと歩いて来る。まだ体は小さく、仔猫と言っても差し支えないだろう。その三毛猫は多助には見向きもせず、真っ直ぐお松の元へとやって来た。喉をごろごろ鳴らしながら、頬を擦り寄せていく。お松は目を細めた。

「おやおや……どこ行ってたんだい、みけ太郎」

 言いながら、みけ太郎の背中を撫でる。すると、多助が首を傾げた。

「今、みけ太郎って言ったよな……そこにいる猫は、三毛猫なのか?」

「ああ、そうだよ」

「三毛猫って、ほとんど雌だと聞いたんだが……みけ太郎は雄なのか? 金玉ついてんのか?」

「いや、雌さ。あんたみたいな、下衆な金玉は付いてないよ」

「じゃあ、何でみけ太郎なんだよ?」

「いいじゃないか……名前くらい、好きなように呼ばしとくれよ。ねえ、みけ太郎」

 そう言うと、お松はみけ太郎を抱き上げる。みけ太郎は、彼女のなすがままになっていた。いつの間にか、お松に懐いていたらしい……。

「あんた、飯食っていくかい?」

 お松の言葉に、多助は微笑んだ。

「ああ、助かるよ」


 ・・・


 翌日。

 政吉は店を二人に任せ、大通りを歩いていた。聞いた話によると、この辺りで賭場が立つらしい。手持ちの銭は少々乏しいが、まあ何とかなるだろう――

「おう政吉、おめえこんな所で何やってるんだ? 店はどうした」

 聞き覚えのある、野太い声……政吉は、げんなりした表情で振り返る。

 そこに立っていたのは、肩幅が広くがっちりした体つきの目明かしだった。もともと強面の顔に、いかにも不機嫌そうな表情を浮かべながら十手をちらつかせている。

「これはこれは……源四郎の親分さんじゃありませんか。どうなさったんで?」

 政吉は、へらへら笑いながら揉み手をする。もっとも、この後どのような展開が待っているかは分かりきっているのだが……。

「いい年して、へらへらしてんじゃねえぞ……この唐変木が。おめえ、ちょっと面貸せ。聞きたいことがある」

 源四郎は苦虫を噛み潰したような表情で言うと、いかつい顔を近づけてくる……政吉は、反射的に顔を背けた。

「え、あっしに何の御用でしょうか――」

「いいから来い」

 そう言うと、源四郎は政吉の腕を掴んだ。そして強引に引っ張っていく。ひとけの無い裏通りに、政吉は連れ込まれた。


「政ちゃん……会いたかったわ……」

 人目が無い場所に来たとたん、女言葉でしなだれかかって来る源四郎……政吉は顔をひきつらせ、それをかわす。そう、この源四郎は厳つい外見とは裏腹に、心は女なのだ。

 そして幼馴染みである政吉に、未だに恋心を抱いている……。


「おい源の字、仕事が入ったんだろうが。さっさと教えろ」

 言いながら、政吉は源四郎の体を突き飛ばす。源四郎は拗ねたような表情を浮かべながらも、しぶしぶ口を開く。

「わかったわよ……今回の獲物は、やくざ者の一朗太とその子分二人。仕掛料は五両。どうすんの?」

「いいだろう、殺ってやるよ。詳しい話を聞かせろ」

 政吉が言うと、源四郎はさらに拗ねたような表情でこちらを睨んだ。

「もう、せっかちなんだからぁ。ところで政ちゃん……あんた、あの色男と浮気してないでしょうね?」

「色男って、以蔵のことかよ? 何で俺が、あいつと浮気しなきゃなんねえんだ……いいから、早く教えてくれ」




 その夜、『上手蕎麦』の地下室に三人の男が集まっていた。うち二人は、政吉と以蔵である。

 そしてもう一人は……見るからに不気味な男であった。前歯はほとんどへし折れており、顔は傷だらけである。鼻は曲がっており、耳たぶはまるで岩石のようにごつごつしている。さらに手のあちこちには、幾つもの巨大なたこが出来ていた。体は大きく、筋肉質である。先ほどから、苛々したような様子で首を回していた。


「いったい、いつまで待たせやがるんだ……多助の野郎は」

 男は吐き捨てるように言ったかと思うと、懐から胡桃くるみを取り出す。頑丈な殻のついた胡桃だ。しかし、男が指でつまむと――

 次の瞬間、殻は砕け散った。

「そう苛々するなよ、龍さん。多助さんは、もうじき来るさ。目が見えないんだから、遅いのも仕方ないだろう」

 以蔵が取り成すような口調で言う。しかし、龍と呼ばれた男は納得できない様子だ。苛ついた表情で、胡桃を口に入れる。前歯は無いが、奥歯は残っているらしい。胡桃を噛み砕く音が聞こえてきた。


 政吉、以蔵、龍、そして多助とお松……この五人は仕掛屋という裏稼業をやっている。晴らせぬ恨みを抱く依頼人から金を受け取り、許せぬ人でなしを消す……という稼業だ。まとめ役の政吉が仕事を請け負い、以蔵と龍、多助とお松の四人が実行役である。もっとも、標的となる者の数によっては、政吉が動く時もある。

 そして、先ほどから苛々した態度で座っている龍は……顔つきからは想像もつかないが、五人の中でもっとも若い。気が荒く直情的で喧嘩っ早いが、どこか素直な部分もある。仕事の方も、真っ正面から力ずくで潰しにかかるようなやり方が多い。


 その時、上から戸を叩くような音……次いで、かすかではあるが声が聞こえてきた。

「上手蕎麦の政吉さん、あっしですよ……多助です。揉み療治に参りました。開けておくんなせえ」

「やっと来やがったか……以蔵、入れてやってくれ」

 政吉が言うと、以蔵は頷いて立ち上がった。


「よお、めくら……遅いじゃねえかよ」

 苛立った口調の龍……しかし、多助は愛想笑いで応じた。

「いやあ、すまないこってす。ちょいと色々ありましてねえ……で、今回の仕掛はどうなんで?」

「標的は、やくざ者の一朗太と、その子分の利吉と為三だ。仕掛料は一両ずつ。お前ら、どうするんだ?」

 政吉が尋ねると、多助が口を開いた。

「そいつら、何をやったんで?」

「何をやった、って言われてもな……あちこちで悪さしてる下衆野郎、としか言いようがねえ。その三人のやらかした悪さをいちいち挙げていたら、明日までかかるぜ」

 政吉の言葉に、多助は苦笑する。

「そうですかい。ろくでなし、だってことさえわかれば――」

「おい多助……やりたくねえなら降りろ。俺が三人まとめて殺ってやるから」

 口を挟んだのは龍だ。凶暴な目で多助の顔を睨みながら、胡桃を懐から取り出した。

 そして、殻を一瞬で握り潰し、実を口の中に放り込む。

 しかし――

「龍さん、やらねえとは言ってないですよ……政吉さん、俺とお松にやらせてください」

 そう言うと、多助は右の手のひらを突き出す。

 政吉は、その手のひらに小判を一枚握らせた。

「じゃあ、二人まとめて殺ってくれ……そうそう、人相書きと似顔絵もある。こいつを、お松さんに渡しておいてくれ」

「へえ、わかりやした……いつもすみませんねえ。じゃ、失礼しますよ」

 そう言うと、多助は立ち上がった。そして以蔵に手を引かれて去って行った。

「政吉さんよう……俺はどうも、奴らが気に食わねえんだよ。あの多助は、とんでもねえ嘘つきなんじゃねえかって気がするぜ」

 龍は、声をひそめながら言った。だが、政吉は首を振る。

「龍……この裏稼業じゃあな、嘘つきじゃないと生き延びられないぜ」

「いや、俺の言ってるのはそういう意味じゃねえよ。あいつは、どうも信用できねえ。銭次第で、どっちにでも転びそうだよ」

「いや、奴らは他の連中とは組まねえさ」

「はあ? 何で分かるんだよ?」

 不思議そうに尋ねる龍。その時、以蔵が下に降りて来た。

「多助さんは帰ったよ。二人で明日、仕事に取りかかるそうだ」

 以蔵の言葉に、政吉は頷いた。

「すまねえな以蔵。で、龍よう……さっきの話の続きだが、多助はめくらだ。お松という用心棒はいても、結局は不安なのさ。だからこそ、俺たちみたいなのと組んでる。奴らは、俺たち以外に信用できる人間がいねえんだ。お互い持ちつ持たれつ、って奴だよ」

 政吉の言葉に、龍は首をかしげた。

「そんなもんかねえ……俺には分からねえよ」

「お前は分からなくていいんだよ。それより、前金の二分だ。渡しとくぜ」

 そう言うと、政吉は二分金を差し出す。龍はにやりとしながら金を受け取り、そして立ち上がった。

「ありがとさん。じゃあ、仕事にかかるか……」






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