あなたのお命、貰います(二)
「は、はい?」
驚愕の表情を浮かべ、思わず聞き返す以蔵……しかし、中村左内はすました表情だ。
「ああ。政吉の野郎には、ちょいと聞きたいことがあるんだよ。帰ってくるまで、ここで待たせてもらいてえんだがな。流行ってる店じゃねえんだし、別に構わないだろうが」
左内はそこで言葉を止めた。以蔵の顔をじっくりと見つめる。
「それとも何か……十手持ちの俺に店に居られたら、何か困ることでもあるのかい?」
「え……いえいえ、そんなことは有りませんよ」
そう言って、以蔵は微笑む。
もっとも、内心では動揺していたのだが。一体、どういう訳なのだろうか。定町廻りの同心が、わざわざこんな蕎麦屋に現れる……妙な話だ。
噂によると、この中村左内という同心は昼行灯と呼ばれているのだという。役立たず、という意味だ。実際、同心としてはお世辞にも優秀とは言えない。しかも、町でちんけな悪党からけちな小銭を掠め取るのを生き甲斐にしているような男でもある。
現に以蔵は、泥棒市をうろつく左内を見たことがあるのだが……あちこちの店を回っては、袖の下を要求しているような動きをしていた。同心としての職務など、完全にそっちのけである。さすがの以蔵も見ていて呆れ返り、頭を抱えてしまったくらいだ……。
そんな左内が、いったい何をしに来たのだろうか?
政吉が博打好きであることを嗅ぎ付け、たかりに来たのだろうか。いや、その程度ならまだいいが……ひょっとしたら、裏稼業に関する話であろうか。
不安を感じながらも、以蔵は素知らぬ顔で仕事を続けた。
「おい以蔵、帰ったぞ……おやおや、これは八丁堀の旦那さん、どうなさったんでしょうか?」
博打で負けたのか、憮然とした表情で帰って来た政吉……しかし、左内の姿を見るなり態度を一変させ、愛想笑いを浮かべながら揉み手をして見せる。
「まあ、大した用事じゃねえんだよ。ちょっとした世間話みたいなもんだ……しかし、お前はいいご身分だなあ政吉よ。俺もお前みたいになりてえよ。人を働かせておいて、昼間からふらふらと遊び歩いて……羨ましいぜ」
政吉をじろりと睨み、呆れたような口調で言う左内……だが、政吉は怯まなかった。へらへら笑いながら頭を掻く。
「いやあ、そんな大したもんじゃないですよ。店の景気も、大して良くないですしね」
「その割には、あちこち遊び歩いているそうじゃねえか。あっちでふらふら、こっちでふらふら……ちったあ真面目に働け、この遊び人が」
「へえ、こりゃ痛い所を突かれましたな。お恥ずかしい話です。それにしても、あっしのことをそこまでご存知とは……さすが、八丁堀の旦那だ」
へらへら笑い、ぺこぺこ頭を下げる政吉。だが内心では、左内がここに来た理由を必死で推理していた。目の前にいる同心は、この辺りでは評判の昼行灯だ。実際、仕事をしている姿は見たことがない。したがって、自分たちの裏稼業に気づくとは思えないのだが……。
自分が賭場に出入りしていることを知り、たかりに来たのだろうか?
「けっ、心にもねえ事を言いやがって。まあ、んなこたぁどうでもいいんだよ。そんなことより……」
そこまで言うと、左内はいったん言葉を止めた。そして辺りを見回す。誰も見ていないことを確かめ、左内は手招きした。いかにも怪しげな顔つきだ。
訝しげな表情を浮かべ、顔を近づける政吉。すると、左内は耳元で囁いた。
「なあ政吉、何かいい儲け話はねえのかい。あったら、俺にも頼むぜ」
「へっ? いや、はい?」
思わず口ごもる政吉……この同心は何を言っているのだろうか。そもそも知っていたとしても、同心相手にそんなことをべらべら言えるはずがない。
だが、当の左内の目は真剣そのものだった。
「なあ、いい儲け話があるなら、俺も一枚噛ませてくれよ。このところ、懐が寂しくてな」
「ま、またまたご冗談を――」
「いや、俺は本気だよ……近頃は岩蔵の奴がうるさくてな。袖の下も貰いにくくなってんだよ。困ったもんだぜ」
「へ、へえ……そうなんですか。まあ、岩蔵の親分さんは厳しいですからね」
「厳しい? 何言ってんだよ。あいつは厳しいんじゃねえんだ。あいつはな、気違いなんだよ。何も分かってねえのさ」
吐き捨てるように言った左内。政吉は何と言ってよいのか分からず、あやふやな笑みを浮かべて誤魔化した。
だが、左内はお構い無しに言葉を続ける。
「いいか、悪党だからといって拷問で口割らせるような真似してたらな、間違いも起きるし恨みも買いやすい。ところがだ、あの馬鹿はそこん所が分かってねえ……あいつはやり過ぎた。あちこちの人間から恨まれてる。その中には、裏の大物もいるんだ。あいつも、もう長くはねえだろうな……物事はな、程々ってのが肝心なんだよ。過ぎたるは及ばざるが如しだ」
そう言った後、左内は注意深く辺りを見回した。
「政吉……今のは、ここだけの話だからな。もし、よそで今の話をべらべら喋りやがったら、適当な理由つけて番屋にしょっぴいてやるからな。あと、いい儲け話があったら、俺んところにも回してくれよ」
そう言った後、左内は立ち上がった。
「さあて、そろそろ引き上げねえと怒られちまうぜ。邪魔したな。気が向いたらまた来るぜ……さっきの話、考えておいてくれや」
その夜、政吉は一人でじっと考えていた。
先ほど、中村左内の言っていたことは……果たして本気なのだろうか。確かに、左内はせこい男だ。一人で町をうろついては、あちこちの子悪党から小銭をせびっている。そう、左内は金にはうるさいが……法の番人たる意識は薄い。金次第で何とでもなる男だ。
もし、同心の左内を味方に引き入れられたら……源四郎よりも、遥かに役に立つだろう。
だが、政吉はその思いつきを即座に否定する。金次第でどちらにも転ぶ人間は、はっきり言って信用できない。
今、仕掛屋にいる以蔵、龍、それに多助とお松……皆、裏の世界でも外れ者である。政吉という男がいるからこそ、初めて裏の世界と関われるのだ。だからこそ、おいそれと裏切ったりはしないだろう……という計算が成り立つ。
しかし、左内の場合はそうはいかない。同心ともなると、引く手あまただ。特に鳶辰のような大物ともなると、金を積んで自分たち仕掛屋の情報を売らせるような真似をするかもしれない。
仕掛屋のような小さな組織は……闇に潜み、人混みに紛れているからこそ存続できるのだ。
「政吉さん、あの同心は何用だったんだい?」
以蔵の問いに、政吉は顔をしかめた。
「あの昼行灯、いい儲け話はねえか……だとさ」
「え……」
さすがの以蔵も、困惑したような顔つきになる。政吉は手を伸ばし、豆の入った袋を手にした。
「ああ。訳が分からねえんだよ、あの野郎は。まあ、冗談だと思うけどな」
言いながら、政吉は豆を口に入れる。
「なるほどね……だが、もし本気だったらどうするんだい?」
以蔵が冗談めいた口調で尋ねる。
「さあて、どうするかな……」
だが翌日、政吉が町中を歩いていた時――
「政吉、おめえ何やってやがる」
源四郎の野太い声が、背後から聞こえてきた。どうやら、仕事の依頼が来たらしい。政吉は愛想笑いを浮かべて振り返る。
「あ、こりゃ源四郎の親分さん。あっしに何か用でしょうか?」
「まあ、用ってほどじゃねえんだがな……ちょいと面貸せ。おめえに聞きたいことがあるんだよ」
そう言って、源四郎は政吉の腕を掴んだ。そして強引に引っ張って行く。
だが、その後の話は政吉を仰天させた。
「鬼面党だあ?」
思わず聞き返す政吉。
「そ。近頃あっちこっちを騒がせてる……盗賊の鬼面党よ」
「あのなあ、火付盗賊改方が追いかけてるような連中だぞ。俺たちにやれる訳ねえだろうが。断ってこい」
政吉はそう言った。しかし、源四郎の表情はいつになく堅い。
「そうしたいのは山々だけどね……無理なのよ」
「はあ? どういう意味だよ?」
「だって……依頼人はもう、この世にいないから」
「……どういう意味だよ? 説明しろ」
「依頼人はね、もう死んでるのよ」
先日、鬼面党が乾屋という商店に押し入り……店の主人と家族それに番頭や奉公人を皆殺しにした時のことだ。
その現場に、真っ先に駆けつけたのは源四郎であった。店の中に入り、死体があちこちに転がる凄惨な中を歩き回る……だが、その時――
「あ、あんた……」
微かな声が聞こえた……源四郎がそちらを見ると、死体の中で一人だけ動いている者がいる。確か、番頭の佐吉だったはず。
「おめえ大丈夫か!」
源四郎は慌てて抱き起こす。しかし佐吉の顔を間近で見た瞬間、助からないことを悟った。傷は深く大量の血が流れ出している上、顔は土気色だ。もう、あと一刻ももたないだろう。
「頼む……これを……」
佐吉は震える手で、懐から金を掴み取り、それを源四郎に突き出す。
「この金で……奴らを……奴らの一人は……仙一という名だ……頼む……この恨みを……」
その言葉を最後に、佐吉は息絶えた。
「だったら、それを洗いざらい奉行所に言えよ……俺たちゃ仕掛屋だぜ――」
「でも、依頼されたのよ。金も受け取ったし……」
そう言うと、源四郎は拗ねたような目付きで政吉を見つめる。
政吉は、あまりのおぞましさに目を逸らした。この源四郎には、妙な正義感がある。奉行所には手が出せない、許せぬ人でなしを消すことこそ仕掛屋の本分……そう信じているのだ。
もっとも、政吉もそれは同じである。ただ政吉は、仕掛屋を商売として捉えている部分の方が大きいが……。
「ねえ政ちゃん、お願いお願いお願いお願い……」
お願いを連呼しながら、迫ってくる源四郎……政吉はめまいを起こしそうになった。
「ええい、うっとおしい! わかったから近づくな! やってやるから!」
「ありがと。だから政ちゃん好き。あと、こんなの拾ったんだけど……」
翌日の夜、政吉は店の地下室に皆を集合させた。
「今回、依頼人は既にくたばってる。しかも、相手は鬼面党だ……お前ら、やるかい?」
政吉のその言葉に対し、真っ先に反応したのは多助だった。
「で、仕掛料は幾らなんです?」
「五両だ」
即答する政吉……多助は苦笑した。
「五両となると、一人一両ですかい。極悪な盗賊団を一両で仕留める……そいつぁ、割に合わない仕掛ですねえ」
そう言いながらも、多助は手のひらを突きだしてきた。
その動きを見て、訝しげな表情を浮かべる政吉。
「多助さん、この手は何だよ? やるのか?」
「やりますよ……依頼人が仏になってるとあっちゃあ、断る訳にはいかないですからね。しかも、鬼面党は仕事が荒すぎる。女子供まで皆殺しですからね。盗人なら盗人の仁義ってものがあるはずでさあ。その最低限の仁義も守れねえような屑は……さっさと地獄に送ってやりましょうや」
「わかった……じゃあ頼んだぜ。二人分の前金だ」
そう言うと、政吉は突き出された手のひらに一両を乗せた。
そして、龍の方を見る。
「龍、お前はどうするんだ?」
「やるよ……ただ、一つ確認しときてえんだけどな、鬼面党のうちの一人……そいつの名前は、仙一なんだな?」
「ああ、そうらしいぜ。死にかけた奉公人が、連中の話を聞いていたんだとさ」
「……わかった」
龍は複雑な表情を浮かべて頷いた。
「しかし、手がかりが仙一って名前だけじゃあねえ……江戸に仙一って名前の男が何人いるか、数えあげたらきりが無いよ。政吉さん、他に手がかりはないのかい?」
以蔵の問いを聞き、政吉は懐に手を入れた。
そして、くしゃくしゃになった紙切れを机の上に置く。
「こいつがな、店の前に落ちてたらしいんだよ。手がかりと呼べるかどうか分からんが、藁にもすがる思い……って奴だな」
机の上に置かれた物……それは、おみくじだった。凶と書かれている。
「凶のおみくじとは、ずいぶんと不吉だね。しかも、殺しの現場にあったものだろう……政吉さん、こんな物が手がかりになるのかい? どっかの馬鹿が、道端に捨てていったのかもしれないよ」
以蔵の言葉を聞き、苦笑する政吉。
「ああ、そうかもしれねえな。しかし、乾屋の表に落ちてたのは、これだけだ。鬼面党の一人が落としたのかもしれねえよ……とにかく、やると決まったなら当たってみようぜ」
そう言って、政吉は皆の顔を見る。その時、龍が浮かない表情をしているのに気づいた。
「おい龍、どうしたんだ? さっきから元気ねえじゃねえか。らしくもねえ」
「あ、ああ……別に何でもねえよ。とにかく、その鬼面党ってのを殺ればいいんだろ。殺ってやるよ」
そう言って、龍は前金の二分を掴み取った。




