秋の長夜の紅き月 その9
秋の長夜の紅き月 その9
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頭を何度か振りながら、朦朧とする意識を無理矢理覚醒させながら紅は立ち上がった。飛ばされたときの衝撃は運良く後ろにあった段ボールが吸収してくれたため、体にはさほどのダメージはない。
刀を構え直し、斧を持つ警官を睨み付け、命をかけた戦いに意識を研ぎ澄ます。
「お嬢さん、なかなかやるね。でももうお遊びは終わりだよ」
そう言った警官が、斧を振り下ろした。
今、紅と警官との距離は有に5メートルは離れている。とても、斧の刃が届く間合いではない。それにも関わらず、警官は斧を振り下ろした。
その行為に意味がないとは思えない。
何が目的であるかのは分からない。
ただ、感じるのは嫌な予感それだけであったが、紅は迷わず横へと飛んだ。
「へ? こんなのありなの?」
紅の予感は正しかった。斧の射程距離外にも関わらず、紅の後ろにあった段ボールが真っ二つに分かれていたのだ。
いや、射程距離外というのもおかしいだろう、今は充分に射程距離内だ。
あの、ゆうに5メートルはある氷の刃を付けた、斧ならば。
「これが、この斧の真の力。分かっただろうけど、これでお嬢さんには勝ち目がないよ」
警官が氷の刃を付けた斧を構え直す。
紅も刀を構えるが、どうすることも出来ない。
圧倒的なリーチの差がある。常識で考えれば、あれだけ間合いの大きな武器は懐に飛び込めば、リーチの短い紅に分があるように思えるが、そもそも常識で考えればあれだけの大きさの武器を振ることなど人間では出来ない。
敵のポテンシャルが全く分からない以上、迂闊に切り込めば逆に斬られてしまう可能性だってある。
「Samurai girl, make up the fire!」
流暢な英語が聞こえてきた。
勉学が得意ではない紅は、その全ての発音を聞き取れた訳ではない。
辛うじて、最後の”fire”という小学生でも知っている単語だけが聞き取れた。
謎の英語に、紅の集中力が刹那途切れるのを警官は見逃さなかった。
全体重を乗せるように一歩を踏み出し、氷の刃を持つ斧を横薙ぎに振り抜いてきたのだ。
「どういう意味なんだよ!!」
紅は刀を地面に突き刺した。
後ろに逃げようとも、あの氷の刃がさらに伸びるかも知れない。
逃げを取り、無防備な状態をさらけ出すより、一か八かで氷の刃を受け止める選択をしたのだ。
しかし、あの警官の人並み外れた腕力を果たして受け止められるのか?
不安が残る。
どうすれば、あの氷の刃に勝てる。
全体重を日本刀に預けながら熟考する。
”fire”
日本語にすれば、『炎』
それが答えだった。
斧が刀とぶつかる。
そして、紅の目の前だけを氷の刃が通り過ぎた。
「え。なんだよこれ!?」
紅は呆然とした表情で、刀を持ち上げた。
彼女が手にするその刀はもはや、ただの日本刀ではなかった。
その日本刀には、研ぎ澄まされた刃の変わりに、燃えさかる炎が巻き付けられていたのだ。
自らが持つ日本刀に起きた現象は理解出来なかったが、躊躇うことなく紅は警官に向かって走り出した。
物事に理屈なんて必要ない。
それが、こんな紅い月が浮かぶ世界ならなおさらだ。
大切なことはただ一つ、この炎を纏った刀なら、あの氷の斧に対抗する事が出来る。
「はああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
紅の一閃。
炎の刀が警官を一刀両断すべく振り落とされる。
斧で受け止めることを諦め、警官は後方へと逃げる。
しかし、紅の踏み込みは迷いが無く、何処までも真っ直ぐだった。
見切りを誤った警官の額に、うっすらと血が滲み出ている。
致命傷には至らず、皮膚を一ミリほど切りつけるだけにとどまっただけだが、勝敗を決するにはこれで十分であった。
「まだやる?」
炎の刀を構え、紅が静かに問いかける。
技量は同等、力で言えば警官の方が有利である。
しかし、炎の刀と氷の斧。
技量や力量ではカバーしきれない圧倒的ハンデがここには存在していた。
斧を構えたままゆっくりと後退していた警官は、完全に紅の射程距離外に出た瞬間、迷わず後方へと退いた。
とても人間とは思えない脚力で、あっという間に姿が見えなくなる。
「月島さん」
追うのを諦め、小さく深呼吸をして、紅は己の気分を抑制する。
研ぎ澄まされていた精神が鞘に収まっていくように静まっていく。
三度、深呼吸をすれば、いつもの紅へと戻っていた。
そして、そんな彼女の元へ、小夜子ともう一人、真っ黒な法衣に身を包んみ、煌めく金髪が美しい女性が紅の元へ走ってきた。
「長沢、大丈夫だったか? それとそっちは誰だ?」
戦いが終わった瞬間、纏っていた炎が消え、元の姿へと戻った日本刀を鞘へと戻すが、柄から手を離すことはしない。
見知らぬ金髪碧眼の女性が少しでもおかしな真似をした瞬間、迷わず抜刀出来るように、警戒心は緩めない。
明らかな警戒心を向けられ、オータムは逆に安堵した。
こんな異常な世界に置いても、彼女は当たり前の行動を取っている。
それが何よりも大切なことだったから。
どうやら、魔術師ではないようだが、日本刀を使い、炎を生み出した所を見るに魔術師としての素質はかなり高い。
オータムが魔術を使えない、今、生き残るためには手段を選んではいられない。
「My name is Autumn S Orion」
オータムはそう言うと友愛を示すべく右手を紅に差し出した。
紅はしばらくは怪訝そうに差し出された手を見ていたが、ややあってその手を握り替えした。
正体はよく分からないが、先程の警官に感じていた気味の悪い感覚は感じなかったし、その碧眼が僅かにだが、不安げに揺れているのが見えたから、まずは悪人ではないだろうと判断したのだ。
「僕は、月島紅。よろしくね」
「kurenai and sayoko OK」
オータムはそう言うと紅が手に持つ日本刀に目をやった。
それは紛れもなく、この地でオータムが最初に狩った悪魔が持っていたあの刀であった。
誰も巻き込みたくないから、この紅い月が昇る結界を作ったのと言うのに、長沢小夜子、月島紅という二人の一般人を巻き込んでしまった。
しかも、それだけではなく、自分はこれから彼女らの力に頼ろうとしている。
情けなかったが、もはや道はこれしか残っていない。
「二人とも、きいてほしいの Please lisetn to my plan」
まだ言い慣れていない日本語に四苦八苦しながらもオータムは二人に語り出した。
この世界のことと作った理由。そして、自分の体に施された魔法のことを。
すべて、包み隠さずに、ありのままを。
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斧を肩に担ぎ、警官の姿をした悪魔は暗闇の路地の中、敗退の道を進み続けていた。
幾ら魔力の媒体に適している刀を持っていたとは言え、ただの人間が魔術を使ってしまうなどとは予想外だった。
炎と氷の戦いではどうやった所で氷の方が分が悪すぎる。
逃げる自分へ何度も言い訳を呟きながら、暗い路地を走り、仲間たちがいる場所に向かっていた。
「みなさん、探しましたよ」
警官はやっと、三人の悪魔を見つけた。
一人は、まるでミュージシャンのように派手な黒いコートを着た筋骨逞しい男性。
一人は、口元に豊満な白ひげを生やし杖をついて歩いている年寄りの男性。
一人は、大きなツインテールが印象的だが、何処にでもいそうな女子高生で、ブレザーを着た女性だった。
「あ、斧め~っけ。あらあらどうしたのそのおでこの傷、まるで誰かに斬られたみたいに見えるけど」
「その切り口、刀じゃな」
「っけ、魔術師め魔術が使えなく持て武器で戦う気か」
「ふふふふ。お~じょうぎわの悪い魔術師さんですね~」
「これぐらいが良かろう。ただ殺すだけでは面白くもない物じゃしな」
「っけ。俺が切り刻んでやるさ」
三人の悪魔達は各々に語りながら、歩き続ける。
仲間であるはずの警官にはもはや目もくれない。
まるで彼が電信柱でもあるかのように気にもとめず歩き去っていく。
「あ、皆さん、待ってください」
警官が慌てて、三人を呼び止めるが、やはり、誰も止まってくれない。
唯一、女性だけが後ろを振り返って笑いかける。
「ふふふふ。鞭がね、魔術師を殺すようにって言ったの~。私たちはこれから魔術師を殺しに行くんだけど、すでに負けちゃった斧はもう用無しなの~。鞭の招集にも来なかったし、魔法の使えない魔術師には負けるし、きっと鞭はカンカンに怒ってるよ~。せいぜい殺されないようにがんばってね~」
女性はそれだけ言うと前に向き直り、紅い月によって照らされた暗闇の中に消えていった。
そして、三人と変るように紅光の暗闇から現れてきたのは全身を血で染め上げたかのような真っ赤な姿をして、手に鞭を持った女性だった。
「鞭・・・・・・」
斧を持つ警官は恐怖と緊張で体を強ばらせた。
金縛りにあい、その上、心臓を素手で鷲づかみにされたかのような圧迫感が全身を支配する。
「あなた、負けたの?」
血色の真紅石が首を傾げて尋ねる。
もし、「はい」と素直に答えれば彼女の持つ鞭がその瞬間、警官の胸に突き刺さるのは確実である。
警官はその真実を口に出した言うことが出来ず、あろう事か逆に己が武器である斧に氷の刃を装着し、血色の真紅石に向かって斬りつけたのだった。
「うあわあああああ!!」
しかし、血色の鞭が一振りされ、氷の刃とぶつかり合った。
ただそれだけのことで、氷の刃だけが無惨に砕け散ったのだ。
数多の魔術師を返り討ちにし続けている生きた伝説である血色の真紅石に傷一つ負わせることすら、ただの悪魔にすぎない警官には不可能なのだ。
水晶のように砕け散った氷が舞い降りる中、血色の真紅石はもう一度首を傾げ、静かに問いかけた。
「あなた、負けたの?」
まるで血が煮えたぎったような色をしている血色の真紅石の瞳。
警官は恐怖に耐えきれずに悲鳴を上げながら逃げ出してしまう。
血色の真紅石はそんな警官の後を何事もなかったかのように追うのだった。
まるで、逃げた獲物を追いつめる狩人がごとく、確かな足取りを持ってして。