秋の長夜の紅き月 その7
秋の長夜の紅き月 その7
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空には雲一つ無く、綺麗な星空と不気味な紅い月の姿が嫌でも目に入ってきてしまう。
そんな血の雫を垂らしたかのような空から、雷音が轟き渡った。
「はあああああ」「ふん」
その轟音が始まりの合図となった。日本刀を持った紅と、斧を手にした警官が同時に駆け出す。
二人が持つ刃が共に月光を紅く反射しあいながら、何度も、何度もぶつかり合う。
金属と金属、刃と刃、そして、命と命がぶつかり合う甲高い音が、この世界で唯一の観客である小夜子の耳へと入っていく。
紅に照らされた世界で奏でる、無骨な合唱。
どんなに言葉を取り繕っても、美しいとは言えないその音色こそ、この血のような紅に照らされる世界には似合っていた。
しかし、音楽はいつか終わりが来てしまう運命を持っている。
今宵、月下の元で繰り広げられた音楽も今、終わりを迎えた。
何も出来ない小夜子が見つめる先で、紅が片膝をついた状態で、日本刀の上から押さえつけられいる斧の重みに耐えている。
「お嬢さん。なかなかの腕前だね。その腕で悪魔になればそれなりに名をあげることが出来るよ」
「そう。驚いた? 僕、剣術にだったら自信はあるんだ」
「ふん。でも所詮は女でしかない。このまま私が力で押し勝つよ」
命を奪うかも知れない行為だというのに、悪魔のごとき笑みを浮かべた警官は躊躇わなかった。
両手で握りしめた斧に全体重を乗せてくる。
このまま日本刀ごと紅の肉を切り裂くつもりだ。
為す術のない紅は、呻き声を上げながらも必死に耐えていくが、徐々に斧の力が紅を追いつめていく。
コツンという音と共に、日本刀の逆刃が紅の額に当たった。
そして、またしても、前触れ無く音が響き渡った。
ただし、先程のような轟音ではない。
まるで破裂音、それれも、たとえが悪いが、もし、生き物が体の内側から爆発すればこんな音が聞こえてくるのかも知れない。
そう思ってしまうほどに吐き気を催す音であった。
否応なく、集中力がその破裂音へと殺がれてしまう。
「ていっ!!」
何時、如何なる状況においても、平常心を忘れることべからず。幼少の頃より、剣術の心を叩き込まれていた紅は、刹那の隙を見逃すことはなかった。
突然の音に、集中力を殺がれたため押し込んでくる斧の力が弱まった。その隙をつき、全身をバネにして斧を振り払う。
相手は体勢を崩している。このまま追撃すれば、勝負を決められるかも知れない。
しかし、紅は事を急ぎはしなかった。
斧を持つ警官からあえて、距離を取り、ゆっくりと後退していく。
視界から、斧を持つ警官を外すことは出来ないから、気配だけを頼りに彼女の側まで近寄る。
「長沢。今の音聞いたでしょう」
「え、はい」
「あれ何かの爆発音だった。もしかしたら僕たち以外のこの世界に残っていた人がやったのかもしれないよ」
「それって・・・・・・・」
自分は考えもしなかった可能性に、小夜子は目を見開くと共に、目の前の同級生へ対して感嘆の想いを抱く。
自分はただ見ていることしか出来なかったというのに、彼女は生死をかけた戦いの中にあったというのに、冷静に事態を見渡している。
敗北感という言葉さえ生まれてこない程の圧倒的な壁が自分と彼女の間にそびえ立つのを小夜子はまざまざと感じ取った。
「まだ全然分からないけど、もしかしたらいるかもしれない。ここは僕がどうにするから長沢はあの爆発があった所に行ってみて」
「あ、分かりました」
迷いは無かった。
迷うなんて選択肢すら小夜子には用意されていなかった。
紅と警官の戦闘を見ているだけで、足がガクガクと震えだして、立っているだけで精一杯だったのだ。
あの血で全身を染め上げたかのような女性と出会ってから、ずっと”怯え”という感情だけで死ねるほどの恐怖を味わい続けているというのに、小夜子の体はいまだに恐怖への耐性が身に付かない。
小夜子の反応は、一般から見ればきっと正常な感覚なのだろう。
しかし、この紅い月に照らし出された世界では、そんな普通の感情こそが異常なのだ。
戦わねば、狩らねば、自分が死んでしまう。
至極、簡単な理屈だ。
小夜子は、逃げ出したかった、この紅い月の下から。
でも、逃げ出す方法なんて分からない。
怖かった。
せめて目の前の恐怖からは逃げ出したかった。
だから、力無き彼女は逃げ出した。
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真っ赤な月明りが照らす中、オータムは時が流れるのをただ待っていた。
粉塵が舞い上がり、焦げた香りが漂う中、風がそれらをぬぐい去っていくのを待ち続けた。
はたして、血色の真紅石を倒せただろうか。
そんな自問に対する解が見えた。
解は否である。
「Damn it !」
徐々に鮮明になっていく景色の中、オータムは赤を見た。
まるで、血で塗りたくられた吸血鬼のごとき、真紅の双眼がそこにあった。
シュンッ
音が聞こえた。
そう思ったときには既にオータムの首に鞭が巻かれていた。
血色の真紅石は地上に堕ちたはずであった。
にもかかわらず、血色の彼女は、今、オータムの眼前にいる。
これが、血色の真紅石の実力だというのだろうか。
「Win・・・・」
呪文を唱えようとしたが、鞭の拘束が強まり、気道を確保するのすら困難になってしまう。
「くるしい?」
まるで、子供が昆虫を殺すかのような、邪気のない声がオータムの耳朶を打つ。
しかし、意識が少しずつ薄れ始めた彼女は何も言い返せない。
ただ、声にならないうめき声を出してオータムがもがき苦しむのみだ。
「ぁぁ・・・ぅぁ・・・ぁ」
肺は空気を求めているのにそれを送ることが出来ない。
生きるために必要な最低限の行為さえ出来ず、魔術師は死に行く自分の幻想を見た。
そんな陸に上がった魚のごとき女性を血色の真紅石が鞭ごと引き寄せ、耳元で甘く囁いた。
「熱いのはお好き?」
血のように赤い二つの唇が重なり合う。
異変が、血が巡るかのように瞬く間に体中へと広がった。
まるで血管を通っている血液が沸騰しているかのように体が熱い。
ただそれだけが、耐え難い苦痛となってオータムを襲う。
両手で自分の肩を抱いた。燃えさかる自分の体を押さえつけようとするが上手くはいかなかった。逆に手に持っていた杖を地上へと落としてしまう。
「あああ。あつい」
魔術師は、うめき続ける。
集中力も体の熱さにそぎ落とされ、魔法を維持することさえ出来なくなってしまった。
熱い。熱い。熱い。
血色の真紅石の魔術に囚われてしまった魔術師は、もはやそれしか考えられなかった。
「気に入ってくれた?」
重力に逆らうことが出来なくなり、今度はオータムが大地へと堕ちていく番だった。
為す術無く、燃えさかるような体に意識を蝕まれながら、その体に敗北という烙印をおされた魔術師が最後に見た物。
「もう終わりなの?」
それは、首を傾げて残念そうに笑う、血色の真紅石だった。