秋の長夜の紅き月 その6
秋の長夜の紅き月 その6
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「じゃあ、月島さんも何でこんな世界になったのか分からないの」
セーラー服を着た二人の女子高校生しかいない交番。
そこで小夜子と紅は互いの身に起きたことを話していが、2人の身に起きた出来事は場所こそ違えど、何一つ変わらない物であった。
気がついたときには、世界から人々から消えてしまっていて、紅い月が浮かんでいた。
それだけだ。
「うん。この刀で剣道部の奴らを追い払ったから、人がいなくなったのはその後ってことなんだろうけど・・・・・・・それ以外はちょっと僕には分からないよ」
日本刀を胸に抱きしめながら紅は困ったような表情を浮かべる。
世界の最後を見てきたかのような小夜子のやつれた表情と対照的なはにかんだ笑顔である。
こんな状況でも、そんな笑顔を浮かべることが出来るのは、ひとえに紅の強さなのだろう。
小夜子は胸に手を当てて、瞳を閉じた。
そして、一度大きく深呼吸して、心を落ち着かせる。
何で、こんな事になったのは未だに分からない。
元に戻す方法があるかも分からない。
その上、この世界にはあの全身を血で染め上げたかのような女性もいる。
考えれば考えるほど、絶望的な状況だが、月島紅と出会うことが出来た。
それは希望だった。
一人じゃない。
そう思えるだけで、心の枷が幾分と軽くなった気がした。
「その刀でって……。でも、それは本物なの?」
「うん。そうだよ」
まるで今日の靴はいつもと違うんだよと言っているかのようなさらりとした返事に小夜子は思わず、引きつった笑みを浮かべることしか出来なかった。
学校が彼女への処分を決めている時に、本物の剣で人に斬りかかるなんて学校にばれたらまた一波乱あること間違えない。
いや、今度こそ、何かしらの処分が彼女に下されるであろうし、真剣である事を加味すれば、最悪退学という処罰だった考えられる。
「それ学校にばれたら大変よ」
「そうだね。でも、その前に人が戻ってこなくちゃ、学校も始まらないよ」
楽しそうに紅は言う。
孤独とも言えるこの世界で、彼女は強く生きている。
その姿が小夜子には眩しく、まるで太陽のようであった。
「月島さんはどうしてこんな状況で笑っていられるの?」
「落ち込んだって、人が帰ってくるわけじゃないでしょう」
また笑顔で紅は言う。
その通りだと、小夜子は妙に納得してしまった。
人に会うためには自分から行動しなければならない。
待っているだけで人が会いに来てくれるなど、虫がよい話だ。
この世界に誰もいないと決めつけるのは、この世界の全てを調べ終わった後でも遅くない。
「とにかく、まずはこの世界にまだ残っている人たちを捜しましょう。月島さんが居るし、私も居る。だったら、私たちの他にもきっとまだ誰か残っているはずよ」
小夜子は自分に言い聞かせるように宣言すると座っていた椅子から立ち上がった。
「そうだね。僕もなんでこんな事になったのか知りたいし、あそこの人にでも聞いている?」
小夜子の意見に賛同した紅は窓の外を指さした。
窓の先にはいつもなら渋滞しそうなほど車が流れている国道があるが、今は一台も車が走っていない。
その代わりに一人、ちょっとだけ青みがかった制服を着た男性がこちらに向かって歩いてきているのが確かに見えた。
「お巡りさん!」
見間違えるはずがない、それは何処からどう見ても国家公務員の制服であり、小夜子は彼を求めてこの交番まで来たのだ。
交通量が一切無い国道を横断し、小夜子は急いで警官の元へ駆け寄った。
「あれ、君みたいな少女がどうしてこの世界にいるのかな?」
駆け寄ってきた小夜子の姿を確認した警官は不思議そうに呟いた。
この時、小夜子は紅以外の人間に会えた事による安堵感から注意力が散漫していた。
もしかしたら、紅に合う前にこの警官と出会っていたのなら、彼女はこの違和感に気づいていたのかもしれない。
「わ、私も分かりません。全身真っ赤な女性に頬を触られたと思ったら誰もいなくなって。もう訳が分かりません。どうしてこんな事に・・・・・・」
助かりたい一心で、自分の身に起きたことを必死に説明する小夜子。
警官は何も言わずに、ただ小夜子の言葉に耳を傾けている。
何も言わずに、驚きもせず、静かに、まるで人間ではなく、食材を前にして吟味しているかのように、温かみのない瞳を持って。
「なるほど。ちょうどこの世界が作られたときに、鞭が君を食べようとしていたのだね。だから、鞭もろとも君も悪魔と認識されたわけだ」
警官は一人納得したらしく、ウンウンと首を縦に振る。
あの真紅色の女性を、まるで知人であるかのように”鞭”と呼んだ。
そう、まるで、知人であるかのようにだ。
小夜子の全身から、音を立てて血の気が引いていく。
思えば、この世界には最初から小夜子一人ではなかった。
そうである。
小夜子はあの全身を血で染め上げたかのような真紅色の彼女とこの世界に来たのだ。
もし、彼女に、彼女と同じような仲間が居たとしたら、どうなる………。
「お巡りさんは、あの真っ赤な女性のことを知っているんですか?」
「ああ、とても良く知っているよ。鞭だよ。人間は”血色の真紅石”とか呼んでいたけど。魔術師殺しの異名を持つ伝説の悪魔だよ。とても強くて凶悪だ。彼女に狙われたのにまだ生きているなんて君は本当に運が良いよ」
その言葉はまるで小夜子をなめ回すかのようにべっとりと心にからみつく。
「あ、あの。何でお巡りさんはそ、そんなこと知っているんですか?」
警官から一歩一歩後ろに下がりつつ小夜子は尋ねた。
警官が血色の真紅石と呼んでいた女性に襲われた時の恐怖がまざまざと蘇り、足が震えだし不様に尻餅をつくしか出来ない。
口からは「あ、あっ、ああ、ぁあ」と悲鳴にも成らない声を上げるしかない。
「それは、簡単だよ。おじさんも彼女と同じ悪魔だから、ね!!」
斧が見えた。
もはや、何処から取り出したのかと些細な事は気にならなかった。
ここはそう言う世界なのだという諦めにも似た思いで、小夜子は一気に振り落とされてくる斧を呆然と眺め続けた。
瞳を閉じることも忘れ、銀色に鈍く光る光沢が網膜へと焼き付く。
「危ない!!」
斧が小夜子の頭に接する寸前、紅が彼女の首元を後ろへと引っ張った。
小夜子は背中から地面へと倒れ込んで、警官の持つ斧は空を切る。
斧が鼻先を掠めた瞬間、確かに血の臭いがして、胃の中の物が逆流してしまいそうになったが、事態はそんな行為すら許す暇なく進展していく。
道路のアスファルトに寝そべる形になった小夜子の視界に、再びあの紅い月が見える。
そして、そんな月の色と同じ名前を持つ彼女の勇ましき姿もまた見えた。
「てい」
剣士に迷いは無かった。
そのまま前進の勢いを殺すことなく斧を持つ警官に肉薄する。
居合抜きの要領で手に持つ刀を一閃し、警官の脇腹を狙うが、空を切る。
警官が人間のソレとは思えない反射神経と脚力で、後方へ飛ぶことで難を逃れたのだ。
「どういう理由なのか分からないけど、いきなり人に斧を振り下ろすのはまともじゃないと思うよ。ま、僕も人のことは一切言えないけどさ」
日本刀の柄を両手でしっかりと握りしめた紅の姿は、美しかった。
完成された剣舞が神へと奉納されるかのように、紅い月を背にした剣士は何処か神々しくさえあった。
「その刀は悪魔の物。なるほど、お嬢さんはその刀を持っていたから悪魔と認識されたわけだ」
「何ぶつぶつ言ってる?」
「すみませんね。つい独り言を言ってしまいましたよ。その刀は君の物じゃないよね。返してもらうよ」
そう言って、斧を持つ警官から笑みが消え、肉食獣のような獰猛な目つきへと変わる。
紅い月光に照らされて鈍く光る刀と斧。互いに隙のない構えで一歩も動かない紅と警官。
二人の間に張りつめた空気が流れては通り過ぎていった。
★ ★ ★ ★ ★
「Thunder」
杖の先から黄金に輝く光が放たれた。
雷撃は血色の真紅石をめがけて突き進むが、血色の鞭に一閃されるとたちまちその光が消え去ってしまった。
刀を巧みに操る悪魔を跡形もなく消し去った魔法だというのに、最強の悪魔である彼女には虫に刺された程度のダメージもない。
「Water」
今度は杖を上から振り下ろす。
それに伴って竜巻のように渦を巻いた水が鞭のようにしなりながら、血色の真紅石へと落ちてくる。
だが、この攻撃も彼女の鞭によってあらぬ方向へと吹き飛ばされてしまった。
まるで赤子の手を捻るかのように容易くとだ。
「あなたは強い魔術師?」
水浸しになった地面を眺めながら血色の真紅石は尋ねるのだが、オータムは何も言わずに次の攻撃を考えている。
一瞬でも気を抜けば、あの水浸しの地面が、今度は自分の血で染まり上がることは必定。
己が魔術師になると誓ってから、磨き上げた技術の全てをぶつけている。
なのに、血色の真紅石は、傷一つ負わず、顔色一つ変えずに、そこにいる。
伝説的な悪魔として語り継がれるその理由は確かにここにあった。
「Fly」
限界まで高めていた魔力を一気に解放して、オータムは地面を一蹴りして空高く舞い上がった。
その背中に羽根が生えたかのように、軽やかに空へと昇っていく。
「今度は何をするの?」
血色の真紅石はまるで猫とでも遊んでいるかのように言い、地面を蹴った。
たったそれだけの簡単な動作だというのに、血色の真紅石はいとも簡単にオータムとの距離を詰めた。
血色の真紅石は笑っている。
子供が遊んでいるかのような純粋な笑みを浮かべている。
そして、対照的にオータムは真摯なる真剣な表情で血色の真紅石をにらみ返した。
「Wind」
眼下に生き物だけが消えた街の街頭が光り輝き、眼上には血色に輝く紅の月が妖しく照らされている。
薄暗い闇に支配された空に、魔術師と全身を紅く染め上げた女性が浮かんでいる。
美しく幻想的な光景の中に、一陣の風が吹き荒れた。
それは、まさに暴力とも言えるほどの圧力と持って、空へと浮かぶ血色の真紅石を吹き飛ばした。
如何に最強の悪魔と言えども、空に留まることは出来ないのだろう。
オータムの生み出した暴風に嬲られるようにして、落下していく。
その姿はまるで、夜が流した血色の涙であるかのよう。
血色の涙が行き着く先は、ビルの屋上であったが、それでも涙は止まらない。
コクリートの壁を貫きながら、血色の真紅石は堕ち続ける。
ビルは砕け散ったコンクリートの埃に満たされ、堕ちていく血色の真紅石の姿をもはや目視することは不可能であるが、魔術師は攻撃の手を休めたりはしない。
「This is the end time. Thunder」
血色の真紅石を狙ったのではない。
彼女が堕ちたビルそのものを破壊するつもりでオータムは雷撃を生み出した。
ビルを丸ごと一つ飲み込んでしまいそうな程の強大な稲光が、紅い月の下で、迸った。