秋の長夜の紅き月 その2
秋の長夜の紅き月 その2
★ ★ ★ ★ ★
警備員のおじさんがいる詰め所を横切った小夜子は、一人の女性とすれ違った。
その女性は真っ赤なレーザースーツに身を包み、その巨万な胸を惜しみなくさらけ出し、腕や耳や首にはこんな夜でも輝きを失わないルビーのアクセサリーを数多く身につけ、髪も真っ赤に染め上げていた。
まるで真紅の血で全身を塗りつぶしたかのような錯覚さえも与える奇抜な服装に、小夜子は思わず足を止め彼女を見つめいった。
「鞭だ」
最初はその服装に目を取られた小夜子であったが、真紅色の彼女にはもう一つ奇抜な点があった。その手に鞭が握られているのだ。
もちろん、それも普通の鞭ではなく、彼女が持っているのだから、赤く、紅く、朱く、彩られている。
「おい、こら、君待ちなさい」
校門を通り、学校内に入った真っ赤な彼女に慌てて警備員のおじさんが詰め寄る。
見るからに不審者である。
そのまま素通りさせてしまっては警備員として給料泥棒も良いところだろう。
彼は職務を全うしている。分かってはいるが、胸騒ぎが止まらない。
小夜子は警備員のおじさんを心配そうに見つめる。
”行っては駄目っ!”と叫びたかったが声が出なかった。
「なあに?」
「何じゃないよ。そんな恰好で学校に入ってくるなんて。早く出て行きなさい。さもないと変質者として警察を呼ぶぞ」
「学校? 変質者? 警察?」
真紅色の女性は警備員の言葉に首をかしげる。
「そうだ。分かったら早くここから出て行ってくれ」
警備員が真紅色の彼女の肩に手を載せ、敷地内から追い出そうとするが、それが真紅色の彼女の逆鱗に触れた。
「私に触ったの?」
真紅色の彼女は、まるで虫でも払うかのような力無い動作だけで警備員を突き放した。
警備員はよろけてアスファルトの上に尻餅を付き、何が起きたか分からないという表情で真紅色の彼女を見つめ返す。
もともと年寄りといった事はあったのだろうが、いくらなんでも簡単に倒された自分がよく分からない。
それに何故か、脇腹の辺りが暖かい。
「こら! 何をすっ・・・・・・・る」
警備員はおもむろになま暖かい自分の脇腹に手をやった。
そこはぬめりとした感触がした。
真紅色の彼女が持つ鞭から、彼女の色と、とてもよく似た真っ赤な液体が滴り落ちている。
ポタリ ポタリと滴り落ちて、地面を紅く染めていく。
それが自分の血であると分かった瞬間、警備員の意識がぷつりと途切れた。
「きゃああああああああ!!!!」
唐突の惨劇に、小夜子は絶叫するしか出来なかった。
そうすることでしか、自分を保てなかったのだが、それは自分の存在を彼女に告げることに繋がる。
「見たの?」
真紅色の彼女が首をかしげて小夜子に尋ねた。
先程、警備員のおじさんと話していた時と何も変らない口調がさらに、小夜子の恐怖となる。
真紅色の彼女は緩慢な動作で、体を小夜子の方へ向けてくる。
それに応じるようにして小夜子も一歩一歩、体を後ずさりさせる。
首をゆっくりと左右に振り、こっちを向かないでと懇願するが、願いを聞き届けてくる神様などこの闇の中にはいない。
「見たの?」
正面から小夜子を見つめ、真紅色の彼女が首をかしげた。
口元が笑い血が滴り落ちているように見えた。
「いやあああああああ!!」
手に持っていた鞄を投げ捨て小夜子は一目散に逃げ出した。
少しでも遠くへ、少しでも速く、小夜子は走った。
「逃げた?」
首をかしげた真紅色の彼女は、口元に確かな笑みを浮かべ、血色の舌で唇を舐めると今来た道を戻り始めた。
小夜子という極上の獲物に追いつくために。
★ ★ ★ ★ ★
ポニーテールに結った黒髪を風にたなびかせながら、少女は路地裏を走っていた。
少女の後ろからは数人の男子が竹刀やら金属バットを持って、各々の叫び声を上げながら追いかけてくる。
少女の名は月島 紅。
高校生であるのだが、今日は色々とあって自主的自宅謹慎中としている。
そんな彼女がなぜ、こんな路地裏で男たちに追われているのかと言えば、半分は彼女のせいで、もう半分は男たちのせいである。
「全く、悪いは僕じゃなくてそっちじゃないか。デートの誘いをしてきたのもそっちで、断ったら、逆上して襲いかかってきたのもそっち。僕はただ、自分の身の安全を守っただけなんだからね」
紅は追ってくる男子たちを毒づいた。とは言ったものの、身を守るためとはいえ、相手に全治一ヶ月の怪我を負わせたのは少々やりすぎであったと反省もしている。
ちらりと後ろを振り返ると20人近い男達が人海戦術で紅を追いかけてきている。
女の子、一人に対して情けないと思うが、それだけ奴らが紅を警戒している証拠だろう。
「はあ。何処かに剣の変わりになるような物落ちてないかな」
走りながら、辺りを見渡す紅。
追われているとは言え、体力には自信があるし、いざとなれば素手でもそれなりに渡り合える実力を持っているから、精神的には余裕がある。
ただ、素手で二十人を相手にすれば、紅も無傷では済まないだろう。
刀さえあれば、こんな武術の基礎も知らない奴らに一切に遅れも取らないというのに、歯がゆい思いだ。
まあ、だからこそ、あいつらはコンビニに買い物に行った無防備な紅をこうして奇襲してきたのだろうが。
もう一度ため息をつきたい気分になった。
「あれ?」
煌めきを見つけた。
それが何であるのかは詳しくは分からない。
しかし、その煌めきは彼女が幼少の頃から見つめてきた御神剣と同じものであるように感じられた。
迷うことなく、地面に落ちていたソレを拾い上げ、彼女は目を丸くした。
「何で日本刀が落ちてるのかな?」
紅が手に入れたのは、日本刀であった。
それもレプリカなどではない、殺傷能力を持ち合わせた真剣である。一体何が起きれば、この日本の路地裏で日本刀が転がっているのであろうか。
彼女は、この場で繰り広げられた闇の魔物と金髪の魔法使いの経緯を知らない。
疑問はあるが、今、大切なのは答えを求めることではない、自分の身を守ることである。
「おい、お前何を持ってる?」
紅に追いついた不良男子の一人が問うた。
回りの仲間も口には出さないが、同様の疑問を抱いているのだろう、奇異の瞳で紅が手にしている日本刀を凝視している。
「ううん。多分、日本刀なんだと思うけど?」
自信なさげに答える紅を、五人の男が取り囲んだ。
それぞれ、金属バットなど何かしらの武器を持っており、じわりじわりと距離を詰めてくる。
「何処に隠し持ってた?」
「僕の物じゃないの。これはここに落ちてたんだよ。僕自身信じられないから、そっちはもっと信じられないだろうけどさ」
「ふざけるな。そんな物が落ちてるか!!」
真面目に聞けば、相手をバカにしているとしか思えない答えを本気で返した紅に向かって一人の男が鉄バットを持って襲いかかる。
紅は躊躇わなかった。
無駄な戦を避けるためにも、手加減は無用であるのだ。
刀を手にした彼女は、もはや一騎当千の武者だ。
「くらえ!!」
鉄バットを持った男の雄叫びと共に、彼らが今まで一度も耳にした事の無いほどの甲高い音が聞こえた。
彼らの目を覚ますかのように、重低音が鳴り、誰もが眼前の出来事に我が目を疑った。
金髪の男の手が小刻みに震えている。
手にしているバットを凝視できていない。
震えは足腰にまで伝播して今にも漏らしてしまいそうであったが、辛うじて視線を足下に向けた。
少しだけ、小便がこぼれた。
「うそだろう」
男達は一斉に日本刀を見やった。
紅が持つ真の日本刀が確かにこの鉄バットを斬ったのだ。
皆が目撃し、その証拠に地面には鉄バットが半分だけ転がっていた。
紅を取り囲む男達は皆、自分たちが戦国時代へタイムスリップしたのではないかとさえ錯覚してしまう。
紅が刀についた血を払うかのように一振りした。
彼女が斬ったのは止まっていた時の流れ。
それだけで十分であった。
「うあああああああ」
紅の周りを囲んでいた一人が、目に涙を溜めながら、あらぬ方向へ走り出した。
それをきっかけに他の男たちも慌てて紅から逃げ出すのだった。
皆、自分の命は恋しい。当たり前の行動であった。
紅も敢えて逃げ出した男達を追ったりなどはしない。
彼女の頭の中はもう彼らのことなど、完全に忘れ去っており、全ては自分の手にあるこの日本刀のみに注視されていた。
「へええ。切れ味良いなこの刀。なんて名前だろう」
この剣士として、当たり前の興味が彼女の運命を変え、紅色に染まった世界へと彼女を誘い込むのであった。