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魔術師と剣士と無力な少女  作者:
冬の雪空を永久に
18/25

冬の雪空を永久に その2


第二話


 ★ ★ ★ ★ ★



「ごちそうさまでした」


 フォークを置き、手のひらと手のひらを合わせた空が元気よく言った。

 今、テーブルを囲んで座っているのは、空の他に星香、小夜子、紅、オータムの五人である。

 このペンションには後一人、永子がいるのだが彼女はこの場にはいない。

 早々と食べ終わって部屋に戻った訳ではなく、最初からこの場にいないのだ。


「空さん、口にソースが付いてますよ」


 空の横に座っている―――実際は空が自分からその場所に座ったのだが―――小夜子はポケットからハンカチを取り出して空の口の周りを拭ってあげた。


「あ、小夜子さん。そんなことをなさってくれなくても」


 母である星香が遠慮しているのだろう、すまなそうに言ってくる。

 が、小夜子は特に気にするわけでもなく空の口を拭って、「はい、終わり」と言って空の頭を軽く撫でた。


「ありがとう、小夜子お姉ちゃん」


 顔一面に笑みを浮かべて小夜子にお礼を言った。

 そして、食後間もないというのに、椅子から降りて何処かに走り出してしまった。


「長沢って本当に人の面倒見るのが好きだよね」

「そうですか? 自分だと良く分かりませんけど」

「そうだよ。そんな所を僕は尊敬してるんだし」


 明るく笑いながらさらりと紅は言う。


「あ、ありがとうございます………」


 対する小夜子は尊敬しているなんて言われて恥ずかしいのか、困ったように苦笑いを浮かべていた。


「ねえ、オータムだってそう思うでしょう」

「………」


 自分の横に座っていたオータムに話を振った紅だったが、友人は何かを考え込んでいる様で何も反応しない。

 見てみれば、目の前の食事も半分ぐらいしか手を付けていない。


「ね・え、聞いてるの、オータム?」


 今度はちょっとだけ声色を大きくして言う。

 流石に今度は聞こえたらしく、ちょっとだけびっくと肩を動かしたオータムは、すまなそうに紅の方を振り向いた。


「Sorry、くれない。ちょっと考え事をしていた」

「もう、オータムは仕事熱心なんだから。どうせまた仕事のこと考えていたんでしょう。でも今は、早くご飯食べなよ。星香さんが作ってくれた美味しい料理が台無しだよ」


 紅が注意した時点でもうこの話は終わるはずだった。

 しかし、意外な所から話に入ってくる声が聞こえた。


「仕事ですか? オータムさんってどのような仕事をしていらっしゃるのですか?」


 星香である。

 エプロンを外したメイド服を着て食事を取っていた彼女がそんな事を聞いてきた。

 しかも、その声は何処か、裁判所か警察署で聞くのがふさわしい声のように聞こえた。

 問いつめられている?

 考えすぎだと思うもののオータムは、つい星香の声には敏感に反応してしまう。


「え~と、それはね………」


 困ったように頭を掻きながら紅が、オータムを見る。

 魔術師であり、超常現象の解決や悪魔の撃退などが仕事の主な内容であるオータム。

 彼女の仕事を果たして他人に教えて良いものかどうか、紅には判断しかねた。


「Get out of my way」


 オータムが冷徹に言い放った。

 そのあまりにも冷たく、誰も寄せ付けようとせず、うむを言わせない口調に星香だけでなく、友人である紅と小夜子さえも言葉を失ってしまった。

 それは普段のオータムからは全く想像できなかった言葉だった。

 言葉が無くなった静かな食卓。

 響いているのはただ一人、食事を終えていなかったオータムがたてる食器と食器はぶつかり合う音だけである。

 数々の戦場を生き抜いてきた魔術師であるオータムが放っている無言の圧力。

 言葉が一つも繰り出されない中、オータムが食事を食べ終えた。

 そして、何も言わずに椅子から立ち上がり、自分の部屋に戻ろうと、星香たちに背を向けた。


「あ~、オータムお姉ちゃんも食事食べ終わったんだ。良かった。空ね、露天風呂にお湯を張ってきたんだよ、これからみんなで一緒に入り行こうよ」


 オータムが作り出していた静かな空間に響き渡る元気一杯の声。


「Sorry。わたしは、やることがある。また今度、そら」


 再び、オータムの口から出てきた言葉。

 それはいつものオータムにふさわしい、優しくてちょっとだけ舌足らずな声だった。



 ★ ★ ★ ★ ★



 ペンション冬霞の自慢である露天風呂。

 本格的な作りもさることながら一番の売りはそこから見る絶景だろう。

 数日前に雪男が出たと噂されているスキー場が露天風呂から一望できるのだ。

 しかも今はまだナイタースキーが行われている時間帯だ。

 ライトアップされ白く輝いている山を見た瞬間、小夜子は裸であることを忘れて思わず立ちつくしてしまった。


「今が一番綺麗な時間なんだよ」


 露天風呂に誘ってくれた空が小夜子の横で誇らしげに言う。


「本当、綺麗ね」


 惚けたように雪山を見つめていた小夜子だったが、流石に露天風呂の側とは言え裸でいることに寒くなったのだろう。

 ブルブルと体を震わせ、自分が今どんな状態にいるのかを思い出した。


「空さん、体洗いましょうか?」

「えええ、空、嫌だよ。体洗いたくない」


 思いっきり首を横に振った空はそう言うなり、思いっきり露天風呂へ飛び込んだ。

 水しぶきが思いっきり飛び跳ね、小夜子の顔にも数滴温水が掛かる。


「空さん、温泉に入る時には先に体を洗わないといけませんよ。汚れた体のまま温泉に浸かったら、他のお客さんに迷惑ですよ」

「え~でも、この温泉は空のお風呂だよ。それよりも、小夜子お姉ちゃんも早く入りなよ。風邪引いちゃうよ」


 確かに言われてみれば、体が冷えているこのままだと風邪を引きかねない。

 小夜子は悪いと思いながらも、それでいて何処か楽しんで湯船に浸かるのだった。


「ほら、これで小夜子お姉ちゃんも同罪だよ」

「大丈夫ですよ、言わなくちゃばれませんよ」


 空から少し雪が舞い降りてくる中、光り輝く雪山を見ながら、露天温泉には小夜子と空の笑い声が響き渡った。



 ★ ★ ★ ★ ★



 星香から教えてもらった部屋の前に紅は立っていた。

 さっきから何度もこのドアをノックしているが中からは全く反応が返ってこない。

 そもそも、無人じゃないかと思うぐらいに、その部屋からは全く人の気配が感じられなかった。

 幼少時代からずっと剣の練習に励んできたためか、紅は人の気配を感じ取ることに関しては常人の何倍も長けている。

 このペンション内ぐらいなら何処に誰がいるのか、今この場所で感じ取ることが出来る。

 そんな紅が全神経を集中しても、この部屋からは全く人の気配が感じられなかった。


「寝てるのかな?」


 首を傾げながら、部屋の前から去った。

 別に用事があった訳じゃないから明日にもまた出向けばいい。

 そう思うものの数歩歩いた所で、また部屋の方を振り返ってしまう。

 何でこんなにもあの久瀬永子のことが気になってしまうのだろう。

 永子を遠目に見た心に芽生えた感情。

 疑問、親しみ、好奇心、様々な感情。

 あれは一体何だったのだろう?


「くれない?」


 久瀬永子の部屋とはまた別の方向から、彼女を呼ぶ声が聞こえた。

 声の先に立っているのは金髪碧眼の美女。


「オータム。用事って奴は終わったの?」

「Yes。それと、Sorry、さっきはあんなことを言ってしまった」


 別に紅はあの夕食での出来事を気にしていなかった。

 小夜子はオータムに怯えていたようだけど、あれ位の迫力なら剣の試合で何度も経験してきている。

 別にどうって事はない。

 それにオータムがあんな風に冷たく言い放った理由も、何となく推測できている。


「その言葉は、僕じゃなくて星香さんに言うべき言葉だと思うけど」


 意地悪い猫のような笑みを浮かべる紅。

 彼女は分かっているのだ、オータムがこの問いに対して首を縦に振ることないことを。

 予想通りオータムは首を横に振るだけで自分の意見を答え、親指で自分の部屋を指さした。

 部屋に入れと言う合図なのだろう。

 促されるままに部屋に入り、すぐに違和感を感じた。

 紅に続いて部屋に入ったオータムはドアに鍵を閉め、窓から外を見渡した。

 ここはペンションの中であるのに、何でこんなにも警戒しているのだろう。

 そんなオータムを見ていて、やっとこの部屋から感じていた違和感の正体に気づいた。


「魔法。この部屋、結界が張ってあるんだ」


 その才能をオータムに見いだされて日々魔術の訓練をしている紅。

 オータムほど強く、多彩な魔術を使うことは出来ないが、基礎的な呪文なら使えるぐらいに成長した。

 毎日魔術を使えるように練習してきているのだ。

 必然的に魔術に関しても敏感になってきているようだ。


「Yes、それとくれないとさよこの部屋にも同じことをした」

「なんだって、そんなことを? やっぱり星香さんが関係してるの?」


 今日会ったばかりだというのにオータムが星香に示す異常な警戒心。

 小夜子は気が付いていないようだけど、魔術師として弟子に当たる紅にはそれが分かっている。

 オータムが星香を見つめ目には明らかに敵意が潜んでいた。


「Yes、くれないも気をつけて。彼女は人間じゃないかもしれないから」


 いきなりとんでもない事を言うが特に驚かない。

 オータムが警戒しているのだから、そうなのだろうと思っていた。


「それって星香さんが悪魔って言うこと?」


 悪魔。

 そう呼ばれている生物がいることを紅は知っている。

 その数は極めて少数だが、人間の姿を真似、人間を食料にして生きながらえる彼らはオータムら魔術師たちにとってもっとも倒すべき存在である。

 オータムたちの敵である。星香もそれだと思っていた。だから、


「わからない」


 と答えたオータムの言葉を最初は聞き間違いだとも思った。


「え?」

「悪魔ともちがう気がする。まだ、彼女の正体はわからない。でも、気を付けて。彼女はきけん」


 正体不明な人物、確かに危険だ。

 だからといって、星香本人にあなたは誰ですか? と聞いても絶対に本当の事は教えてはくれないだろう。

 何故なら、星香がオータムを見る目にもまた敵意が潜んでいるのだから。



 ★ ★ ★ ★ ★



「あら、楽しそうね二人とも」


 小夜子たちが食べた食器を洗い終えた星香もまた、空と小夜子同様に露天風呂へとやって来た。

 仕事着であるメイド服を脱ぎ、体をタオルで覆いながら露天風呂へと繋がるドアを開けた星香が見たのは小夜子の背中を洗っている空の姿だった。


「あ、ママ」「星香さん」


 星香の方を振り向く二人は共に泡だらけである。

 自分の体を洗うのは嫌いな空だが、他人の体を洗うのはそうでも無いらしく今は楽しそうに小夜子の体を洗っている。


「空、小夜子さんはお客様なんだからしっかりと洗ってあげなさいよ」


 星香は、二人のすぐ横の蛇口に座った。


「大丈夫だよ、ママ。空は体を洗うのがもの凄く上手いんだからね」


 小夜子を洗う手を休めずに空が元気一杯に言う。

 客人の体を洗ってあげることで頭がいっぱいなのか、鼻の先にちょっこと付いている泡に気づく様子がない。


「じゃあ、私も空に体を洗ってもらおうかしらね」


 星香は空の鼻についていた泡を優しく指先で拭った。


「うん。いいよ、ママ。空がママをもの凄い美人にしてあげるんだからね」


 泡だらけのタオルを持って小夜子の後ろから星香の後ろに移動する空。

 それを確認した小夜子は蛇口をひねり体中の泡を落とした。

 母と娘が仲良くやっているのをただの客である小夜子が邪魔することなど出来るわけがない。

 一人湯船へと移動した小夜子は、体を温めながら目の前のスキー場を眺めた。

 もう、ナイタースキーの時間は終わったのだろう。

 さっきまでライトアップされていた雪山はもう暗く、夜の一部と化していた。

 残念だな。と思いつつも小夜子は目の前の雪山を見つめ続けた。

 小夜子がここに来た理由はスキーをするためじゃない。

 オータムの仕事の手伝いで来たのだ。

 明日からはあのスキー場で雪男についての情報収集を始めなければならない。


 バッシャン!!


 明日はどんな人たちに聞き込みをしようかと考えていた小夜子だったので、いきなり空が湯船に飛び込んできた音には心底驚いた。


「こら、空。お風呂に飛び込んじゃ駄目っていつも言ってるでしょう!」

「え~。だって楽しんだもん」


 星香の怒声にもまったく反省の色を見せずに、空はジャバジャバと温泉の中を泳ぎ始めた。


「すみませんね、空が色々と迷惑かけたようでして」


 小夜子の横で温泉に浸かっている星香が言った。

 その視線の先には空がいる。

 空を見つめる優しい瞳、それは間違えなく母親のそれだった。


「いいえ。こういうのなれてますし、嫌いじゃありませんから」

「そう言ってもらえると助かります。あの子はいつも元気一杯でいつも、このペンションに来て頂きましたお客様に迷惑ばかりかけているんですよ」


 その光景が何の苦労もなく頭に思い浮かんだので小夜子は思わず笑みがこぼれてしまった。


「小夜子お姉ちゃん。お姉ちゃんも一緒に泳ごうよ」


 温泉の真ん中から空が元気よく手を振ってきている。


「私の体じゃ、もう泳げませんよ」


 そう言いながら、空の元へと近づく小夜子。

 二人を見つめる星香の瞳は、やはり母親特有の優しさに満ちていた。


「小夜子さん。あなたは普通の人間ですから、空と仲良くしてあげてくださいね」


 誰にともなく呟いた星香の言葉は、雪のごとく溶け誰の耳にも届く事はなかった。



 ★ ★ ★ ★ ★


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