秋の長夜の紅き月 その13
秋の長夜の紅き月 その13
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空気が焦げる匂いが充満する中、紅が炎の刃を切り上げた。
先程から何度も繰り返されている剣撃、しかし、糸使いである悪魔はその攻撃を軽やかなステップで避け続けていた。
「はあ。はあ、はあ」
額に汗を滴らせ、肩で息をしているのは攻めている紅の方である。
いつもの紅ならこれほど体力を消耗したりはしないのだが、何処に張り巡らされているか分からない糸のために集中力はいつも以上に研ぎ澄まされているし、何よりも左肩が動かなくなってきたことが大きい。
一つ間違えれば、死という緊張感が否応なく、紅から体力を削ぎ取っていく。
「あらあら。お疲れみたいね。でもでも、まだ倒れるには早いわよ~。あなたにはフルマラソンを世界記録で走る時よりも辛~い目にあわせて上げるんだからね~」
人差し指を紅に向けながら、元気よく琴乃は言う。
元々人間ではない存在であるため、紅と琴乃を同じ基準で考えてはならないのだろうし、これまで幾度のと無く教会の魔術師を葬り去ってきた彼女は紅とは違って、死闘にもなれている。
防戦一方なのは、紅が勝っているからではない。琴乃が本気を出していないだけだ。
「まずいな」
紅は呟いた。
このまま戦いが長引けば紅がどんどん不利になっていくのは明白。
まだ何とか動ける今の内に決着を付けたいと焦り始める心を何とか押し沈めて、一撃一撃に必殺の思いを込めて斬りかかる。
だが、辺りに張り巡らされている糸が邪魔をして、想い描くような軌跡で刀を振ることが出来ない。
結局は単調な攻撃となってしまい、琴乃に避けられてしまう。
「どうするどうする。もうあなたには勝ち目がないわよ。この辺り一帯はもうすでに私の糸だらけ。少しでもあなたが触れたらビリビリバチバチの電気を流して上げるんだからね~。覚悟しておきなさいよ」
生温かい風が吹いた。
風に煽られ紅の長くてまっすぐな黒髪がなびく。
髪の先が何かに当たっている。きっと張り巡らされた糸だろう。
「ふう」
紅は一息つくと、炎の刃を納めた。
魔力の供給を止められた刀は研ぎ澄まされた名刀へと戻ったが、それで何かが変わるわけではない。
むしろ、攻撃力は炎を纏っていた時よりも数倍落ちてしまう。
勝ちを諦めていないのなら、こんな行為はしない。
普通ならそう思うことだろう。
「あれあれ。それって降参ですか~。だめだめ。そんなの私認めないよ~。あなたにはこれからいっぱいいっぱ~い、苦しんでもらうんだからね」
琴乃は頬を膨らまして、紅の行為に猛反対した。
だが、剣士は物応じる様子もなく、風になびく自分の髪を左手で掴み、刀を髪の後ろへと回す。
その剣に宿るのは、諦めではない。
燃え上がるほどの決意だった。
「悪いけど、僕は降参なんかしない。負けるのはあんたの方だよ」
風が止んだ。
紅は自慢であったポニーテールを切り裂き、それらを一気にばらまいた。
紅い月に照らされた世界で、漆黒の線が幾千も空を舞い、やがて白銀の糸と触れあう。
そして、それは剣士にこの糸の包囲網の突破口を示す。
「はああああああ」
糸と糸が織りなす琴乃の防御にも隙がある。
僅かな隙間であったが、一直線に紅と琴乃を結ぶ線を剣士は見た。
針穴に糸を通すような隙間に剣を突き刺していく。
幼少の頃より血が滲む練習を繰り返してきた剣士にとっては、この程度の事、取るに足りない技である。
「いやああああああああああああああああああああああ!!」
迷いを吹き飛ばす爆発のように、紅は吼えた。
剣先に肉があたる感触があった。もはや、躊躇いはない。
そのまま、腕を伸ばせる所まで。筋肉と血管がぷつりと破れる感触が剣を通じて紅に流れ込む。
一瞬、刀が骨にあたり止まった。
それでも、止められない。踏み込みを一瞬たりとも、躊躇わない。
「炎~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
琴乃に突き刺さった刀から三度、炎が燃え上がった。
それは紅が生み出した闇を浄化する強き炎。
表面から、そして、内部から炎が瞬く間に琴乃の全身に燃え広がっていく。
「うそ、うそ、うそ。なんでなんでなんでよ。なんでこのあたしが魔術を使えない魔術師なんかにまけなちゃならないのよ」
油をまいた森林に炎が燃え広がっていくかのように、炎は一瞬で琴乃を包み、琴乃の体を灰へと変えていく。
「残念だったね。僕は魔術師じゃないんだよ」
真っ赤な月の下、再び生暖かい風が吹き、かつて琴乃であった灰を何処かへ運んでいき、紅も風になびかれるようにその場に倒れ込んだ。




