秋の長夜の紅き月 その1
秋の長夜の紅き月 その1
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空には紅い月が浮かんでいた。
ある秋の日に、一人の魔術師と、一人の剣士と、一人の力無き少女が出会った。
悪魔が跋扈する世界で、孤高と戦い続ける魔術師。
そして、否応なく戦いに巻き込まれる剣士と少女。
来ない夜明けを待ちながら、紅い月に照らされた世界で、また血が滴り堕ちる。
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ある秋の日に、彼女はここに居た。
季節は巡り、冬のあしおとが忍び寄ってきているとは言え、彼女の出で立ちは少しばかり異常であった。
少女が絵本に出てくる魔女を思い浮かべたかのように、漆黒の法衣に頭からつま先までを覆い隠している。
光と喧噪に満ちた街の中であって、彼女だけは闇と静寂に包まれていた。
「悪魔が繁栄する、や~な、夜だ」
法衣の中から聞こえた呟きは、聖歌隊の一員であるかのようなハスキーな女性の声であった。
日本語が不慣れなのだろう。
彼女の日本語は、不自然な発音だったが幸いな事に誰にも聞こえてはいない。
彼女の呟きなど、すぐに街の喧噪で掻き消されていまうのだから。
街は光と喧噪で満ちている。
その中において、闇に喰われる悲鳴を聞くことが出来た人間が果たして何人いたことだろう。
「Damn it」
吐き捨てるような呟きは再び、街の中へ霧散していった。
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学生会室を出ると外は闇色に染まっていた。
髪をおかっぱに切りそろえた、どことなく気の弱そうな女学生が左手にはめた腕時計に視線を落とし、現在時刻を確認した。
「もうすぐ、九時になんだ」
ちょっと遅くなってしまった。
快速が無くなる時間ではないが、そろそろ電車の本数が少なくなってくる時刻である。
女学生は学生会室の鍵を閉めると、心持ち早足で校門へ向かった。
この女学生の名前は長沢 小夜子。
学生会で副会長補佐として働いている。
彼女の主な仕事は、学生たちからの要望などを学生会に伝えたり、学生たちの相談を聞いたりする事など、主に学生会と生徒間とのパイプ役である。
真面目でやる気のある生徒として内外に認識されており、生徒からも教師からの信頼も非常に厚い。
「月島さん、何の処分も受けないらしくて良かった」
下駄箱で外靴に履き替え、小夜子はつぶやいていた。
先週ちょっとした問題を起こしていたクラスメートに対して学校側が何の処分を与えないことを決定したのだ。
また明日から騒がしくなると思いながら、小夜子は校門に歩いていく。
校門のすぐ側にある詰め所で来ると、夜の見回り警備員のおじさんがお茶を片手にテレビをぼんやりと眺めていた。
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空に浮かぶ月が、人混みから外れた路地裏をうっすらと照らしていている。
「なにか、よう?」
魔女のような―実際、魔女であるのだが―真っ黒な法衣に全身を覆い隠している女性が立ち止まるなり闇の中へ訪ねた。
「・・・・・・・」
返事は返ってこない。
代わりに、その闇の中から新たな闇が姿を現した。
「あなたの相手は、後でしるのに」
相変わらず、不自然な発音で法衣を着た女性が後ろを振り返る。
法衣の女性の見つめる先には、何処にでもいそうな中年のサラリーマン。
皺のないスーツ、きりっとしたネクタイ、磨き上げられた革靴。
こんな薄暗い路地裏など似合わず、彼こそあの明りに満ちた通りが似合っているように思えた。
ただ、彼が手にしているものが無ければの話であるが。
「お前を斬りたい」
彼が手に持っているのはその出で立ちから想像できる鞄ではなく、全く似合わない鞘に収まった日本刀である。
ゆっくりと見せつけるかのように鞘から日本刀を抜き、彼の瞳が闇色に染まった。
「Damn it」
女性の呟きが闇に吸い込まれ、聖戦が始まった。
彼が人間離れした跳躍で、女性との距離を一気に縮める。
振りかざされた刀身が月夜の中でも血の味を求めるかのように不気味に月光を反射する。
「はあああああああ」
獰猛な雄叫びと共に振り下ろされる刀を、女性は軽やかにかわした。
続けざまに迫り来る刀も女性を捕らえることが出来ない。
彼女はまるで、舞台でダンスを踊っているかのような軽やかなステップで斬撃をあしらっていく。
「よあい」
彼と距離を取り、彼女は言う。
「ああああ!!!!」
彼の黒一色の瞳が怒りに燃え、法衣の彼女だけを凝視する。
「あなたぐらいなら、ここでもいい」
彼女はそう言うと、今まで漆黒の法衣の中に隠していた右腕を薄闇の中にさらけ出した。
「!?」
彼女の腕は一言で言えば、異常であった。
まるで共生しているかのようにその白い腕全体に黄土色の蔓が巻き付けているのだ。
「Summon」
彼女の言葉によって、今まで彼女の手に巻き付いていた木の蔓が眠りから覚めたかのように動き出した。
目覚め、蠢き、集い。
法衣の中から外に出てきたソレは、やがて一本の杖へと姿を変えた。
闇の中、金色が煌めいた。
彼は慌てて逃げ出すがもう遅い。
法衣が揺らめき、その中から美しいウェーブのかかった金髪が見え隠れした。
「Fire」
彼女の宣告と共に杖先から炎が生まれ、男性めがけて迸る。
炎柱は瞬く間に彼を飲み込むと闇が灰になるまで燃やし尽くした。
躰も絶叫も、何もかもを浄化するかのように炎は燃え続ける。
全てが終わった後、残っていたのは無傷の日本刀だけであった。
まるで最初からそれしなか無かったかのように、日本刀だけが転がっている。
「I get the first device」
彼女は手にしていた杖を再びその右腕に戻し、無傷の日本刀に歩みよろうとした。
だが、この路地に近づいてくる足音が聞こえてきた。
それも一つではない複数の足音が、である。
法衣を着た彼女は空に浮かぶ月を確認し、小さく舌打ちをした。
「Damn it」
時間があまり残っていない。
そもそも準備が終わる前から敵と接触すること自体が想定外の出来事であったのだ。
これ以上、面倒事に巻き込まれてしまっては、結界を張る刻を逃してしまう。
日本刀をこのままにしておくことは躊躇われるが、彼女の敵はまだ六体残っているのだ。
戦闘を有利に進めるためにも、結界の形成は最優先である。
彼女は漆黒のフードを深く被り直すと、迫り来る足音とは反対の方向へ走り出した。
この刀は後で封印すればいい。
その判断が彼女の犯したミスであり、紅色の彼女の運命の始まりであった。