覚書/母の件、日誌抄
~ツイッター等メッセージを主体に~
令和3年
5月21日
夜7時過ぎ、ヒタキが庭に舞い降りた夢を見た。うつらうつらとしていた8時ごろ、風呂から上がった母が、助けを求め、私の仕事部屋の扉を敲いた。尋常ならぬ様子なので救急車を呼ぶ。
5月31日
母の件でご心配をおかけしました。一命をとりとめました。明日、心臓の検査につき巡回がまた遅れます。
6月2日
母の緊急入院の件で、皆様からの、お見舞いのお言葉、お励ましのRT・いいねに感謝いたします。ありがとうございました。母に関し、土曜日に一時退院、自宅療養が決まりました。私のツイッターは、介護の合間を見て巡回させて戴きます。
6月4日
本日は久々の梅雨模様。午前中、母が飼っているチワワの検診に行き戻って来たところ。生憎のお天気ですが、涼しい点では助かります。皆様、どうかよい一日をお過ごしください。
6月6日
病院から戻って来た母。ガレージから寝室まで運ぶのに一苦労。食事をとらず、寝たきり。さしあたり少しずつ食事ゼリー。この状態での介護は厄介なものですね
6月14日
本日14日は、要介護5相当・母の検診。先週はケアマネさんたち介護関係者との打ち合わせ、家に車椅子用導線をつくったりしていました。皆様には度々巡回が滞り申し訳ありません。
6月20日
14日の診察時、母は脱水症状で再入院、即時、点滴・輸血開始。先日の夜10時、主治医先生に、「念のため」と、いろいろ説明とか書類サインとか。見舞いに行っても眠ってばかりいる母は、何やら痛々しい姿でした。……現在は、小康状態のようです。
6月22日
入院中の母を見舞う。意識は取り戻したものの、在宅療養は無理。温室の花、すっかり妖精になっていた。じゃあまたくるよ、おやすみなさいと言ったら、おやすみなさいとかすれた声に送られ、病室を出た。余命2年。もっと早いかもしれない。
ノート20210622