覚書/楊貴妃と粥の語源(K教授講義録)
楊貴妃を御存じであろうか。世界三大美女の一人にも数えられる、8世紀の唐王朝最盛期の皇帝寵姫のことだ。もともと楊貴妃は高級娼婦であったのだけれども、玄宗皇帝の息子である皇太子に見初められて皇太子妃となり、さらに舅である玄宗に見初められて寵姫となった。そのため、一門は大臣や貴族になった。楊貴妃に取り入った、(ウィグル人と言われている)西域系の男に、安禄山という将軍がいる。
安禄山は、生まれると、家族が手に蜜を塗り、甘い言葉で人を魅了し交易がうまくいくようにと願掛けされたのだそうだ。長じて安禄山は、玄宗に取り入って将軍となり、宮廷に出入りするようになった。安禄山は、玄宗にもっと気に入られようと、楊貴妃の養子になりたいと申し出た。そのとき楊貴妃が聞いた。
「安禄山って大きなお腹ね。いったい何が入っているの?」
「それは陛下と楊貴妃様への真心でございます」
安禄山は、後に、宮廷闘争に敗れ、玄宗皇帝に対し反乱を起こした。
玄宗皇帝が唐の都・長安から西安に落ちのびる際、「こうなったのは楊貴妃一門が国家を腐敗させたからだ。楊貴妃の一門を処刑しなければ私達は唐帝国を見捨てます」と言って、兵士達がストライキした。皇帝はやむなく、楊貴妃と一族を処刑し、皇太子に帝位を譲り、反乱を鎮圧することに成功した。安禄山は、部下の史思明に裏切られて暗殺され、史思明も官軍に討たれた。
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学生のとき、中国史の権威K教授の教室で講義を受講した。教授は玄宗皇帝のこんなエピソードをお話しになった。
「玄宗皇帝の部屋に、料理長がオカユを運んできました。小卓に置かれたオカユは、丼に入って、丸い縁に一組の箸が載っていました。皇帝は、『この料理はとても美味しいな。なんという料理だね?』 料理長は答えます。『実はまだ名前を付けておりません』『では、朕が名付けよう。丸い丼に箸、蒸かした米が入っている。箸を弓に見立て、弓・米・弓。……『粥』と名付けてみたがどうだろう?」――こうして、「粥」という文字ができたのです』
私ども学生達はノートにメモをとった。皆が書き終えたところで、K教授はおっしゃった。
「嘘です」
ノート20210130