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ズレ

「ケイコ……何かあったかい?」


 苦笑されて、景子はびっくりした。


 無意識の内に、アディマをじーっと見ていたのだ。


「あっ……いや、何もっ」


 宿を出ながら、景子は顔の前で両手を振った。


 それ以上問われなかったが、何か言いたげにしばし見つめられる。


 ああー、そんなに見ないでー。


 イデアメリトスなるものが、少しずつ分かってくるにつれ、景子はどんどん複雑な気持ちになってゆくのだ。


 知らない間の彼女は、とても無謀なことばかりをしていた。


 お忍びで旅をしているアディマに、その名を名乗らせた。


 命を狙われている真っ最中に、だ。


 こんなにのんきな大馬鹿者は、どこを探してもいないだろう。


 隣で眠り、言葉を習い――貴重な魔法を使わせた。


 だが、景子はイデアメリトスを知ってしまったのだ。


 言葉を知り、世間を知り始めた。


 だから、分かってきた。


 この都へ向かう復路は、どんどんアディマが遠くなる旅になるのだ、と。


 彼のために、出来うる限りのことはしたいと思う。


 ただ。


 ただ、彼が一度だけ口にした戯言は、いたずらなそよ風ひとつで吹き飛んでしまうことだけは、よく分かったのだ。


 梅のいる領土が、近くなってきたことを聞きながら、景子はそんなことに、思いを巡らせていた。


 夢物語に踊らされる年が過ぎ、景子が地に足をつけ、根をおろしたのは、いくつになってからか。


「ケイコ……少し話をしよう」


 休憩の時、アディマにそう誘われた。


 自分でも、自身の感情の流れに驚くほどだ。


 彼に、気づかれないはずなどなかった。


「ええ」


 景子は、それに笑顔で応じる。


 ただ、二人きりにはなれない。


 ダイが、離れないからだ。


 でも、景子はもう、誰が聞いていてもよかった。


 深呼吸したら、落ち着いた。


「ふふ……私ね、アディマに言ってなかったことがあるんだ」


 リサーが、聞き耳を立てている。


 景子は、笑顔を浮かべた。


「私ね……31歳なの」


 そよ風が――吹いた。



 ※



 リサーが、固まった。


 ダイは、二度景子を見た。


 シャンデルの両目は、転げ落ちて行方不明になりそうだった。


 アディマは――微笑んだ。


「道理でケイコは、深い知識を持っているわけだね」


 あれ?


 柔らかい受け流しに、彼女の方が戸惑う。


 決定的な、一言だと思っていた。


 だって、31歳なのだ。


 この国の平均寿命は知らないが、決して長すぎはしないだろう。


 少なくとも、行かず後家どころの騒ぎではないはずだ。


「私より……年上……」


 リサーなんか、虚ろな言葉を呟いているほどなのに。


「ケイコの秘密というのは、それかい? あ……まさかとは思うけど……既に結婚しているとかは……ないかな?」


 微笑んでいたアディマが、後半、微かに恐れを含む声になる。


 本当に、心配げに景子を見るのだ。


 カァっと、顔に血が昇る。


 さっきまで、冷静さを演じようとしていた根っこが、引きちぎられた気がしたのだ。


「おかしい……よね」


 笑いかけて、失敗する。


 31歳未婚――それを、アディマにじっと見られている事実に、耐えられなくなってきたのだ。


「いいや……太陽に感謝しているよ」


 なのに。


 アディマは、目を細める。


「僕と出会う前に、誰かに連れ去られていてもおかしくなかった……でも、ケイコはここにいるだろう?」


 両手を、差し伸べられる。


 え?


 その手が、景子の身体を柔らかく抱き締めるのだ。


 ええ?


 太陽がさんさんと差し、ダイがいて、リサーがいて、シャンデルがいるこんなところで。


 彼女は、アディマに抱き締められているのだから。


「ケイコの国の男たちは、みな目が見えなかったんだろう……ああ、本当によかった」


 ズレ続ける論点の中、アディマは本当にうれしそうだった。


 彼のそんな行動は、三人の人間を仮死状態に陥らせたのだ。


 景子、リサー、シャンデルである。


 ダイは――ぽりぽりと頭をかいていた。



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