リサーの手
☆
村は──祭りになって、しまった。
景子は、一番いい席に座らされ、死ぬほど居心地の悪い気分を味わわされる。
さっきから、リサーが下座から睨んでいる気がするのは、やっぱりこの席次のせいだろうか。
彼の方を見ないようにしながら、景子は戸惑いながらもてなしを受けるだけだ。
「最初は、頭のおかしな娘が来たと思っちまったよ……悪かったなあ」
無愛想だった髭のおじさんが、ぼそぼそと隣で呟いた。
あ、あは。
景子は、苦笑しながら彼の正直な言葉に耳を傾ける。
そうしている内に、村人がどんどん寄ってきて、うちの畑もと言い出してきた。
しかし、既に実りはピークに近い。
今更、増やすことなど無理な話だ。
次の実りを、信じてもらうしかない。
話を聞くと、豆と穀物を交互に植えるのは、この村では難しいらしい。
豆は、税として収められないというのだ。
なので、豆の作付面積の方が、圧倒的に少なかった。
そうなんだ。
刈り入れが終わったら、水を張って数日間放置。
その後、水を抜いてから、貯めておいてもらった豆の枯れ草を畑に入れて耕してほしい──いま出来る助言は、そんなところだった。
村長と呼ばれる人が出てきて、絶対にその通りにすると誓ってくれる。
いや、そ、そこまで誓わなくてもいいから。
自分を見る目が違いすぎて、景子は困ってしまった。
この知識は、いわばズルっこの知識なのだから。
多くの祖先が、沢山の失敗や技術の発展で手に入れた、蓄積されたもの。
それを、景子はパクンと丸呑みしたに過ぎない。
逆に。
この村で、彼女が大失敗をしていたならば、今頃、石を投げられて追われていたかもしれないのに。
ふと、昔のいやな記憶がよみがえりかけて、景子はそれにふたをした。
お天道様の目がなければ、ここで一晩で結論を出すことは出来なかっただろう。
しかし、それは日本では、彼女に恩恵を与えてくれるばかりではなかったのだ。
ただ、いまだけは。
この目に──感謝をしたかった。
※
夜。
ようやく祭りは落ち着いて、景子はおばさんの家へと向かった。
おばさんは、始終上機嫌で、小さい家をまるごと彼女らに提供してくれたのだ。
旦那を早く亡くしていて、息子は一人いるが、19歳でちょうど旅に出ているという。
今日は、兄のところに泊めてもらうと、彼女は出て行った。
「見事だね」
小さい食卓の椅子に腰掛けながら、菊は目を細めながら景子を見る。
この手品のタネは、彼女にはバレているので、「そんな」と恥ずかしくなってうつむいた。
日本人だったから。
植物に携わる仕事をしていたから。
そんな景子の恥ずかしさを、もう一人理解してくれない人がいた。
「質問に答えてもらおうか……」
リサーだ。
彼女は、びくぅっと飛び跳ねる。
尋問されるかと、思ったのだ。
それくらい、上から目線の言葉だったのである。
菊が、無粋だなとでも言いたげに、眉間を寄せた。
言葉が全部分からなくても、語気などで伝わることもあるのだろう。
「何故、畑を水で満たす必要があるんだ?」
しかし。
彼の聞いてきたものは、尋問ではなく──疑問だった。
「何故、豆類の枯れ草を畑にまくんだ?」
リサーは、彼女の言葉の理屈を知りたがっているのだ。
あー。
最初にここに来た時、景子はうまくしゃべれないまま、微生物の話を一生懸命しようとした。
だが、その微生物の話を、彼にしてしまえば、こう聞かれるだろう。
『どうして、お前にそれが見えるんだ?』と。
証明するには、顕微鏡がいるのだ。
「同じ植物を、同じ畑に続けて植え続けると……だんだん土が弱るの」
景子は、その話を避けながら、とつとつと説明を始めた。
「豆の枯れ草をすき込むのは、違う種類の植物だから……土に違う栄養が入って……」
そこまでは、何とか説明できた。
しかし、水を張るのは、偏った微生物を窒息させるため。
「水は……ええと……昔からそう言われてるから、何でかよく分からないの」
菊が、言葉を全部分からないのをいいことに、景子はそんな風にとぼけたのだった。
※
翌朝。
おばさんに起こされた時、リサーは家にはいなかった。
菊と二人で外に出ると、彼は既に畑にいたのだ。
おじさんの素晴らしい畑と、他の畑を何度も何度も往復して、実の詰まり具合を確認している。
うなったりひねったり、ついには、あのリサーが──地面にはいつくばったのだ。
「……!!」
それには、景子が悲鳴をあげそうになった。
「おー……やるねぇ」
菊ときたら、本当に感心した声をあげる。
「な、何をしてるんですか!」
感心している場合ではない。
景子は、駆け寄りながらリサーを立たせようとした。
「土を、見ている。お前には見えて、私には見えていないものがあるのだろう? それを探している……邪魔をするな」
彼は、真剣そのものだった。
この謎を解明していくことこそ、アディマのためになる。
そう信じている目だ。
真面目なんだなあ。
リサーは、本当にアディマのため──ひいては、国のために頑張ろうとしている。
そのためなら、こんなメガネの女についても行くし、地面にも這いつくばるのだ。
景子も、彼の側にしゃがむ。
そして、土に手を突っ込んだ。
土を持ち上げて、手の中で崩して見せる。
おじさんの畑の土は、水をよく含んでいるのに、中はとても温かい。
たくさんの微生物が、活発に活動している証拠だ。
そんな景子の動きに、リサーはハッとした。
手が汚れるのも気にせず、彼も同じように土を握る。
その手のまま、他の畑へと向かい、もう一つの手で土を握ったのだ。
「……!」
両手を汚した男は、土の違いを身体で理解したのである。
そのまま立ち尽くす彼を、景子も菊も辛抱強く待ち続けたのだった。




