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リサーの受難

 日がたつつれに、景子も落ち着いていった。


 アディマは、あの話を蒸し返すこともなく、リサーに至っては口に出したくもないようで。


 あれは、夢か聞き違いだったんじゃ。


 景子の逃避は──着々と進んでいた。


 そんな、ある日。


 峠を越えると、視界がいきなり開けた。


 一面の穀倉地帯が、景子の眼下に広がっていたのだ。


 素晴らしい平野の眺め。


 実りが近いらしく、畑は色づき始めていた。


 あ。


 景子は、ふと南側を見た。


 行きに菊と二人で通ったルートは、そっちの方だったのだ。


 あの畑は、どうなっただろうか。


 連作障害の出ていた、穀物畑だ。


 無事、実りは増えているだろうか。


 冬のない地域だから、刈り終えたらまたそう遠くなく、次の穀物を植えるに違いない。


「なに? あの村に寄りたいの?」


 菊が、遠くを見るように伸びをする。


 彼女も、忘れてはいなかったようだ。


「南の方、だよね……多分」


 南に抜けて、そしてもう少し西に向かえば、またたどりつけるはず。


 だが、あいまいな記憶でもあった。


「そうだね……確か。じゃあ、行こうか」


 何と気楽に。


 菊は、南へと顎を向けるのだ。


「あ、いや……そんないきなり」


 今度は、二人旅ではないのだ。


 進路を決定する権利など、景子にはない。


「何も、ずっと一緒に旅をしなくてもいいんじゃない? どこかで合流できればいいし、最悪、梅のところで会えるんじゃないかな」


 菊は、とても身軽な発想をする。


 梅が残る時も、リサーに追い出された時も。


 人の出会いと別れは、あるがままに任せればよいと思っている気がする。


「ケーコ?」


 後方の騒動に、アディマが足を止めて振り返る。


 あああ。


 ど、どう、説明しよう。


 しがらみだらけの景子は、覚悟も決め切れずあたふたとするだけだった。



 ※



 ああああ。


 景子が、ルート変更の説明を、しどろもどろにアディマにしている間。


 リサーの眉間の皺が、どんどん深くなっていくのが分かったのだ。


「ああ、でも……わ、私と菊さんだけで行くから」


 だが、そう付け足した瞬間のリサーの顔は、まるで陽が差したように明るく晴れやかに変わる。


 彼が、二人の離脱をとても喜んでいることだけは、はっきりと伝わってきた。


 よほど、景子たちが邪魔らしい。


 だが。


「どうせ急ぐ旅ではないから……僕らも、そちらのルートをゆこう」


 アディマが、そんなことを言ったがために。


「「……!!」」


 また、リサーと景子の息が合うこととなったのだ。


「いけません、我が君。この街道でないと、次の領主のところへゆくのに遠回りになってしまいます」


 そして、彼の忠実なる従者は、もっともな意見を情熱的にぶつけるのである。


 コクコクと、景子も頷いた。


 これは、あくまでも彼女のワガママの範疇の話なのだ。


 どうしてそれに、アディマを巻き込めようか。


「何? 若さんも行くって?」


 二人の様子で、菊にまで会話が筒抜けたようだ。


 彼女は、とても面白そうに目を細める。


 い、いや、面白くないから。


「リサードリエック……時間は、余るほどにあるよ」


「安全は、余るほどにございません!」


 主君の言葉に、それでもリサーは食い下がる。


 ふむ、と。


 アディマは、ここを強硬に通す気配はないようで、しばらく考え込んだ。


 景子は、それにほっとしかけた。


 菊と二人で行かせてもらう方が、よほど気楽だった。


 それか、行くことをあきらめるか。


 話の流れは、前者に傾きかけたように見えた。


 なのに。


「では、リサードリエック……お前が、この二人と同行してもらおうか」


 アディマの結論は──遥か高みにぶっとんだのだ。


「「……!!」」


 そして、リサーと景子の目を飛び出させたのだった。



 ※



「我が君! な、なんという!」


 リサーは、これほどの屈辱はないというほどに、目の縁を真っ赤にしていた。


「勝手に行きたいと言っているのです、二人の勝手にさせればよいでしょう!」


 まったくもって、おっしゃる通りでございます。


 景子は、いまのリサーには、1ミクロンも逆らう気などなかった。


 アディマの従者として、彼には誇りがあるのだ。


 それなのに、目の敵にしている景子に同行しろなど。


 彼は、随分無茶を言っている気がした。


「リサードリエック……」


 アディマは目を閉じて、穏やかな声でその名を呼ぶ。


「お前は、ケーコの話を聞いてたかい?」


 開いた瞳は、艶やかなカラメル色の金。


 深い迫力さえ含むその色が、リサーに向けられている。


「き……聞いていました」


 答える声を聞きながら、景子も一緒に首をひねっていた。


 一体、彼女の話とリサーに、何の関係があるというのか。


「ケーコは、自分のしたことで穀物の収穫が上がったかどうか、様子を見に行きたいと言った……これの意味することを、お前ともあろうものが分からないのか?」


 瞬間、従者は硬直した。


 何か、強い衝撃を受けたかのように。


「この穀倉地帯は、この国でも有数の食料を生み出す地域だ。だが……年々、収穫は落ちている」


 作付面積は変わらないというのに、だ。


 アディマの、憂う声。


 ああ、そうか。


 景子たちにとって、食料とは単なる食料に過ぎない。


 だが、国を治める者にとっては、食料は食料であり、税であり、そして民を満足させるためのものでもあるのだ。


 食料の生産が減れば、税は下がり国庫は枯れ、民の不満も上がる。


「わ、分かりました……」


 喉から搾り出すように、リサーは答えた。


 彼は、いつか政治に参加することになるのだろう。


 だからこそ、アディマは彼に同行しろというのだ。


 景子が何をしたか、その目で知るために。


「デジュールボワンス卿の屋敷で、到着を待っている」


 優しいアディマの声が、優しさだけで出来ているのではないと──分かった。

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