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ふすまの戸

 あああああ。


 今日は、もう旅立たなければならないというのに、景子の足は鉛のようだった。


 さくさく旅支度を整える菊の横で、ナメクジのように彼女はのろのろとした動きしかできないのだ。


 菊に、彼女の年齢的な不安は、よく分からないのだろう。


 景子は、10代の自分を覚えている。


 しかし、菊は30代の自分をまだ知らないのだ。


 当人の実感としてのこの年は、かなりヘビーなのに。


 そんな風に、ぐずぐずとしていたら、ノッカーが鳴る。


 びくっとしたが、扉を開けたのはシャンデルだった。


「まだ、準備が終わっていないの?」


 そして、景子のナメクジっぷりに鋭い一言。


「あっ、す、すぐ終わります!」


 わたわたと。


 彼女は、荷物を布にしまった。


「……」


 そんな景子を、シャンデルは黙って見ている。


 彼女の様子は、いつもと変わりはない。


 昨日のアディマの爆弾発言を、リサーは誰にも言わなかったようだ。


 い、言えるワケないよね。


 冷や汗を流しながら部屋を出た景子は、そしてそのリサーと、次に出くわしたのである。


 げっそりと。


 一晩で、どうしたらそこまでやつれることが出来るのか。


 リサーは、すっかり頬がこけていた。


 だが、その目が景子を視認するや、敵意に似た光を放つではないか。


 ひぃっと飛びのいた景子は、後ろにいた菊に思い切りぶつかる羽目となる。


「やぁ、リサー……おはよう。いい朝だな」


 そんな彼女を支えながら、菊が信じられないほどさわやかな声で挨拶を投げる。


 この国の言葉で、これほど長い挨拶を彼に向けたことなど、これまで一度もないというのに。


 更に、笑顔さえ浮かべているのだ。


 分かっていて、わざと言っているのだけは間違いなかった。


 忠実なる従者のこめかみが、ぴくぴくと痙攣するのが見える。


 あ、あああああああ。


 青ざめながら、景子は右往左往するしか出来なかった。



 ※



「リサードリエック……」


 あの、意思のある声が、忠実なる従者の名を呼んだ。


 はっと、景子が振り返ると──アディマとダイが、こちらに向かっているのが見える。


 慌てて、女たちは脇へとよけた。


「準備は整われましたか、我が君」


 リサーは、目を伏せている。


 アディマの目を見ると、何か咎められるとでも思っているのか。


 と、人の心配をしている場合ではなかった。


 景子は廊下の脇で、ガクブルの続きをするしかないのだ。


 無意識に、菊にしがみついている自分に気づかないまま。


「ああ、いつでも出発できるよ」


 リサーの名を呼びながらも、彼は特別用事のある言葉は投げなかった。


 そして。


 女性たちの方へと、彼は視線を向けるのだ。


「おはよう……今日もいい朝だね」


 その言葉に、シャンデルは深々と腰をかがめる。


 景子も、そうしようと思ったのだが、足がうまく動かせない。


 菊にならって、頭を下げるので精いっぱいだった。


 そんな彼女に、アディマは優しく微笑んでくれるのだ。


 ああああ、そんな目で見ないでぇ!


 自分の、女としての無能さとか至らなさとかを隠している、押入れのふすまを開け放たれてしまう気がしたのだ。


 隠しているものが、そこから雪崩のように滑り落ちてゆくというのに。


 一生懸命、ふすまの戸を抑えながら、景子は赤くなったり青くなったり忙しかった。


「じゃあ、行こうか」


 そう言って、アディマは男二人を従えて歩き始める。


 シャンデルが続く。


「大丈夫? 景子さん」


 しがみついたままの彼女に、菊が一声かけてきた。


「う、うん」


 ようやく手を離し、景子は深呼吸した。


 どうしたらいいのか分からないままでも──また旅は続いてゆくのだ。

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