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欄干の上

 セルディオウルブ卿の晩餐では、美しい竪琴の音色が披露された。


 年配の使用人の二人が、それぞれの手に竪琴を持ち、穏やかに奏でている。


 太陽の差す草原を想起させるような、広々とした音楽。


 ブロズロッズの宴の音楽とは、また違うそれに、景子は食事もそっちのけで聞きほれていた。


 食事時に音楽が流れる──それが、ここではとても贅沢なことなのだと分かった。


「曲が気になるかの?」


 気になるなら止めさせるが。


 卿にそう言われて、恵子は慌てて否定した。


「い、いえ……とても綺麗な音色で……聞かずにはいられなくて」


 慌てて、食事に戻る。


 それでも、ふとしたはずみに耳を奪われそうになった。


「梅も……今頃何か弾いているかもしれないな」


 隣の菊が、ぽつりと呟く。


 ああ、そうかも。


 景子も、簡単にその姿が想像できた。


 多才な彼女なら、既にこちらの楽器も何かマスターしてそうだ。


「菊さんは、何か楽器できるの?」


 剣術に、髪の編み込みという、不思議な組み合わせの技を持つ菊である。


 叩けば、もっと何か出てくるかと思った。


「篠笛くらいかな……吹けるのは」


 そして、やっぱり出てくるのだ。


 逆さにして、叩いて振り回しても何も出てこない景子とは、大違いである。


「篠笛って……こういうの?」


 景子は、ゼスチャーで横笛を吹く真似をしてみせた。


 そう、と菊が頷く。


 確か、ブロズロッズの宴では横笛もあったような。


 景子の頭に、ふとそんな記憶がよぎった。


「横笛って……あります?」


 日本語をやめて、景子は卿に聞いてみる。


「あるが……笛のたしなみがあるのかね?」


 興味深そうな翁。


「あ、私ではなく……菊さんが」


 景子が手で隣を示すと、菊は怪訝そうに片目を閉じた。


 言葉がよく分からない彼女は、そこでようやく景子が何を言っているのか理解したのだろう。


「景子さん……」


 制する声を、聞こえないふりをする。


 だって。


 聞いてみたいじゃない。



 ※



 菊は、運ばれた笛を受け取ると──晩餐の席を立った。


「音を見てくる」


 そう言い残して。


「どうしたのかね……彼女は」


「この国の笛に触れるのは初めてなので、試してくると」


 セルディオウルブ卿の問いに、景子は答えた。


「恥をかかなければよいが」


 ぼそっと。


 リサーが呟く。


 いたたたたた。


 聞こえてしまった景子は、その言葉のつぶてを避けるように、アディマの方を見た。


 彼は、機嫌良く微笑み返してくれる。


 髪も、ほめてくれたのだ。


 菊の手柄であることを、また説明しなければならなかったのだが。


 編み込み、覚えよっかな。


 景子は、本気でそう思い始めていた。


 自分で出来れば、これから恥ずかしい思いをしなくなる。


 菊という先生もいるし、幸い、この屋敷には二泊することになるのだ。


 卿の孫娘も、景子の髪に興味を持ったようで、使用人を通じて髪のことを聞きに来たほど。


 編み込みという技は、この世界では発展していないのか。


 そんな風に、髪のことを考えていたら。


 菊が、戻ってきた。


 驚いたのは、彼女が袴姿になっていたこと。


 荷物から出して、着替えてきたのだろう。


 皆が。


 皆が、見つめずにはいられない、その東洋の娘に──竪琴の音色さえも、止まった。


 笛を唇の下にあて。


 菊は、一音を吹き流した。


 音色が、掠れる。


 高い音を泣かせるべく、それに息を震えるように混ぜるのだ。


 嗚呼。


 景子の中の、魂が揺さぶられる。


 五条大橋の、欄干の上に立つ彼女の姿を思い浮かべてしまうほど。


 武蔵坊弁慶は、何処にもいなかったけれども。

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