油と櫛
☆
セルディオウルブ卿の住まう町は、にぎやかな宿場町だった。
特に、髪を装うための商品を扱う店が多いのは、神殿のすぐ側の町らしい、といったところか。
「北から神殿に来る者は、かならず最後にここに寄るからね」
アディマの説明を聞きながら、景子は町に目を奪われていた。
景子たちは、西から神殿に入ったために──更に、農村ルートを通ったらしく、最後まで余り大きな町はなかったのだ。
子供たちの反応も違う。
旅人を見慣れているので、物売りに近づいてくるのだ。
髪の油や、宿への客引き。
子供とは言え、一生懸命働いている。
「セルディオウルブ卿のところへ、ゆくのだよ」
子供たちに、アディマが穏やかにそう言うと、彼らの反応が一気に変わった。
「大爺様のところのお客さんかぁ」
それじゃ、商売できないや。
集まってきた子供たちが、ケラケラと笑う。
愛すべき呼び名が、景子の頬を緩ませた。
「おねーちゃんも、大爺様のとこに行くの?」
油売りのかごを下げた少女が、景子に問いかける。
うんうん、と笑顔のまま、彼女は頷いた。
だが、少女は少し考え込んで、かごからひとつ油の瓶を差し出すではないか。
「おねーちゃんにあげる。大爺様のとこに行くのに、そんな髪じゃダメよ」
笑顔が──衝撃に変わった。
景子は、またいつも通りの髪に戻っていたのだ。
神殿でなければ、これまでさして咎められることもなかったからである。
しかし、ここは大きな町だ。
農村よりも、もっともっと人々は身なりに気を使っていて。
こんな小さな子供でさえ、髪だけは美しく結っている。
そんな町の人から見れば、景子の髪などとてもみっともないのだろう。
子供でさえ、売り物をあげようとするほど。
あ、あははははは。
景子は、乾いた笑いを浮かべた。
心の中では、さめざめと泣いていたが。
「ひとつ買おう……」
反応できないでいる景子の横から、手が伸びる。
アディマは、無料でくれるという少女から、油をひとつ買い取ったのだった。
※
卿の屋敷の門の前で、景子は足を止めてしまった。
油の瓶は、アディマがしまってしまい、彼女の髪は何も変わっていなかったからだ。
こんな髪で、卿の前に出ることは、とても恥ずかしいことなのだと──子供に教えられたのである。
そのショックから、まだ景子は立ち直れていなかった。
前にあの老人にあった時は、幸いにもおばさんに綺麗に整えてもらっていた時で。
少しは、いまよりはマシだったのだろう。
年甲斐もなく恥ずかしいが、髪を編んだ方がいいに決まっている。
そんな迷いいっぱいの景子をよそに、使用人は門を開けて彼らを招きいれるのだ。
あ。
ど、どうしよう。
「ケーコ?」
後方の異変に気づいたらしく、アディマが振り返って彼女を呼ぶ。
でも、足を踏み出せない。
そこで菊が、あははと突然笑い出した。
景子が、ぎょっとしてしまうほど。
「若さん……油と櫛!」
菊は快活に、しかし、独特の呼びかけをする。
神殿に行ったおかげか、彼女は『櫛』という単語をマスターしていた。
アディマは、自分が呼ばれていることに気づくのに、少しかかったようだが、荷物の中から、言われたものを取り出す。
それを、菊は受け取るや、景子の元へと戻ってきた。
「行こう……景子さん」
そして。
彼女は、屋敷とは逆の方向へと、景子を連れて行こうとするのである。
「え? え? 菊さん?」
ぽかんとする男どもを置いて、二人の足は町の方へと向かっていた。
「アディマたち、心配するよ」
後ろを振り返りながら言うが、菊は笑うだけだ。
「油と櫛を持った女が何をするかなんて……誰が考えたって分かるだろ?」
心配しやしないさ。
菊は片方には景子の腕を、もう片方では櫛や油の瓶を珍しそうに眺めながら歩く。
「大丈夫……梅の髪でさんざん遊んでたからね……意外と指先は器用なんだよ」
誰もいない、細い路地に連れ込まれる。
菊は──櫛をくわえて、瓶のふたを開けたのだった。




