しきたり
☆
顔を、跳ね上げていた。
いきなり、全身に血液が巡り始め、目の前が変な色に点滅し始める。
その点滅のせいで、見たいものがはっきりとよく見えない。
景子は、口を鯉みたいに開けて、酸素を必要とした。
だが。
光だけは、その光だけはちゃんと見えた。
ブーツに隠された光ではなく、この人間自身の持つ光だ。
間違いなく──アディマと同じ者。
「ア……ディマ……」
酸素をうまく取り込めない口で、途切れ途切れの名前を呼ぶ。
「うん……僕だよ……ケーコ」
そこには、青年がいた。
黒髪はすっかり短くなっていたが、褐色の肌と琥珀がかった金の目をした男だ。
一体。
一体、何があったのか。
あの子供ならざる者は、一足飛びに菊の年齢を追い越しているように見えたのだ。
「ど……どして……アディマ」
目の前が、霞む。
声が、歪む。
目頭が熱くなって、もっとちゃんと見たいのに、どんどん彼の顔を不鮮明にしてゆくのだ。
そんな彼女に、アディマは膝を折る。
周囲が少しざわついたが、景子はそれどころではなかった。
「どうして……は、僕の言葉だよ。どうして、黙っていなくなってしまったんだ?」
そう囁かれるが、彼女はただただそれに、首を横に振るしか出来ない。
もはや、言葉など出せる状態ではなかったのだ。
腰は抜けたし、涙は止まらないし。
このまま景子は、床の上で涙の石像になってしまうかと思った。
そんな彼女を、深い瞳でじっと見つめながら、アディマは辛抱強く側にいてくれるのだ。
憐れだったのは、神官たちだったろう。
彼らがそうしている間、神官たちもまたそこに縫い止められ続けていたのだから。
※
アディマに支えられるように、景子は礼拝堂を出てきた。
膝が笑って、うまく一人では歩けなかったのだ。
前から誰か来る。
景子は、一瞬歩けなくなった。
驚いた顔をしたリサーが、駆け寄ってきたからだ。
彼は、景子を確認するや口を開こうとした。
「リサードリエック……今はいい。少し、二人にして欲しいのだが」
しかし、それをアディマは先に止めてしまう。
リサーは。
自分の主を、改めて見上げた。
そう。
リサーは、彼を見上げなければならなくなっていたのだ。
「わ……分かりました。我々が、朝使った控えの間が空いております……」
彼は、ごくりと何かを飲み込んだ気がした。
そして、脇へとよけるのだ。
前と違い、アディマの言葉には強い力を感じる。
神殿の途中から折れ、アディマはとある扉の前で足を止める。
ノッカーも叩かずそこを開けると──中には誰もいなかった。
これが、リサーの言っていた控えの間とやらか。
扉を閉めると、アディマは彼女をソファに座らせた。
そして、自分もその隣に、ゆっくりと腰を下ろしたのである。
景子はまだ、手に太陽の木の枝を握ったままだった。
その手に、そっとアディマが自分の両手を重ねてくる。
大きい、手。
景子の手が、見えなくなってしまうほど、彼の手は大きくなってしまったのだ。
何から、どう聞いたらいいのだろう。
最初から、不思議な人だった。
小さいのに、子供には見えなかったのだ。
再会して、改めてみたら──彼は、瞳の年齢に近い姿になっているではないか。
「18の誕生日が来たら……僕たちは旅に出るんだ」
アディマは、景子に優しい声で語りかけてくる。
「そして、19の誕生日が来るまでに、この神殿に徒歩で到着しなければならない」
彼の言葉は。
最初から、不思議で出来ていた。
アディマの話どおりだというのならば、あの子供の姿で既に18歳だったことになるのだから。




