表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/279

イデアメリトスの子

 どっどっどっど……どうしよう。


 景子の心臓は、自分のどもりの音よりも激しく打ち鳴らしている。


 震える手には、太陽の枝。


 彼女に言い渡されたのは。


 この吉兆である太陽の木の枝を──儀式が終わったばかりの、イデアメリトスの子に捧げよ、というものだったのだ。


 彼らは、枝の到来を伝説と呼んだ。


 その伝説を、宗教画のような構図で仕上げようという気なのである。


 い、いえ、私はこの枝を接ぎ木したかっただけで!


 そう伝えたかったのに、景子の頭は突然のことに沸騰し、日本語でさえ不自由な状態になってしまったのだ。


 あわあわしている内に、神官たちに引っ張られて連れて行かれる。


 あ、いやだって。


 心の準備なんか、出来ていなかった。


 枝を捧げる相手は、おそらくアディマなのである。


 向こうも驚くだろうし、彼女もどんな顔をしていいか、まったく分からなかったのだ。


 彼女の心などよそに、広い礼拝場のようなところにたどりついた。


 そこに、景子は跪かされる。


 頭も垂れさせられた。


「そのまま……そのままでおられよ」


 そして──神官は、後方へと下がったのである。


 枝を握りしめ、景子はただただ石づくりの床を見た。


 綺麗に磨きあげられているために、膝をついても痛くはなく、ただ少し冷たいだけ。


 ずっとずっと前の方から。


 石の床を踏みしめる、固い音がした。


 誰かが、ゆっくりとこちらに向かって歩いて来ているのだ。


 その足が。


 足が、すぐ前で止まった。


「イデアメリトスの子に、贈り物が届いております……太陽の木の枝です」


 勿体ぶった神官が、朗々とそれを謳い上げる。


 あ、ああ。


 景子は、ゆっくりゆっくりと顔を上げた。


 アディマ。


 そう、心の中で呟きかけた言葉は──露と消えた。


 顔を上げている最中で、違和感がこみ上げて来たのだ。


 アディマじゃ……ない?



 ※



 その瞬間の思いを、景子はどう表現すればよかったのか。


 どきどきは次第に色あせ、足と手の先が少しずつ冷たくなって。


 頭は緩やかに、思考を停止した。


 思いこんでいたのだ。


 ここで儀式をしているのは、アディマだと。


 イデアメリトスの子と言うのは、彼に違いないと。


 だが。


 目の前にいるのは、ただ一人。


 この人が、アディマであるはずがなかった。


 顔を、膝の位置まで上げた時点で、気づいたのだ。


 長い皮のブーツに覆われた膝下。


 その時点で、既に大人の長さだったのである。


 確かに、ブーツからは光は漏れていた。


 だから、その人がただ者でないのはすぐに分かった。


 だが──アディマではない。


 景子は、思考停止したまま、顔を上げるのを途中でやめた。


 自分が、泣いてしまわないように、そうするしかなかったのだ。


 ああ。


 私は、こんなにもアディマに会いたかったのか。


 そんな気持ちさえも、石と同じように固めたかった。


 景子の中に深くあった、接ぎ木のことさえ、思い出せなくなってしまうほど、彼女はただ義務的に、枝を差し出したのだ。


 手が伸ばされたのが、分かった。


 景子の側で、影が動いたから。


 だが、景子はもはやただの抜け殻のように、ぼんやりとその影に任せていた。


 その手が。


 その手が、太陽の木の枝──ではなく、景子の手を取ったのだ。


 温かい手に、彼女の固まった心は、すぐに反応出来なかった。


 怪訝に思うことも出来ずにいる景子は。



 こう。



 呟かれた。



「……ケーコ?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ