最捧櫛
☆
「この年まで生きておるとな……」
景子たちは、先に進むことが出来た。
この老人が、太陽の木の枝と認定した途端、彼女たちは先へと通されたのだ。
「いろんな体験をするものなんじゃよ……太陽の果実を食べたことも、一度だけじゃがある」
老人とそのお付きのやや後ろを歩きながら、景子はしゃがれた彼の声を聞いた。
「その時、果実には短い枝がついたままじゃった……わしは、それを大事に大事に朽ちるまで眺めておった」
遠い昔を、思い出す声。
「姿は、朝日の木とよく似ておるが、匂いが違う。わしは、それこそねぶるように毎日、枝の匂いを嗅いでおった……忘れはせぬ」
朝日の木。
もしや、この町にあったあの木のことだろうか。
「こ、これは……セルディオウルブ卿……ようこそおいでくださいました」
神官らしき人が、3人ほど神殿から出てくる。
その先頭は、年配の女性だった。
老人の近くに寄りながらも、落ち着かない素振りを見せる。
「久しゅう……今日はめでたくも忙しい日じゃな。これも、まばゆき太陽のお導きであるかな」
ゆるやかな卿の声に、年配の女性は困ったように微笑んだ。
「本当に……最捧櫛の儀のために、神官長のほとんどは祭壇の方にいっておりまして。私のような、若輩には手に余ることばかりです」
視線が、彼に定まっていないのは、何かを探しているからか。
それに、老人は高らかに笑った。
「太陽の木の枝を探しておるのじゃろう……こちらの娘御じゃ」
彼のすぐ後ろにいたために、卿の連れと間違われていたのか。
女性の視線が、ようやく景子と──彼女の手の中に注がれる。
「わしが証明する……本物じゃ」
彼は、軽く自分の胸に手をあてた。
「まぁ……まぁ……」
本物と言われ、女性はめまいを覚えたようによろける。
「これは……吉兆に違いありません。最捧櫛の日に、このような慶事が起きるなど」
「まったくじゃの……このことは、おそらく後々まで伝説となるじゃろう」
で、伝説?
話が、突然巨大に膨張したのだ。
景子は、二人の会話を聞き、冷や汗をかきながらおそれおののいたのだった。
※
物凄く、いい部屋に通されてしまった。
景子は、ガチガチに固まったまま、そこに座っていた。
周りには、誰もいない。
そう、菊さえも、だ。
彼女が入れない理由は、帯刀のせい。
武器は預かると言われたが、彼女はそれを受けられなかった。
「悪いね」
彼女は、そう言って外に残ったのだ。
ここで彼女の身が、危なくなることはないだろう。
だから、菊に守ってもらう必要はないのだが。
精神的な支えがない中での一人ぼっちは、プレッシャーを増やすばかり。
そんな彼女のいる部屋に、ノッカーの音が軽く響く。
びくっとしながら、景子は椅子から立ち上がった。
セルディオウルブ卿──あの老人だったのだ。
景子は、ほぉと胸をなでおろした。
偉い身分なのは分かるが、おしゃべり好きの優しい老人だと分かったからである。
「すまぬすまぬ……神殿に捧げてしまう前に、もう一度それに会いたくて、な」
卿は、景子の手の中のものを見る。
緊張がようやく解けて、彼女はようやく笑うことが出来た。
こんな老人なのに、枝の前では子供のようではないか、と。
差し出すと、いとおしそうに見つめた後、もう一度匂いを嗅ぐ。
そこで、景子ははっと思い出した。
「あ、あの……た、種……種があります」
枝はあげられないが、種ならいくつか荷物の中だ。
景子は、慌ててそれを解いて、きちんと乾燥させた種を一粒持ち上げた。
「おお……種もあるのか……そうか、お前さんも果実を食べたのだな。しかし、太陽の木は難しい、わしも食べた種を、庭の一番いい場所に埋めたのだが、結局芽吹かなかったのだ」
朝日の木ですら、この町では1か所しか根づかなかった。
そう付け足される。
彼女たちが見てきた、あの木だろう。
んーんー。
景子は、太陽の木とこの町の木を、頭に思い描いた。
何か。
何か、ひっかかったのだ。
「あ!」
配線が──つながった音がした。
※
「囲まれたところに……木か建物に、囲まれたところに植えてください!」
景子は、種を一粒──セルディオウルブ卿に差し出した。
そうだ。
太陽の木も、この町の木も、どちらも囲まれた中にいた。
森の木々の中と、建物の真ん中。
この種類の木は、周囲に何か高いものを欲しがるんじゃないか。
景子の脳みそは、そんな答えを出したのだ。
あれは、木にとって悪いのではないか。
景子は、最初はそう思った。
だが、そうじゃないとしたら?
この木は、周囲を何かに囲まれ、日当たりが悪い方が苗木が育ちやすいのかもしれない。
そして、太陽を目指して一直線に伸びてゆく。
これまで、太陽の木の種だと知っていた人々は、おそらく日当たりのいい、周囲に余計な木のないところに植えようとしたに違いない。
だから、芽吹かなかったし、根づかなかったとしたら──あの希少な扱いも理解できる。
「なん……と?」
老人は、驚きの声をあげた。
「太陽の木は、森の中にありました……木がいっぱい茂っている中に、一本だけ」
景子は、自分の思いつきに嬉しくなっていた。
「朝日の木? も、建物の間に生えてますよね?」
そう付け足すと、老人は「おお、おお」と感嘆の声をあげた。
「そうであったか……かの木の幼子は、太陽が苦手であったか」
ほっほっほ。
卿は、愉快そうに笑う。
景子も、にまにましてしまった。
それでもなお、生育は難しいのかもしれないが、景子には明るい希望が見えたのだ。
「最捧櫛の儀の祝福が終わったら、すぐに帰って埋めてみようぞ」
そう言って、卿は枝を景子に返した。
あ。
「あの……そ、その最捧櫛の儀って……な、何ですか?」
大層ご機嫌なセルディオウルブ卿になら、聞いても許されるような気がして。
景子は、勇気を出してみたのだった。




