神殿まで
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神殿に行く口実が出来たな。
菊は、またも一直線に植物に向いている景子を見ながら、苦笑した。
彼女が一度こうなると、ある程度決着がつくまで、それしか見えないのではなかろうかと思えるほどだ。
この町のどこかに、すでに御曹司がいるかもしれないというのに。
だが、それは彼女が御曹司を軽んじている意味と、違うことは分かっていた。
人は、理と情がある。
景子の理は、植物にあり、情はあの御曹司にある。
菊の理は、定兼と剣術にあり、情は梅にある。
その二つがあって、人なのだ。
どちらも、ないがしろには決してできないものだった。
『仕事と私と、どっちが大事なの!?』
日本では定番の、女性のセリフがあるが、あれは理と情の片方を選択しろと言っているものである。
情の中だけでも、優先順位をつけるのは大変だというのに、理と情の天秤などかけられるものではない。
景子は、理のために枝を持って神殿へゆく。
運がよければ、情ともつながるかもしれない。
御曹司たちの情報を、神殿から手に入れられるかもしれないのだから。
二人は、神殿に向かって歩き出した。
巡礼の列は、途中で右にそれる。
小さな神殿の方。
菊は、その列から離れた。
小高い丘へと向かう道だ。
大きな石の柱で組み上げられた神殿が、丘の上に鎮座している。
門が解放されて時間が余りたっていないせいか、まだそこへ向かう人は少ない。
まずは、一般用神殿への参拝が優先で、その後、大きな神殿を一目近くで見て帰るという流れだろう。
人が少ないのは、ちょうどいいな。
話を、ゆっくり聞いてもらえる可能性が高いからだ。
そんな二人の後方で、荷馬車が止まる。
ちらりと振り返ると、豪華な装飾の幌がついている荷馬車だった。
どうやら、身分のある者のようだ。
身分ある者であっても、神殿の前までは荷馬車は横づけにできないのだろう。
この丘への道は、どんな身分の者であっても等しく足で歩かねばならない、というわけか。
多少は、好感の持てる神様のようだった。
※
「止まられよ」
神殿まで、あと少しというところで、二人は止められた。
刃物ではなく、棒を持った二人の男だ。
上から下まで、黄色の布に包まれている姿は、軍属には見えない。
護衛神官とでも、言ったところか。
菊は、すぐに膝を折った。
景子も、慌てたように真似る。
「ここからは、一般巡礼者は近づけぬ……戻られよ」
観光に来る、一般人のあしらいに慣れているのだろう。
意思の強さは伝えてくるが、どこか事務的なものだった。
菊は、そっと景子にアイコンタクトを送る。
どきっと、彼女が少しだけ跳ねた。
「あ、あの……た、太陽の木の枝を捧げに参ったのですが……こちらではダメでしょうか」
両手で、景子は木の枝を捧げて見せる。
声は震えているし、手も同じ有様。
きっと彼女は、学芸会では裏方をやっていた口だろう。
その様子に、菊は微笑んだ。
もういっそ、ここで追い返されてもいいかと思った。
だが、護衛神官は二人、顔を見合わせるのだ。
そして二人とも、景子の捧げ持つ枝を見るのである。
その顔は、何とも言えず困惑したもので。
こんな珍事は、おそらく初めてなのだろう。
枝の真偽すら、つけられないでいる。
「ちょ……ちょっと待たれよ」
二人の内一人が、布を翻らせ神殿の方へと足早に戻ってゆく。
彼らの判断では、どうしようも出来ないと思ったのだろう。
「ふむぅ」
膝をついたまま待っている二人に、上から不思議な男の声が響いた。
見ると、少し後方から歩いてきた身分のある者が、追いついたようだ。
そして、上から景子の持つ枝を、じっと見ている。
「──木と似て──少し─匂い──」
すっかり髪も真っ白になった老人だが、まだ豊かなそれを後ろで長く結っていいた。
景子の手から枝を預かり、彼は自分の鼻先へと近づけ、目を閉じた。
「おお……おお……」
老人の枝を持つ手が、ぷるぷると震え出す。
そのまま昇天してしまうのではないか──菊は、一瞬とてもとても失礼なことを考えてしまった。




