木
☆
ああ。
景子は、最初は匂いに、そして次は光に導かれた。
果物の木だ。
果物の木が、一本あったのである。
町の人に、その実は愛されているのだろう。
果実は、もぎとられてひとつも残ってはいない。
だから、光は弱まってはいた。
景子は別に、果物を泥棒しに来たわけではない。
匂いに、そして木の風貌に、光の色に、思うところがあったからだ。
あの、太陽の木と。
ああそう、お前はあの木の親戚なのね。
おめでたい、太陽の木に似た果実。
神殿のあるこの町だからこそ、こんな木が植えられているのかもしれない。
しかし、これまでに1本しか見なかったということは、そこまで出回っている種類ではないのだろうか。
荷物を下ろす。
そこには──枝が。
1本の、枝がしまいこまれていた。
少しの水でも、それはまだちゃんと生きている。
微かな光を見詰めた後、景子はそこでようやく菊を振り返ったのだ。
彼女は、ちゃんとそこにいてくれた。
「菊さん、小刀を貸してほしいの」
菊は、あの農村の髭のおじさんに、それをもらっていた。
生活に必要なものだったのだ。
菊は、小刀を首から外す。
なくさないように、すぐ使えるように、彼女は紐でぶら下げていたのである。
枝と小刀を持ち、景子は──その木に登り始めた。
「なるほどね……」
理解はしたが、苦笑は止められないのだろう。
菊の見上げる顔が目に入る。
「おねえちゃん……何してるの?」
枝の上を這いずっていると。
木の下には、ちびっこが一人増えていた。
※
「あ、えっと……えっと」
枝の上で、景子は焦った。
言い訳の言葉は浮かぶが、どう見ても怪しさ炸裂である。
「それ、大事な木だから、勝手に登ったら怒られるんだよ」
怒られたことがあるのだろう。
大人の真似するように、ちびっこは両手を腰にあてて憤慨した顔をするのだ。
そっか。
景子は、作業を中断した。
この木の所有者は、彼女ではない。
自然にある、誰のものとも知れない木でもない。
それに勝手に手を出すのは、いけないことだと分かったのだ。
景子は、するすると木を下りた。
昔から、おばあちゃんちに入り浸っていたせいで、木のぼりだけは得意だった。
鎮守の森のご神木に登って、叱られた前科を持っている。
あの木は、本当に美しくて優しくて、登らずにいられなかったのだ。
「ええと……お父さんかお母さん、近くにいる?」
小刀を菊に返しながら、景子はちびっこに問いかけた。
「お母さんならいるよ! 待ってて!」
ちびっこは、つむじ風のように周囲を囲む家の一つに駆け込んだ。
そして、髪を編みかけの母を、引っ張り出してきたのである。
子供が小さいせいか、まだ若い。
「まっ……お客様だなんて……ちょ、ちょっとお待ちを……すぐ髪を編んで参りますから」
景子たちを見るや、母親はすぐに家に逃げ帰った。
数分後。
改めて、彼女はそぉっと建物から出てきたのだ。
「お恥ずかしいところを……」
特に、菊を見て恥ずかしそうな顔をするのは──彼女の性別を間違っているからだろうか。
「あの、この木は……どちらの方の持ち物になるのですか?」
景子は、丁寧にそんな母親に尋ねた。
「ああ、こちらの木は、管理は私どもの地区がしておりますが……持ち主は……」
女性が手を捧げるように、遠くに向ける。
「捧櫛の神殿のものになります」
周囲は、建物に囲まれているが。
神殿は、その上に頭をのぞかせていた。
少し小高い位置にあることと、建物そのものが高いせいだ。
あら。
ということは。
この木に接ぎ木をしたいと思ったら──神殿の許可がいる、ということになるのか。




