表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/279

ブロズロッズ

 ブロズロッズへの門は、固く閉ざされていた。


 景子たちのように、入ることを待たされている人たちが大勢外にいる。


「どうなってるんですか?」


 近くにいた年配の女性に、景子は問いかけてみた。


「ああ、何でも偉い人が神殿に入るとかで、その入殿の儀式が終わるまで、出入りを止められてるんだよ」


 おしゃべり好きらしい彼女は、心底困った顔で、ぺらぺらと彼女に教えてくれる。


 ふんふん。


 景子は、これまで聞いてきたことを頭の中で組み立てながら、納得していた。


 ブロズロッズというところには、『捧櫛の祭壇』というものがあるらしい。


 そこは立派な神殿で、毎年多くの人々が巡礼に来るという。


 いわゆる、宗教都市だ。


 ただし、祭壇に入れるものはごく一部ということで、一般人の巡礼者用には別の神殿が用意されているらしいが。


 もしかして。


 景子の胸が、微かに高鳴った。


 もしかして、その偉い人っていうのは──


 景子の頭に、アディマが浮かんだ。


 身体こそ小さいが、瞳の奥の深い人。


 何事もなければ、おそらく彼女たちよりも速く到着しているだろう。


『捧櫛の祭壇』


 アディマは、あの時そう言ったのではないか。


 初めて、旅の行き先を聞いた時。


 いまとなっては、音の一粒も思い出せない。


 だが、アディマであればいいと、心から願ったのだ。


 彼だとするのならば、無事に到着したということになるのだから。


「どうだって?」


 菊が、人の群れを見ながら、景子に問いかける。


 彼女はまだ、会話は苦手のようだ。


「ああ、うん……誰かの儀式が終わるまで、人の出入りは……」


 そこまで言いかけた時。


「これより開門いたす!」


 門の衛兵が、大きな大きな声を上げた。


 人々の顔がぱっと明るくなり、立ち上がったり人を呼んだりし始める。


「あれ……入れるみたい」


 絶妙なタイミングに、逆に景子があっけにとられてしまった。



 ※



 ようやく門をくぐって、ほっとしていた時。


「あんた、そんな髪で神殿に行く気かい!?」


 さっき、様子を聞いたおばさんに、突然後ろから呼び止められた。


「はい?」


 驚いて振り返ると、とんでもないと言わんばかりの顔をしているではないか。


「そっちの兄さんはいいだろうけど……あんたそれじゃあ、神官様にあきれられるよ」


 ちょっとおいで。


 兄さんと言われた菊が、盛大に苦笑している中、景子は道の端へと引っ張られた。


「何だい、このくにゃくにゃの髪は」


 そして、面と向かって髪をけなされるではないか。


 ガーン。


 景子の髪の天然パーマっぷりは、自分でも好きにはなれない。


 だが、他人に向かってはっきりそういう人は、日本にはいなかったのだ。


 少なくとも、建前上は。


 旅を続けて随分たつので、肩下ほどに伸びはしたが、相変わらずのくるんっぷりだった。


「そんな泣きそうな顔しなさんな……ちょいと油をつけて編んでしまえば分からないって……まあ、短いのはごまかしようはないがね」


 おばさんは、大げさに両手を広げながら、景子に笑いかける。


 悪意のかけらもない。


 ただ、腹の底から正直な人なのだろう。


「櫛を捧げる神殿だからね……見てごらん、女性の髪の美しいこと」


 巡礼者が通り過ぎてゆくのを、おばさんは顎で指した。


 右手に櫛、左手に油を取り出したせいである。


 そう言えば。


 景子は、女性の髪を見た。


 つややかな栗色の髪や黒髪に白い髪。


 いずれも、太陽の光を艶やかに反射している。


 垂らしている人は、よほど髪に自信があるのか、長く長く美しい。


 ほとんどの女性は結っていて、それでもなお艶は明らかだった。


「自信がないなら、せめて結っておくんだよ……こんな髪じゃ、お嫁にも行けないからね」


 そして、やはりおばさんは──悪意はなかった。


 男と間違われた菊は、その方が都合がいいと知らんぷりをしている。


 しかし景子は、髪と嫁とのダブルパンチをくらい、頭がずっしり重くなったのだった。


 この国では、31歳ってこと黙っててもいいかなあ、などと。


 往生際の悪いことを考えながら。



 ※



 景子の髪は、二つの小さな三つ編になった。


 天然パーマの髪は、実はそんなに多くはないので、編んでしまうと小さなしっぽみたいになってしまうのだ。


 あ、あは。


 鏡はないが、その髪型には覚えがあった。


 中高と、こんな頭だったのだ。


 こんな年で、二つのおさげなんて、は、恥ずかしい。


 おばさんに綺麗に整えてもらった手前、勝手にほどくわけにはいかず、景子は一人で照れまくった。


 菊が、そんな彼女を見て。


「私より年下に見えるよ」


 と、小さく茶化す。


「ちがっ、あう……あわっ」


 顔が、ますます赤くなる。


「ああ、そうか……なんか変だと思ったら、あんたたち遠くの国から来た人かい」


 二人の会話は、日本語だった。


 おばさんは、珍しそうな、しかし合点のいった顔をする。


「道理で、髪もそんなだったワケだ……海でも越えて来たのかい?」


 どんなところだろうねえ。


 見知らぬ国のことを、彼女は想像しているようだった。


 反射的に、景子の心に記憶の海が甦る。


 ああそうか、ここにも海があるのか。


 日本は、海に囲まれた国だから、海を越えなければよその国へは行けなかった。


 ここへは、海以外の何かを越えて来た。


 しかし、この世界を歩いている間に、海というものには出くわさなかった。


 大きな大陸なのだろう。


 その内陸部を、彼女は歩いて来たに違いない。


「海は……ここから近くの海は、どこへ行けばありますか?」


 行く気が、あったワケではない。


 でも、聞かずにはいられなかった。


「ん? ああ、そうだねえ……このままずっと東に行った方が近いかねえ」


 指された方向は、これまで歩いてきた道とは逆。


 梅のいる町より、もっと遠くなるところ。


「ありがとうございます」


 行こうが行くまいが、関係ないのだ。


 海はどっちか。


 それが分かるだけで、少し安心する自分がいる。


 ああ。


 私は、本当に日本人なんだわ。


 海に囲まれた祖国を、彼女は胸の中で噛みしめた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ