一泊二日
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景子は、畑に再びはいつくばっている。
今度は、手ぶらではない。
菊は、荷物持ちを頼まれていた。
これが、なかなか不思議な組み合わせで。
水を入れた桶と、よその畑で出ている豆っぽい植物の枯れ草──そして、何種類かの謎の苗。
景子はまず、畑の植物を一株土ごと掘り出すと、水の張った桶に突っ込んだ。
その桶を放置したかと思ったら、今度は豆っぽい植物の枯れ草を、手で細かく引きちぎり始める。
そして、さっき土をえぐった部分に撒き散らしたかと思うと、それを練り込んでゆくのだ。
更に、やはり練りこんだ部分は放置して、今度は畑のすぐ脇に、謎の苗を少し離してひとつずつ植えるのである。
ひととおり終わってようやく、景子は畑から顔を上げた。
「ふぅ……」
頬には、泥が一筋ついているが、それ以前に両手は泥だらけだ。
菊は、そんな姿を笑ったりしなかった。
傍から見たら、彼女は変人に見えるかもしれない。
あのおばさんでさえ、景子の奇行を遠巻きに見ている。
けれども、本人は真剣なのだ。
真剣に、その連作障害とやらを乗り越えようと思っている。
ここに長居することで、目的地に到着する日が遅れることさえ──いまの景子は、おそらく気づいていないだろう。
まあ、いいか。
急ぐ旅ではないのだ。
どっしり構えるつもりになった菊の元に、景子が戻ってくる。
汚れた手も、そのままに。
「どう?」
一言だけ、聞いてみた。
汗を浮かべた彼女は、菊の方に顔を向けて──それから、空に目を移す。
「そうね……夕方に一回、明日の朝に一回見たら……分かるかなあ」
植物を扱う人は、気長な性格なのだろう。
「そう……分かった」
菊は、ゆっくりと立ち上がり、自分の尻をはたいた。
遠巻きに見ているあのおばさんに、今夜の宿を頼もうと思ったのだ。
※
翌朝。
景子は、答えを出したようだった。
そして──畑は一日だけ、川の水が流し込まれ、水田に変わったのだ。
一つの畑のみ、だったが。
村人たちが何事かと、畑を取り囲む。
そんな畑もかえりみず、景子は髭の男に豆の枯れ草を持って、一生懸命アピールしている。
男は、静かに静かに景子の言うことを聞いていた。
彼女が、小さな台風のように、この村で奔走している時。
「へぇ……」
頭に長い布をしばりつけた男が、その水田を見て小さな驚きの声をあげた。
菊は、視線を彼に向ける。
見なれない男だったからだ。
いや、菊だってこの村にいる人間を、全部知っているわけではない。
しかし、農民には見えなかった。
脇に置かれたしょいこには、大きな箱が二つ積んである。
旅の行商人だろうか。
重い荷物を背負って、長い距離を歩く商売らしく、体つきも、特に腰から足回りがしっかりしている。
中途半端な長さのズボンから、むき出しになっている日に焼けたふくらはぎは、菊の目を奪った。
「面白いな……珍しい」
そしてこの男もまた、水を張った畑に這いつくばるのである。
景子と同類が、ここにもいたようだ。
そんな男が、髭に説明している景子を確認するや歩みよる。
水を入れた畑について、質問を投げかけているようだ。
彼女は、それにしどろもどろになりながら、一生懸命答えていた。
髭の男に負けないくらい、熱心に話を引き出している。
更に、彼は景子のメガネに手を伸ばし、覗き込むように引っ張ろうとした。
慌てた彼女に、引っ張り戻される。
根掘り葉掘り、聞かれまくっているようだ。
さんざん問い倒され、ついに景子はへたり込む。
なかなかにしぶとい。
その男が、ようやく満足したように戻ってきたが──今度は、菊に視線を向けるではないか。
「面白い剣……──見せ──?」
腰の定兼に、視線がロックオンしている。
しっかりした眼差しで、彼女を口説こうとするが、残念ながらそれだけは承知出来なかった。
さっきの景子の様子を見ると、わずかでも隙があれば入ってきそうな気がする。
そんな彼の好奇心を、態度で完全にシャットアウトした。
悪い人間でないのは、よく分かる。
だが。
定兼は、別格なのだ。
手入れと戦い以外で、抜く気は一切なかった。




