違和感
☆
「ひゃっ……はぁ……!」
こけつまろびつ。
景子は、坂道を転がるように駆け下りていた。
足はいまにももつれそうだし、喉もちぎれそうだ。
な、なんで!?
後ろから迫る、大きな四肢の生き物。
「グワオオオオ!」
とか、巨体を震わす咆哮を上げながら、景子を追うのだ。
なんで、こんなことになっちゃったのよぉーー!
遡るのは、ほんの10分ほど前でいい。
山越えの途中、アディマ一行は、食事を兼ねた休憩に入ったのだ。
これ幸いと、景子は少し離れた茂みに向かった。
生理現象である。
休憩中、女性が一人で短い間集団を離れるのは、暗黙の了解的なものがあった。
菊にちらとアイコンタクトだけを残し、彼女は『花を摘みに』行ったワケだ。
さあ、元の場所に戻ろうと思った時。
パキっと、枝の折れる音がした。
その折れた枝が、上からぱらりと降ってきたのだ。
えっと顔を上げると。
そいつが、ズシィィィンっと飛び降りたのである。
運の悪いことに、景子とアディマ一行の間に。
ク、クマ?
正確には違うが、要するに見るからに獰猛な獣が、景子の目の前にいたのだ。
食べられる!?
そう本能で察知した次の瞬間。
景子は、走り出していた。
獣の方に走るなんて、出来るはずがない。
「きゃあああああああ!」
反対に向かって、命の限り駆け出したのだ。
頭によぎるのは、菊とダイ。
こんな時、一番頼りになるはずの二人である。
しかし、二人とも近接武器だ。
逆方向に逃げる景子や獣に追いつくには、時間がかかるだろう。
いやー! 死にたくないー! たすけてーー!
彼女は、人生の中で一番速く走るしかなかったのだった。
※
ドォンッ!
大砲が炸裂したような大きな音が、後方であがった。
「グギャインッ!」
そして、猛った生き物の叫ぶ悲鳴。
ドスン、バタン、ゴロゴロゴロ。
その生き物は、大きな身体をもんどり打たせるように、斜面を転がり落ちていった。
景子は、側の木の幹にしがみつくようにして身体を止めながら、その光景を信じられないまま見ていた。
「な……なに……?」
ひゅーひゅーぜーぜー。
全然足りていない酸素の中、興奮したままの彼女は、それを何とか音にした。
斜面の上を見上げると、菊が滑るように駆け下りてくるところで。
「大丈夫? 景子さん? 怪我は!?」
手には、鞘ごとの刀を握ってはいるが、抜いてはいない。
コクコクと頷いて、無事を伝える。
菊が、ほぉっと脱力したようにため息をついた。
ダイは、アディマを支えるようにゆっくりと降りてくる。
その後から、残りの二人。
「───!」
怒っているのは、リサーだった。
ダイが顔を顰めるくらい、大きな声で怒りの声をあげている。
早口で、さっぱり聞き取れないが、ダイが怒られるようなことをしたのだろうか。
自分に向いている怒りではないことに、景子が驚くほどだ。
リサーが一行の主なら、彼女などとっくに放り出されているだろうから。
「───」
アディマが、景子の安全を目にしながら、ほっとしたように何かを言う。
そこで、リサーはぐぅと言葉を飲み込まされた。
「ご、ごめんなさい……」
皆が、予定外の道を下ってきたことに、景子は青ざめながら謝りを入れる。
悪いのは獣なのだが、冷静に対応できなかったせいで、余計な手間をかけたことは間違いないのだから。
リサーは、忌々しそうに顔を横に向けた。
「ケーコ……大丈夫?」
まだへたりこんだままの彼女に、アディマが心配そうな声をかける。
あれ?
何だろう。
景子にもうまく説明出来ない違和感が、そこにはあった。




