スッパリ
○
晩餐時。
梅は、夫人と晩餐室へと向かった。
テイタッドレック卿、その奥方──そしてボンボン。
奥方の着物への好奇のまなざしに、愛想よく微笑みながら、梅はもうひとつの視線を軽やかにスルーした。
ボンボンだ。
名前は、さっき聞かされた。
アルテンリュミッテリオ。
確かにウメと比べたら、お長いお名前ですこと。
どうにも、さっき彼女に袖にされたことを根に持っているようだ。
エンチェルクにも、気をつけるように言われている。
使用人を、よく泣かす男らしい。
意地もよろしくないし、女癖もよろしくないという素晴らしい風評だ。
そんな晩餐が終わった後。
応接室に場所を移して、演奏会となる。
梅は、竪琴を持ってきたエンチェルクから受け取った。
「ウメは、不思議な音楽を弾けるのよ」
イエンタラスー夫人の大げさな表現に苦笑しつつ、椅子に座り、そして膝の上に小さな竪琴を乗せる。
ゆるやかに、ゆるやかに。
『さくらさくら』、『荒城の月』、『ふるさと』、『花』。
目を閉じて奏でると、自分の知る限り美しい日本が瞼の裏によみがえる。
近代化してしまってはいるが、東京の下町に、京都や奈良に、そして数多くの田舎に、その景色は存在するのだ。
愛すべき自分の祖国を思いながら、梅は竪琴をつま弾いた。
最後の一音を奏で、音が完全に空間から消えうせると、ゆっくりと梅は目を開く。
「ああ……なんて切ない音なのかしら」
奥方は、目頭をハンカチで押さえていた。
夫人の目も、うっすらと潤んでいる。
テイタッドレック卿は、なにか思い返すようにうむと頷き。
アルテン坊ちゃんは──ほけーっと魂が抜けたように、梅を見ていた。
「お粗末様でございました」
卿と奥方を見て、謝意を表す。
そして、もう一人。
扉の側に控えていたエンチェルクも、魂が抜けかかっているようだった。
※
素晴らしい演奏に、テイタッドレック卿は褒美を取らせてくれるという。
梅は、にっこりと微笑んだ。
「卿は、素晴らしい図書室をお持ちとか」
そして、彼女は閲覧の権利を得たのである。
更に。
梅のお気に入りとなったエンチェルクを、ここに滞在している間、お側つきにしてもらえた。
翌朝から。
梅の、図書室通いが始まる。
エンチェルクが入る許可も取っていたので、彼女と連れ立ってゆく。
高いところの本などを、取ってもらうのだ。
最初、エンチェルクは本に興味を示さなかった。
しかし、余りに梅が熱心に本を読みふけっていたので、退屈だったのだろう。
暇つぶしのように、彼女もまた本をめくり始めたのだ。
奥方や夫人が、梅に何か用事がある時は、図書室に呼びにやらせなければならないほど、一日中こもっていた。
そんな日が二日続いた。
だが、明日は夫人と共に、帰らねばならない。
一冊でも多く、梅は読みたかった。
そんな彼女を。
「またここか……」
アルテン坊ちゃんが、ちょいちょいお邪魔をしに来てくださる。
図書室に、鍵をかけてしまいたいほどだった。
エンチェルクは、読んでいた本をぱっと閉じるや、梅の後方へささっと立つ。
調べ物の手伝いをしてもらっていると言っているので、そこまで過敏に逃げなくてもよいのに。
「何か御用ですか?」
本から顔を上げるのが、とても惜しい。
しかし、梅を招待した主の息子である。
あまり邪険にも、出来なかった。
「本ばかりでは、つまらないだろう……遠乗りに誘いに来てやったぞ」
ツラの皮の厚さは、一級品のようだ。
またもボンボンは、大上段から斬りかかってくる。
「申し訳ありません……身体が弱いものですから、外へは余り出られないんです」
スッパリ。
そんなのっぽの身体を、梅は軽やかにかわしつつ、袈裟懸けに斬り捨てたのだった。




