訪問
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「櫛を捧げる旅路なので、あんなに髪を伸ばしてらっしゃったのですね」
ぱけらんぽこらん。
まったりした、荷馬車の旅が始まった。
梅は便宜上、馬と訳したが、毛足の長い洋犬が大きくなったような生き物だった。
この速度で、二日もゆけば隣領だそうだ。
「そうよ、あのお方たちは、みな髪を伸ばして神殿に向かう旅に出られるの」
贈り物や、梅を自慢するための荷物を背に並べた夫人は、自分の美しく結わえた髪に手をあてる。
「ウメも、髪がとても美しいわ……どうして他の二人は、髪を整えなかったの?」
言葉を覚えてゆく過程で、梅は菊と姉妹であると話していた。
景子の説明には、少し困ったが。
「私たちの国では、髪は自由なんです。清潔でありさえすれば、誰からも咎められません」
説明に、夫人は納得しかねるように、表情を曇らせる。
「この国の領主たちにとって、髪はとても大切なものなの」
イエンタラスー夫人は、領主という立場であることを聞かされていた。
領地と、その領民をたばねる長である。
「女領主たちは、髪を長く美しく整えておかねばならないし、男領主たちも肩より短くすることは出来ないわ」
夫人の言葉に、梅は長髪だらけの男を想像して、少し苦手な気分になった。
父親も祖父も、非常に髪が短かったからだ。
これから連れて行かれるところにも、長髪の男領主が待っているのだろうか。
「わたくしたちは、髪に力が宿ると信じているの。だから、短くしないようにするのよ」
なるほど。
だから、『彼』はあんなにも髪が長かったのか。
編んだ髪を、首に幾重にも巻きつけているほど。
この世界では、『神』ではなく『髪』なのね。
日本語で、くだらないだじゃれが、頭をよぎってしまった。
「ウメ……気分でも悪いの? 少し、顔が赤いわよ」
自分で自分の考えに笑ってしまいそうになって、つい我慢しましたなんて。
「いいえ……大丈夫ですわ」
梅には、言えそうになかった。
※
梅は──すっかり疲れ果てていた。
いくら荷馬車の上とは言え、長時間ぐらぐら揺れ続ける移動に、慣れているわけではないのだ。
夫人が心配する中、二日目の彼女はずっと荷馬車に横たわっていた。
夕刻。
「ウメ、もうじきよ。じき、テイタッドレック卿のお屋敷よ」
町に入る門をくぐった時、イエンタラスー夫人は明るい声を出した。
重い頭を、彼女はようやく起こしたのだ。
荷馬車からは、通り過ぎた景色のみが見える。
後ろに広がってゆく町並みは、夫人の治める町と同じように穏やかだ。
日が沈む前に用事を済ませようと、男も女も足を急がせている。
その足が止まって、荷馬車の方を見送るのだ。
立派な荷馬車に、誰が乗っているのか、好奇心をおさえきれないのだろう。
子供が、親の制止を振り切って走ってくる。
「テイタッドレック様のところへ行くの? おいらが案内してあげるよ!」
無邪気な怖いもの知らずの子供は、そう叫んで近づこうとしたが、近くの大人に首ねっこを捕まえられて引き戻された。
ふふ、と。
梅は少し笑った。
笑う元気を、もらった気がしたのだ。
子供とは、本来ああいう無邪気なものを言うのである。
菊と景子を連れて行った子供に、邪気があるというわけではない。
ただ、比較対象があると、やはり『彼』は異質であった。
たとえ、領主の上の地位にいる者の子息であったとしても。
まだ、梅の知らないことがたくさんあるのだろう。
イエンタラスー夫人も、無事彼らの旅が終わったと報告がきたら、ゆっくり話をしてくれると言った。
もし、旅が失敗に終わったら、話すことが全て無駄になるのだと。
彼女は、そういう考えの持ち主のようだった。
荷馬車が、止まる。
御者兼警護の三人の男が、素早く降りてきて荷馬車に足場を作る。
「ウメ……立てるかしら? 抱いていってもらう?」
夫人は、彼女に問いかけた。
「立って参りましょう」
初めての訪問で、みっともないところを見せるわけにはいかない。
梅は、男に手を取ってもらいながら、ゆっくりと立ち上がったのだった。




