いたっけ?
☆
男は、上機嫌でリサーに代金を支払った。
彼の傷心には、まったく気づいていないようだ。
そのまま、彼らを先導するように歩き、酒場へと連れて行く。
目的が酒場ではなく、その二階にある宿屋なのだと分かった。
一部屋に、ベッドは二つずつ。
景子は、シャンデルと一緒にされた。
が。
菊が、ダイと同室に放り込まれたのを見て、景子は悲鳴をあげそうになる。
彼女の性別を、男は間違ったのだ。
「き、き、菊さん~」
おろおろする彼女を横に、菊はまったく気にしていない様子だ。
「ああ、大丈夫……どうせ、ダイは御曹司の部屋の前で番をするから」
冷静な言葉に、景子は心底ほっとしたのである。
男は、本当に上機嫌でリサーに話し続けていた。
金を稼げて嬉しいという表現以外のものを、そこに感じ取れる。
盛んに、太陽の果実の話をするのだ。
よほど縁起のよいものなのだろう。
一生に一度、扱えるかどうかの品物だったに違いない。
そのせいか。
これから大入りになるはずの酒場そのものが、シンとしているのだ。
酒場の主人の口からは既に、太陽の果実の甘い芳香を放たれていて、客の入りなどまったく気にしていない。
彼らの宿泊を、本当に喜んでくれるのだ。
0ダムという言葉の後に、リサーがようやく最悪の機嫌から戻ってきたように見えた。
もしかして、宿泊費はタダという話になったのだろうか。
よかったら、酒でもどうだと言う風に、酒場の主人が大瓶をかざす。
「酒──食事─」
リサーが、苦笑しながら言葉を発すると、主人は残念そうに酒瓶を下ろして厨房へと消えて行った。
酒より食事を出してくれ──そんなところだろうか。
今夜は保存食ではなく、普通の食事がいただけそうだ。
景子は、その事実に嬉しくなって、いそいそと席へと向かった。
その時。
ぼんやりとした光が、酒場の隅にあるのに気づく。
人だ。
あれ、さっきからいたっけ?
景子が首を傾げながら、じーっとその人を見ていると。
チャキッ。
菊が無言で──刀を鞘から浮かしていた。
※
菊の刀の音に、ダイも反応した。
とっさに背中にアディマをかばいながら、剣を豪快に引き抜くのだ。
ひぃぃっ。
景子は、飛びのいていた。
こういう修羅場に、慣れているはずがない。
彼女やシャンデルは、隅っこでガタガタ震えて事が終わるのを待たなければならないのだ。
果物屋の男は、随分と身軽で。
すぐさま、酒場のカウンターの向こうへと飛び込んでしまった。
一人だけ?
景子がガクブルしながら、そう思いかけた時。
二階に向かう階段にも、光がぽっと灯っているのが分かった。
菊が、彼女より遅く気づくということは、気配がまったくないのか。
階段は後方にある。
だから、ダイの後ろにいるアディマの位置が、非常に危険に思えたのだ。
「き……菊さん……階段」
階段という言葉が分からずに、景子は日本語でそれを発した。
だが。
日本語ということは、幸いにも気配のない連中にも分からないワケで。
菊が、ようやくもう一人を認識したのか、微かに肯いた。
「ダイ……前をよろしく」
そんな日本語で伝わるのか謎だが、言葉を投げるや菊は、テーブルを片手で飛び越えて反転した。
階段の人間が、それに大きな反応を見せる。
短い剣の二刀流の相手に、菊は容赦なく刀を抜いて踏み込んで行った。
前では、ダイが一歩も動かずに剣を構え続ける。
彼が豪快に剣を振るには、ここは狭すぎるのかもしれない。
しかし、ダイがそうすることで、相手もまた迂闊には動けないようだ。
「……!」
そんな中、声のない悲鳴があがった。
景子が振り向くと。
血しぶきが、壁に散るところだった。
光が激しく炸裂する。
強く目を閉じて、その呪いを見ないようにした。
しかし、遅かった。
あの夜とまったく同じ呪いを、彼女は見てしまったのである。
ズシィン。
重い剣の振るわれる音と、もうひとつの声なき悲鳴を、景子は強く目を閉じたまま聞いたのだった。




