違う匂い
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仰々しい式ではない。
立会人も、別にいらない。
場所なんて、キクの道場でもいい。
ただの男と、ただの女の結婚式なのだ。
素晴らしいものなど、何も必要ではなかった。
ダイは、本当は挙げなくてもいいと思っていたのだ。
だが、日本人でありたいという言葉を聞いた時、彼は決意してしまった。
ひとつだけ。
たったひとつだけ、二人が夫婦である証明を残したいと。
思いつくものが、式しかなかった。
それだけ。
「人前式でいいのね……では、私に取り仕切りを任せてもらえるかしら」
だが。
ウメは、そんなダイの目論見の隙間に、するりと入ってきた。
「少しだけ時間が欲しいわ。ひと月でもいいの……ひと月後の、20日の吉日でどうかしら」
ウメの目は、とても輝いていて、やる気に満ち溢れていた。
ダイに、それを止めることは出来ないと思えるほど。
「お手柔らかに」
キクは、軽く肩をそびやかす。
彼女もまた、自分の姉妹を止めるつもりはないようだ。
「エンチェルク……手伝ってもらえるかしら」
キクの承諾に、更にウメは目を輝かせる。
「ええ、喜んで」
女二人の間の温度が、妙に高くなり、話がどんどん進んでいく。
当事者であるダイとキクは、すっかりカヤの外になっていた。
「ちょっと出るよ」
盛り上がる二人に一声だけかけ、キクは彼に視線を向ける。
居心地の悪い状態から、ダイを助けてくれたようだ。
夕刻の内畑を横目に、どこへ行くともなしに二人で歩く。
「梅は、子を産むために、使えるものは何でも使ったからね」
苦笑混じりに、キクが語る。
「式を取り仕切るっていうのは……まあ……多分……その礼なんだろうな」
彼女の目が、自分を見る。
トーに、文を送ったことを──知っているように思えた。
※
しかし、文のことを彼女に問いかける気には、ならなかった。
キクは、言葉にするものはきちんと取捨選択する。
文のことをたとえ知っていたとしても、それは言うことではない。
そう彼女が思っているのならば、それでいいではないか。
代わりに。
自分の腕が、動きかける。
だが、止まる。
キクに触れようと思った時、どこに触れたらいいか分からない。
酔っている時は、腕を取ることなど簡単だったのだが。
こうして、まっすぐに立っている彼女には、あるべき隙がないのだ。
拒絶されているわけでもなく、殺気だっているわけでもないというのに。
出しかけた手のやり場を決められず、ダイがそれを戻そうとしたら、手首をキクに掴まれた。
「壊れものじゃないぞ、私は」
困った目。
ダイは、もっと困った目をしていたかもしれない。
とりあえず、引っ張られた手は、キクの肩に乗せられた。
布ごしにゆるやかに、彼女の体温が伝わってくる。
もう片方の手も、キクの肩に乗せてみる。
あたたかい。
「……」
「……」
そのまま。
奇妙な時間と、沈黙が流れた。
キクが、こらえきれないようにぷっと吹き出す。
「何、満足そうな顔してるんだ」
両肩の手も気にせず、彼女は二歩ほど踏み込んでくる。
元々、すぐそこにいたのに、二歩踏み込まれると。
彼女の身体が、本当にすぐそこにある。
肩に乗せていた手は、近くなりすぎて離さざるを得なくなり、彼女の頭の後ろで、ゆくあてもなく浮かせているしかない。
「その腕で……」
キクが、自分を見上げてくる。
「抱きしめてくれよ」
腕が。
鍬と剣しか握ったことのない腕が。
彼女を抱きしめる。
あたたかい。
そして──自分とは違う匂いがした。




