なかったわけではない
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アルテンの住む屋敷に通い始めて10日ばかり。
いつ、自分に子供が出来たと分かるだろうか。
それ以前に、出来るのだろうか。
病弱な身体の関係で、梅は元々ひどい生理不順だった。
自分の身体が、子供を産むには適さないと言っているように思えて、彼女は心配していたのだ。
そんな不安を。
景子が、崩してくれた。
「梅さんのおなかに……赤ちゃんがいます」
必死の、表情だった。
彼女の身体を心配してくれる、本当に一生懸命な顔。
景子の言葉の、裏の意味を考える前に。
「まあ……嬉しい」
梅は、幸福に包まれたのだ。
ああ、よかった、と。
これで、梅は自分の命を賭け金として、テーブルに載せたことになる。
勝つわよ。
菊が、自分自身や他人と戦い勝ち続けてきたように、梅も自身と戦って勝つのだ。
何故、景子がこんなにも早く、彼女の妊娠が分かったのか。
その疑問が、軽く首をもたげる。
しかし、疑うのも聞くのも野暮に思えた。
きっと、それが彼女の持つ魔法なのだ。
景子は、梅が子供を産もうなんて考えていることさえ、知りもしなかったのだから。
梅を見た時に驚いたのは、その瞬間に妊娠に気付いたからだろう。
何で?、と。
合点がいくと、景子の心が手に取るように分かってくる。
最初から、不思議な人だった。
双子であることも、菊の性別も正確に見抜いていたのだ。
景子には、何かが見える。
普通の人には、見えない何かが。
それを、彼女は悪用したりはしない。
そんなことは、これまでの関係で、嫌というほど分かっていた。
ならば。
それでいいではないか。
おかげで、梅は──自分の中の命を知ることが出来たのだから。
※
夕方。
アルテンの荷馬車が、宮殿に迎えに来る。
梅が、今日をもって宮殿から下がるように、この荷馬車の迎えも、これで終わりだ。
彼女を荷馬車に乗せるために、アルテンが下りてくる。
いつも通り、彼は手を差し出しかけて、ふと動きを止めた。
おそらく、梅の雰囲気の違いに気づいたのだろう。
「アルテンリュミッテリオ……ありがとう。良い子が産めそうです」
動かない彼に、梅は感謝の言葉を、心をこめて語った。
アルテンは、少し驚いた顔をした後。
改めて、もう一度手を差し伸べた。
梅は、首をかしげた。
いまの言葉では、通じなかったのだろうかと。
「今夜は……私のために来て欲しい」
言われて、梅は恥ずかしくなった。
そうだ、と。
子供が出来たので、もう用は済みましたなんて──彼を馬鹿にしているにも程がある。
梅にも鈍い心があるように、アルテンにも心はあるのだ。
彼の方が、遥かに自分よりも繊細だと思った。
それは、この10日ほどの逢瀬でも、知ったではないか。
「喜んで……」
梅は、その大きな手を取った。
その手は、とても優しかった。
昔の彼など、微塵も残していないほど、本当に梅に優しかった。
彼女の身体に、負担をかけないように、ずっと気遣ってくれた。
この逢瀬は。
欲を楽しむためのものではなく。
愛を確かめるものではなく。
幸福を噛みしめるものではなく。
ただ、梅の望むことを叶えるためだけの、彼女のエゴで出来たいびつなもの。
彼女は、アルテンの好意を利用したのだ。
だが。
なかったわけではない。
お互い、確かめることなど決してないが。
そこに愛が──なかったわけではないのだ。




