想像
☆
梅に害を加えた人間の話を、景子は聞かされた。
目の前にいるのは、ダイ。
そして景子の隣にいるのは、アディマ。
近衛隊長の報告を、受けている状態だった。
梅は、自分を突き落とした人間のことを覚えていて、彼女の言う特徴に合致する人間を、ダイは探していたのだ。
齢70過ぎの老女と聞いて、心底驚いた。
しかも、彼女は賢者の母であり、アディマの父の乳母だというのだ。
だからこそ、70過ぎてなお、彼女は宮殿への出入りの自由を許されていた。
一体、何故。
何故、それほどの人間が、梅を亡き者にしようとしたのか。
「実は……」
ダイが、非常に言いにくそうに言葉をひそめる。
「実は、彼女の孫娘は……現在、兄若宮の乳母をしております」
瞬間。
景子の頭の中に、ある女性の顔がよぎった。
ハレの乳母で、上流の貴族の妻でもある。
余りに上品すぎて、景子でもうまく話が出来ないほどだ。
そんな人の祖母が、梅を殺そうとしたなんて。
「そうか……父の乳母か……ああ、息子の心配はしなくていい」
茫然としている景子の横で、アディマは一つの不安の蔦を、事もなげに切った。
「あの一族ならば、イデアメリトスを害する気持ちだけは、爪の先ほどにもない」
一度、視線が彼女を見る。
心配はいらないと、伝えてくれるのだ。
しかし。
事実、梅は傷つけられてしまったではないか。
「おそらく……」
悩ましげに、アディマはため息をつく。
「栄華の中にある一族だ。更なる欲が働いたとは思いがたい。行き過ぎた忠義心だろう」
行き過ぎた忠義心。
老女は、イデアメリトスを守ろうとしたというのか。
日本人の女性から。
しょんぼり。
景子は──へこんでしまった。
※
テルの乳母は、しっかりした女性だった。
というか、がっちりしているというか。
「私の息子を、是非に若宮のお側へ」
と、景子がくる度に、息子の宣伝をしてゆくのだ。
ああ、これかぁ。
アディマに聞いたことのある、側仕え志願だ。
イデアメリトスの嫁は、貴族から娶れない分、みな自分の息子や孫を、子供の側仕えにしたがる。
それが、将来賢者の地位につける近道だからだ。
最近、リサーも結婚したという。
彼もまた、近い未来に生まれる我が子を、どちらかの側仕えに上げようと考えているのだろうか。
ありえそうで、景子は笑ってしまった。
忠義と、そして栄華への思いが渦巻く中心なのだ。
景子は、テルを抱きながら、ゆっくりとわき上がる不安感にさいなまれていた。
「やぁ……景子さん」
ノッカーを鳴らして入ってきたのは、菊だった。
テルに祝福をくれた、第二の母だ。
「おっと……妃殿下、失礼いたしました」
菊は、乳母の強い視線に気づいたのか、臣下の礼を取る。
景子は、泣きそうだった。
形式とは言え、彼女にそんな態度を取らせてしまうなんて。
だが、乳母の視線は、本当に痛い。
さっきまでの景子に対する視線と、菊への視線は余りに違っていた。
出入り自由にしているはずが、これでは菊も来づらいだろう。
テルの部屋で顔を合わせたのは、最初の頃以来だったので、菊がこんな扱いをされているとは思ってもみなかった。
いや。
想像すべきだった。
景子は、ちゃんと想像すべきだったのだ。
この階級社会の中で、梅や菊がどんな立場にあるのか。
自分だけが、アディマの作った皮膜に守られ、のうのうとしている事実を知らなければならなかったのに。
「そんな顔を、若宮に見せずに……ほら、笑ってあげて」
乳母の視線など、もはや物ともせず、菊はテルを抱き上げる。
凛とした彼女の腕の中の息子は、今にも泣きそうに顔を顰めていたのだった。




