祝福の歌
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菊は、その部屋の扉も窓も開け放った。
風が、生き物のように部屋を通りぬけてゆく。
「梅……おなかがすいているだろうけど、その前にいいものを聞こう」
寝台に近づき、その端に腰かける。
エンチェルクの、疑惑の視線を感じた。
ああ、そうだったな。
梅や彼女と、トーを会わせたことはなかったのだ。
都に入ってから、いろいろなことが起きていた。
その雑踏にまぎれるように、トーはいつの間にかいなくなっていたのである。
そして、結婚式に合わせるかのように、舞い戻ってきていた。
いや、合わせたのだ。
トーの意思で。
彼にとって、今日は特別な日なのだ。
トーは、イデアメリトスに殉じているわけではない。
夜の不遇を案じている側だ。
その不遇が取り払われる二歩目が、きっと今日なのだ。
一歩目は──景子の息子たちが生まれた日。
二歩目は、イデアメリトスが景子を娶る日。
次の太陽と、日の出の国からきた者の婚姻。
太陽しか愛さないはずの者が、夜を知る女性を愛した。
夜を厭わぬ子を、二人も産んだ。
その祝福を。
夜の者が。
歌うのだ。
ああ。
声が届くより先に、震える風が室内を駆け抜けた。
誰もが、風の方角を見ずにいられない一瞬。
その顔めがけて、声の波が吹き上げてくる。
喜びの歌だ。
赤ん坊が生まれ、それを皆が祝福する歌。
あのトーが、全身を震わせて喜んでいる。
彼は、愛想はないが、歌を聞けば心は伝わる。
心ない歌は歌わない。
至上の幸福がいま──トーの歌の中にあった。




