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さようなら

 翌日が、旅立つ日だった。


 前夜に梅が、「明日じゃないかしら」と言ってくれていたので、驚いたり慌てたりすることはなかったが、それでも相当朝早く起こされた。


 ねぼけまなこをこすりながら、着替えを始める。


 めがねめがね。


 毎朝の、お約束も忘れていない。


 この世界でメガネをなくしてしまったら、同じものは二度と手に入らない。


 大事にしなければ。


 そんな彼女の気持ちを、どうして気づけるのだろう。


 昨夜、梅が端布を編み合わせて作った、メガネのストラップをくれたのだ。


 器用な細い指を、感心してしげしげと眺めてしまった。


 これでメガネが外れても、地面まで落下することはない。


 景子は感激してしまって、思わず梅をぎゅうっと抱きしめた。


 ああ、お天道様ありがとう。


 こんなによい人たちと、一緒にいさせてくれて本当にありがとう。


 代わりに景子は、エプロンのポケットから出てきた種を、梅に預けた。


 花の種の小袋だ。


 こっちで同じ品種がなければ、きっとあの女主人が喜ぶだろう。


 女主人が喜べば、梅を置いておいてよかったと、もっと思ってくれるだろう。


『大事に育てます』


 そう、梅は微笑んでくれた。


 そして。


 菊は腰に刀を差す。


 これまで着てきた袴などは、布に包んで背中にたすきがけに背負っている。


 景子も真似をしようとしたが、なかなかうまく回せない。


 梅に手伝ってもらって、何とか背負う。


 その上から。


 あー。


 最後まで馴染めなかったマント。


 しかし、これからいつまでか分からないが、仲良くしなければならないものでもあった。


 よっ、はっ、とっ。


 悪戦苦闘しながら巻きつけていると。


 ノッカーの音がした。


 時間のようだった。



 ※



 見送りに、女主人と梅が出てくる。


 ひんやりとした早朝の空気が、景子の顔に触れた。


 女主人は深々と腰をかがめ、梅も美しく頭を下げる。


「───」


 アディマが、女主人をねぎらうような言葉をかけていた。


 景子はただ、梅を見ていた。


 頭を上げた彼女と、目が合う。


 にこりと微笑む梅に、迷いなんかない。


 そんなのは、最初から分かっている。


 彼女は、しっかりした女性だ。


 景子よりはるかに年下ではあるが、自分のことも、そして自分がすべきこともちゃんと知っている。


 その上で。


 別れなければならないのだ。


 覚悟が決まっていないのは、景子の方だった。


 微笑んだ梅が、唇を開く。


「さようなら」


 美しい、とても美しい言葉。


 同じ言葉が、日本にずっとあることは知っていたけれども、これほど美しい言葉として聞いたのは、これが初めてだった。


 短大で習った。


 さようなら──左様ならば、という言葉がちぢまったもの。


 別れには、ちゃんと理由がある。


 左様であるというのならば、お別れいたしましょう。


 そしてまた、ご縁がありましたら、お会いいたしましょう。


 決して、永遠の離別の言葉ではない。


「さようなら……またきっと……」


 歩き出すアディマたちに遅れながらも、景子は振り返ってそう応えた。


 菊に至っては、片手をひょいと上げるだけ。


 また来るよ。


 そんな簡単な離別だ。


 そして、小走りでアディマたちに近づく。


 泣きそうな自分を、ぐっと我慢していたら。


「サヨウナラ……」


 アディマが、小さくその言葉を呟いた。


 彼の心にも、残ってしまう音だったのだろうか。

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