トーとダイ
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相手の目的は、その場で危害を加えることではなく、連れ去ること。
シェローの事件で、それは明らかだった。
そのおかげか、相手が出したのは短剣のみ。
しかも、その短剣をいきなり突き出してくるのではなく、まずは羽交い絞めようとぶっとい腕を伸ばしてくる。
その腕を逃れるために、一度すっと身をかがめた後、肘で胸を打ち据える。
息が出来なくなったところへ、掌底で下から顎を突き上げた。
脳をぐらぐらに揺らされては、たまらないだろう。
身体の均衡を保つことも出来ずに、どさっと男の身体が倒れ伏す。
ひとーつ。
ふぅっと息を整えた次の瞬間。
短剣が付き出されてくる。
その手首を捕え、一気にひねった。
鈍い音と共に、絶叫が暗闇に響き渡る。
手首が、ちょっと変な方向に曲がったが、命に別条はないだろう。
ふたーつ。
菊が振り返った時にはもう、その身は闇にまぎれて逃げようとしていた。
逃げ足の速い。
あっさりと、彼女が諦めかけた時。
「───!」
声なき悲鳴が、向こう側から上がった。
どさっと崩れる身体。
ずるずると何かを引きずる音が、菊の方へと近づいてくる。
ああ。
何だ。
菊は、遠目ですぐ分かった。
「久しぶり……トー。戻って来たんだな」
白い髪は、闇の中でもすぐに浮かび上がるからだ。
だが、トーは。
しばらく、まじまじと菊を眺め続けた。
気絶した男を、引きずって近づきながら。
その大きな手が、菊に伸びる。
ぐいっ。
長い髪を引っ張られたら、カツラが思い切りずれた。
「ああ……なるほど」
トーは、納得したように、自分が掴んだものを見つめるのだ。
菊の姿が、不思議だったのだろう。
その様が、余りにとぼけていたので。
「相変わらずだな……あはははは」
菊は、カツラをずらしたマヌケな頭のまま、大笑いしたのだった。
※
「あれ? 何でダイが来たんだ?」
町の兵士の詰所に現れた彼に、菊は驚いた。
ダイの肩書は、近衛隊長。
いわゆる、イデアメリトスと宮殿の警護が仕事ではないのか。
ここは、町の詰め所だ。
いわゆる、警察署のようなもの。
市井の治安に関することは、ダイの管轄外のはず。
とっ捕まえた悪漢を、とりあえず菊は詰所に連れて行ったのだ。
黒幕について口を割らせたいと思ったのだが、三人も引きずっていくのは骨が折れる。
とりあえず、詰所で拘束してもらい、梅を経由してダイにでも頼もうと思っていたのだが。
「ああ……そうか、梅か」
そこまで考えて、理解した。
既に、彼女の相棒は、手を打っていたのか、と。
「昼間、要請があった」
頷きながら、ダイは答える。
菊のカツラを用意しながら、梅はもっとすごい用意もしていたのだ。
「身柄は、近衛隊が正式に預かる……」
答えながら、彼はしげしげと菊を見た。
すっかり取り払ったカツラを、手の中で回していた彼女は、その視線に顔を上げる。
「ああ、ちょっと頑張ってみた」
視線の意図に気づいて、ニヤニヤしながら菊はカツラをがばっとかぶる。
長髪、化粧、スカートに無帯刀。
シェローおすみつきの、可愛い子ちゃんの出来上がり、だ。
「おかげで、すぐに食いついてくれたよ」
再び、がばっとカツラを取り払う。
ダイは、そんな彼女に苦笑で答える。
「ついでに……黒幕も吐かせてくれないか? お妃さまの周辺の掃除だと思って」
近衛隊が、正式に噛むための口実を、菊は手のひらに乗せた。
「ああ……分かった」
ぼりぼりと、ダイは首をかいた。
どうやら彼は──この小綺麗な格好の菊は、苦手のようだ。




