表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
222/279

ちいさな貴族

 ふわあ。


 エンチェルクが、大きなあくびをしかけて、慌てて止めた。


 宮殿にある、梅用の執務室でのことだ。


 東翼の一室を、彼女は頂いていた。


 昨夜、随分遅くまで月見をしていたせいだろう。


 最初は、びくびくしていたエンチェルクだったが、星をつないで何に見えるか、などという星座ごっこなどをしている内に、月への抵抗も大分薄れたようだ。


 天文学もいるわね。


 この国では、おそらくほとんど発達していないだろう学問のことを、梅は考えていた。


 そんな時。


 ノッカーが鳴った。


 リサーだった。


 あら、珍しい。


「東翼長殿、いかがされました?」


 梅は、もったいぶった役職名で、彼を呼んだ。


 役職と言うのは、不思議なものだ。


 身分のことを考えると、名前を呼ぶのは憚られるが、役職であれば楽に口に出せる。


「一人、側仕えを連れてきた」


 そんな、未来の賢者様は、不思議なことを言い出した。


 側仕え?


 梅は、ちらりとエンチェルクをみやる。


 それなら既に、一人いるではないか、と。


「私の姉の子だ……ヤイクルーリルヒという」


 リサーの後ろから出てきたのは──プチリサーだった。


 これはまた、彼の一族の血がより強く遺伝したとしか思えない、立派な面構えの少年。


 ははーん。


 梅は、彼の意図が読めた。


 リサーは、これまでもことあるごとに、梅から知識を引っ張り出したがっていたのだ。


 のらりくらりと彼女がかわすので、甥を使って情報を手に入れようというのか。


 要するに──スパイ。


「私は、梅よ。ヤイクルーリルヒ……よろしくね」


 それが分かっていながら、梅は快く彼を受け入れた。


「……」


 しかし、プチリサーことヤイクは、恨みがましい目を自分の叔父に向けるだけで、梅には何も言葉を返さなかったのだった。



 ※



「おい、女」


 ヤイクは、やんちゃな子だった──貴族の子息的な意味で。


 側仕えとして連れてこられた自覚は、一切ない。


 この空間にいる女性たちを、完全に下に見ているのだ。


「私は梅、こちらはエンチェルク……あなたの先輩よ」


 梅は、穏やかにもう一度自己紹介をした。


「フン……庶民の女のくせに生意気だな」


 だが。


 ヤイクの耳には、うるさい蝿くらいにしか聞こえていないらしい。


 梅は、瞳を細めて小さい貴族様を見た。


「庶民の女に仕えるのが苦痛だと思うのなら、それを何故叔父様に言わないの?」


 スパーーン!


 その鼻先に、言葉のハリセンをぶちかます。


 うぐぅ。


 ヤイクは、息を飲んだ。


「そ、それは……叔父上様がどうしてもって言うから……仕方なくだ」


 語気を弱めながら、彼は目をそらす。


「仕方なくやっていただく仕事は、ここにはありません」


 スパパパパーン。


 言葉ハリセンに気おされたのか、ヤイクは二歩後ろに下がった。


「い、いいのか? そんなこと言って! 叔父上様に言いつけたら、お前なんかすぐここから追い出されるんだぞ!」


 虎の威を借る狐さんだこと。


 後ろ盾があるおかげか、大変威勢がよろしい。


「どうぞ、言いつけに行ってらっしゃいませ」


 梅は、にっこり微笑んだ。


 怒りにか、ヤイクの顔が赤く染まる。


 そのまま、部屋を飛び出してしまう。


「よ、よろしかったんですか?」


 エンチェルクが、心配そうに梅を覗き込む。


「困ることは、何もないわ。どうなっても大丈夫よ」


 言いながら、梅は二人の女性を思い浮かべた。


 菊と景子だ。


 身分の壁を破るのが──この世界で一番得意な二人だった。



 ※



 ヤイクが戻ってくるまで、軽く二時間が経過していた。


 自分の中のプライドや、これまでの貴族生活が、彼の心を落ち着かせるのに、それほどの時間が必要だったのだろう。


 目が真っ赤になっているのは、泣いたせいだろうか。


 結局。


 ヤイクは、ここから離れることを許されなかったのだ。


 リサーによって。


 まだ、たっぷり利用価値があると思われてるわね。


 実利主義のリサーが、甥のわがままを許さない程度には、彼女の脳みそは必要とされているらしい。


「ウメとエンチェルクって呼べばいいのか?」


 不承不承。


 こう呼べば、いてもいいんだろう。


 そう言わんばかりだ。


 さっき、捨て台詞を吐いて出て行ったことは、ヤイクとしては蒸し返されたくなかろう。


「改めて、ヤイクルーリルヒ……よろしくね」


 梅も、鬼ではない。


 そんな細かい部分を、つつき回していじめる気などなかった。


 だから、彼を笑顔で迎え入れる。


「で……いま、ウメは何をしてるんだ?」


 まだ、折れきれていない自尊心を振りかざす病気は、そのうち少しずつおさまってくるだろう。


「運輸組織を作ろうと思ってるの」


 広げた地図には、いくつも針をつきたてている。


 まずは、この都の位置。


 そして、都を取り囲むようにある、4つの中季地帯の神殿。


 北東の捧櫛、北西の捧剣、南東の捧舞、南西の捧帯。


 それから、東の果てと西の果てにある、いくつかの港町。


 この国の、大動脈の運輸網を築こうというのだ。


 しかも──国庫のお金を使わずに。


 商売人を使うのだ。


 稼ぐ手段として。


 要するに、飛脚システムである。


 梅の頭の中には、ある男が浮かんでいた。


 彼を、この件に一枚噛ませたいと思っている。


 リクパッシェルイル。


 いま、彼はどこを旅しているのだろうか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ