隣の椅子
☆
産毛のような黒髪を。
アディマは、一本ずつ赤ん坊の頭から抜いた。
テルが、それに過敏に反応して、泣き出しそうになる。
「こんなこと、何でもないよ」
菊が、静かに一言つぶやくと。
泣きかけたテルが、ぴたっと止まる。
景子は、それにちょっと感心してしまった。
彼女ならば、絶対にテルを大泣きさせてしまっていただろう。
アディマは。
右の掌と左の掌に、その短い髪を握りこんで──目を閉じた。
ないと、いいな。
景子は、そんなことを祈った。
力なんて、ないといいな。
もし、そうだったなら、自分とアディマの関係が、ここで終わるのだと、心のどこかで分かっていた。
魔法の力を受け継げないのならば、景子が子を産む意味などないと、彼の父親が考えるからだ。
別の親戚が、正式な妻に座る。
そんなこと、ちゃんと分かっている。
アディマのことは、変わらず愛している。
その気持ちに、これっぽっちの陰りも嘘もない。
でも。
この子たちと、離れたくなかった。
普通の子として、泥とたわむれて、世間の中で育って欲しい。
そう、願ってしまった。
女と母の板挟みの中。
アディマが、ゆっくりと目を開けた。
その目が、まっすぐに景子に向けられる。
唇が。
開く。
「うん……まさしく僕の子だ」
アディマは、嬉しそうだった。
「二人とも……立派なイデアメリトスだよ」
喜ぶ彼と正反対に、景子はゆっくりゆっくりと沈んでいったのだった。
※
ハレイルーシュリクス=イデアメリトス=ラットフル18。
テルタリウスミシータ=イデアメリトス=アウラピス18。
突然。
景子にとって、子供たちの名前が仰々しいものになった。
アディマが、イデアメリトスの名を、双子の子に与えたのだ。
たったそれだけで、景子の手から子供たちが離れた気がした。
ハレとテルに、変わりないはずなのに。
「イデアメリトスの君……」
梅が、うやうやしく頭を垂れる。
「今後、この御子たちは、どちらで育てられますか?」
景子が。
母親が聞けないでいることを、梅はすっぱりと問いかけた。
その問いに、アディマはすぐに答えなかった。
ゆっくりと、景子の方を見る。
その瞳は、優しかった。
不安で凝り固まっている彼女に、優しく微笑みかけるのだ。
「ケイコ……」
質問は梅からだったが、言葉は景子に向けられた。
「姑息な話に聞こえるかもしれないが……大義名分は、全部用意した」
そして、不思議な前置きの話を始める。
大義名分?
「リサーも納得させた」
ええと。
「だから……」
何を。
いや、何処へ。
アディマは、いま何処へ向かう道の話をしているのか。
「だから……正式に僕の妻として迎えたい」
ピシャーッドンガラガッシャンドドーン!
景子の頭の中に、特大の雷が落ちた。
もはや。
子供と暮らせることだけを、最後の望みとしていた景子の前に、とんでもない椅子が置かれたのだ。
これに、座れと。
アディマは、彼の隣にある椅子に座れと、言っているのだ。




