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集結

「梅さん!」


 部屋に入って来た景子が、おもむろに駆け寄ってくる。


 梅は、驚いた。


 子供が出来たとは聞いてはいたが、かなりおなかが大きくなっていたのだ。


 そんな身体で。


 走らないでー。


 思わず、梅は彼女の身体を気遣って、両手を伸ばしてしまった。


 それを、どう考えたのだろう。


 景子も両手を広げて、その手を取る形で止まったのだ。


「よく無事で!」


 手を握り、全身で嬉しさをはじけさせながら、彼女は本当に梅の到着を喜んでいた。


 よく無事でと、まさに今言いたいのは梅なのだが。


 宮殿の西翼というところに、梅は一時的に部屋をいただいた。


「おなかは……大丈夫ですか?」


 はしゃぐ景子を嬉しく思いながらも、心配は尽きない。


 頭の中では、妊娠がどういうものかは分かってはいるが、こうして目の前に大きなおなかがあると不思議でしょうがなかった。


「すごく良い子たちですよ。全然具合も悪くないですし、毎日元気に畑を走り回ってるくらい」


 さらりと、彼女は「子たち」と言う。


 子供が出来たとは、リクから聞いてはいたが、「たち」とは。


「双子、なんですか?」


 問いかけに、景子がにこにこと頷く。


 双子を連れてこの世界に来た景子が、双子を産む。


 因縁めいたものを、感じずにはいられなかった。


 そわそわと居心地が悪そうなエンチェルクが、景子と梅を見ている。


 席を外した方がいいか、考えているのだろうか。


「あ、景子さん。こちらエンチェルク。私を助けるために、一緒に来てくれたんです」


 側仕えという言葉では言いあわらせないほど、梅にとっては頼れる存在だ。


 だから、きちんと紹介した。


 景子は、ぱぁぁっと表情を明るくして、エンチェルクを見る。


「梅さんがお世話になってます!」


 梅のことなのに、彼女はとても嬉しそうだった。


 身内のお礼を言うように、エンチェルクに言葉をかけるのだ。


「あ、あの、いえ……」


 その勢いを、うまく受け止めきれなかったようで──エンチェルクは、目を白黒させたのだった。



 ※



「菊さんも、この西翼に仮住まいされてます」


 景子の言葉は、衝撃的だった。


 愛すべき片割れは、すぐ側に梅が来ていながら、顔さえも出さないのだ。


 だが、よく考えるまでもなく、おとなしく室内に閉じこもっている人間ではない。


 おそらく、ここには寝に帰って来ているようなものだろう。


「昼間は、詰所の方で剣を教えてるみたいですよ」


 景子の補足は、その予想を裏付けてくれた。


 剣を。


 血生臭くない剣術を、ようやく菊が人に教えられるようになったという事実は、梅にとっては嬉しいことで。


 こちらの世界に来てからというもの、菊はずっと命の取り合いのために刀を抜いてきたのだ。


 ようやく、落ち着いた平和的な居場所が、出来ようとしているのか。


 久しぶりに、そんな菊を見たいと思った。


「詰所……」


 どう行けばいいのだろう。


 梅は、唇の中で復唱しながら、そう考えかけた。


 その速度より。


「詰所なら、東翼の裏の方です……一緒に行きましょう」


 景子のテンションの方が、速かった。


 着物姿の梅の手を、彼女は引っ張って行こうとする。


「あ……でも、景子さん。そんなおなかで……」


 東翼と言えば、反対の建物だ。


 その裏にまで行くとなると、結構な距離ではないのだろうか。


「たまにしか来ないんですが、すっかり風物詩になってるみたいなんですよ。菊さん」


 言葉のキャッチボールは、成立していなかった。


 梅の投げた言葉を受け止めず、違うボールを違うところへと投げ返すのだ。


「風物詩?」


 奇妙な表現への好奇心と、元気な景子の様子に逆らえず、梅は部屋を出た。


 エンチェルクが、慌ててついてくる。


「そう……菊さんが出てくると、いつの間にか観客がいっぱい」


 彼女の言葉に、梅は遠い目をしてしまった。


 うちの相方は── 一体、何をしているのだろうか、と。



 ※



 ここは、本当に宮殿の敷地内だろうか。


 詰所の周囲は、近衛兵士だけとは思えない数多くの兵士が群れ、東翼のバルコニーには、貴族然とした者たちが広場を見下ろしている。


 遠巻きに、女官たちさえいる始末だ。


 息をつめたり、どっとどよめいたり。


 何かを、彼らは強い視線で追うのだ。


 ああ、なるほど、風物詩ね。


 本物ではない、木製の剣を打ち合う音。


 梅の耳にまで、確実に届く山本家の呼吸。


 あの人たちの中央に、菊がいるのだ。


「ああ、ウメ……終わったのか?」


 宮殿内にいる、親戚のところを訪ねると言って別れたアルテンが、群れの後ろの方に立っていた。


 彼は背が高く、そこからでも菊を見られるのだろう。


「何を……考えているのかしらね、私の姉妹は」


 小さく、梅はため息をついた。


 菊ほど我が道を行く者はいないというのに、菊ほど自分の居場所を作るのがうまい者もいない。


 呆れるを通り越して、感心するしかなかった。


「自分がヤマモト・キクであることを、考えているんだろう」


 アルテンが、薄く笑う。


 大きな歓声がわいた。


 どうやら、戦いに決着がついたようだ。


「次は……ああ、アルテン……久しぶりにやるか?」


 群れの向こう。


 よく通る声が、背の高い彼を見つけたようだ。


 聞きなれた菊の声。


 集団の視線が、一気にアルテンに向かう。


 領主の息子らしい、きちんとした身なりをした彼に向かって、菊はまったく臆せず呼びかけたのだ。


 兵士と訓練で戦うのとは、意味が違う。


 平民とは、明らかなる線引きがされている階級社会。


 その階級社会の、ド真ん中とも言える宮殿の敷地内で。


「お手柔らかにお願いします」


 アルテンは、表情を引き締めて、前へと進み出るのだ。


 そんな中。


「あ、あっちで見られるみたい」


 景子は、上を指差した。


 誰もいなかった一区画のバルコニーに、イデアメリトスの後継者が現れたのだ。


 彼は、こちらに向かって手招きをしている。


「行きましょうか」


 ここにもまた──笑顔で、階級社会にヒビを入れている女性がいた。

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