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○
都。
その門を、梅はようやくにして見上げることが出来た。
とうとう。
とうとう、ここまでたどりついたのだ。
「ありがとう、アルテンリュミッテリオ。エンチェルク」
この気持ちを、どう伝えればよいか。
これまで梅は、この身とうまく付き合ってきた。
逆に言えば、一定以上負担になることは、全て諦めてきたのだ。
だが、この都への上京だけは、あきらめきれなかった。
景子も戦い、菊も戦っている。
そんな中、自分にもきっと戦う場所があるのだと、そう信じてここまでやってきたのだ。
まだここは、ただの出発点にしか過ぎない。
けれども。
梅が、いままで越えられなかった線を、確実に踏み越えた瞬間でもあったのだ。
やっと。
やっと、戦えるのだ。
その事実が、どれほど嬉しいことか。
「さて、どこから行くかい?」
アルテンは、感動を噛みしめている彼女に、行き先を問う。
この荷馬車は、軍のもので。
彼女は、イデアメリトスの手紙で召集されたのだ。
ならば。
行くべきところは、ひとつではないか。
「勿論……宮殿へ」
絵でしか見たことのない、白石の宮殿。
鳥のような翼を持つそここそ、一番に自分が向かうべきところだった。
かくして。
梅は、その目で美しい宮殿を目にすることになったのだ。
ああ、ほら。
本は本。
絵は絵。
その壮大さは、本物には遠く及ばなかった。
※
中暑季地帯だ。
着物には、適さないことくらいは分かっている。
しかし、控えの間で、梅はそれに着替えた。
イエンタラスー夫人が返してくれた、それだ。
「暑くありませんか?」
久しぶりの都の熱気に、エンチェルクは少しつらそうだった。
元々、暑いところの出身だが、しばらく離れていたせいで、すっかり中季地帯慣れしてしまったのだろう。
「ええ、暑いわね」
きっちりと整え終わった後、梅は椅子へと浅く腰かけた。
そのまま、二時間は待たされた。
やむを得ないことだ。
これから彼女が、会おうとしているのは、イデアメリトスの君なのだから。
異国の娘ごときのために、簡単に時間を割けるはずなどない。
だが。
彼は、その異国の娘ごときを、召集したのだ。
イデアメリトスの君が望んでいるのは──良い変化。
しかも、どちらかというと大きめの変化だ。
だからこそ、三人の異国の娘が、こうして都に集まったのである。
ノッカーが鳴った。
「ご案内致します」
案内の女性は、声をかけた後に梅を見て、ぎょっとした顔を浮かべる。
着物のせいだろう。
「参ります」
すくっと、彼女は椅子から立ち上がった。
「いってらっしゃいませ」
エンチェルクが、少し心配そうに見送る声を聞きながら、彼女は中央の宮殿へと案内されるのだ。
鳥の心臓へ。
「お連れ致しました」
兵士が控える、重い重い扉がゆっくりと開かれる。
息を吐く。
二人の男が、その中には待っている。
深く深く腰を屈めた。
「山本梅でございます。ザルシェイダハクシス・イデアメリトス・カラナビル16陛下……そして、アディマバラディムルク・イデアメリトス・サハダビル17殿下」
息継ぎを忘れると、それだけで倒れてしまいたいほど長い名前の羅列だった。
※
「私を、知っているのか」
年の頃は、三十ほど。
しかし、どこからどうみてもイデアメリトスの男だった。
これが、いまのこの国のトップ。
「はい、肖像画で拝見致したことがございます」
まだ、梅はこの部屋に一歩も立ち入ってはいない。
顔を上げ、にっこりと微笑んだ。
イデアメリトス代々の肖像画は、神殿には必ず飾ってあるという。
彼らこそが、宗教のご神体のようなものなのだから。
旅の途中に、中規模の神殿があり、そこで梅は顔を知ったのだった。
「まったく、異国の女は揃いも揃って強いな……近こう」
どうやら、梅の存在を許容してくれたようだ。
彼女が部屋へと歩み入ると──後ろでゆっくりと扉が閉ざされる。
「彼女が、お前の三番目の刺客か」
そして、君主は息子を見やるのだ。
久しぶりの彼は、また大人びた気がする。
髪も大分伸び、年齢の加算はゆるやかになっているはずなのに。
「ええ、そうですよ」
父親の表現に、かの君は苦笑して答える。
「ふむ……一人目は農業の知識があり、二人目は剣の腕が素晴らしかったな……で、お前は何が出来るのだ?」
厳しい視線だった。
アラを探したいと願っている視線、と言った方がいいか。
たいしたことない女だと良いと、願われているのだ。
ああ、もう。
梅は、微笑みそうになる唇を止めた。
異国の娘たちの風変わりな才能に、食傷気味になってきたのだろう。
いや、異国と自国の間の差の大きさが、女性だからこそはっきりと分かると言うか。
「はい、私は『1』を持って参りました」
呼吸を整え、梅は指を一本立てる。
「1……だと?」
ますます、険しくなる目元。
「はい、0ではなく1です」
取り出せるのは、頭の中におさまっている知識のみ。
だが、0に何を掛けても0だが、1ならば無限に広がる可能性がある。
そう。
梅が抱えて来たのは──可能性というものだった。




