菊と梅
☆
「すみません、桜の苗はありますか?」
やっぱり二人をじっとみていた景子に、着物の和風美人が再度声をかける。
「あ、は、はいっ」
彼女は、もう一度我に返らなければならなかった。
そして、慌てて裏の苗置き場の方へと駈け出すのだ。
もう一つ、二人には気になることがあったのだが、仕事が優先だった。
桜の苗かぁ。
自宅に、桜の苗を植える人は、実は多くはない。
造園に関わるものに相談すれば、まず止めるからだ。
非常に大きくなりやすく、虫の被害も出る。
更に、縁起も悪いと言われるからだ。
だから、公共の場所に植える以外に売れることが少ないので、身近で扱っている店も少ないのである。
時折、私有地以外に植える理由で、買いに来るお客もいるということで、祖母の趣味の延長のような形で、この店では数は少ないが扱っていたのだ。
でもまあ。
一番、春を目指す力の強い光の、小さい苗を抱えながら、景子はあまり心配していなかった。
もし庭に植えるとするならば、きっと縁起のことも理解した上で植えるのだろうし、庭も大きいに違いない。
そう、空想したのである。
二人の姿が、それを象徴している気がした。
あんな風情のある、悪く言えば酔狂な格好を、高校生の双子にさせるような家なのだから。
何か、おめでたいことがあったのかな。
着物の方からは、そんな華やかな気配が漂っていた。
ただ、袴の方からは。
「お待たせし……」
抱えた苗を持って、表へと戻ってくる。
「桜のために、こんなところまで来る必要はないだろう?」
「いいのよ、私が祝いたいんだから」
二人は、割って入りづらい微妙な空気で会話を交わしていた。
袴の方が、着物を気遣っている様子だ。
確かに、着物の女性は若々しい気を持ってはいたが、その光にまた微かな陰りも帯びていた。
余り、身体が丈夫ではないのだろう。
二人の視線が、ゆっくりと戻ってきた景子へと飛ぶ。
着物は、微笑んで。
袴は、ふっと目をそむけた。
※
「この苗でよろしいでしょうか?」
両手で苗を抱えているので、少し下にずれたメガネを、景子は直せないでいた。
視界の一部が、猛烈にぼんやりとしてしまう。
「元気そうな苗ですね……それをお願いします」
着物の女性が、目を細めて微笑む。
「では梱包しますので、少々お待ち下さい」
根元を包もうと、景子はぱたぱたと紐やら新聞紙やらを準備を始める。
「何かよいことがあったんですか?」
袴の微妙な空気には気づいていたが、彼女はあえて聞いてみた。
お祝いの買い物を、花屋にしにくる人を好きだったのだ。
「はい……弟が生まれたんです」
本当に、着物は嬉しそうだ。
「そうですか、おめでとうございます。こんな綺麗なお姉さん二人に祝ってもらえるなんて、弟さんも幸せですねっ」
その嬉しさは、景子に簡単に感染する。
この目のせいなのかもしれない。
逆に言えば、悪いものも感染しやすいのだが。
そんな幸福感染モードで、彼女はぺらぺらと語ってしまった。
一瞬。
袴は驚いた顔をして。
着物は、ぷっと吹き出した。
「ご、ごめんなさい……菊を見て一目で女性だって分かる人も少ないんです。菊は袴ばかりですから」
驚いた顔をした袴──菊を見て、もう一度彼女はおかしそうに笑う。
ぷいと、また菊はあらぬ方を向いてしまった。
「へえ、綺麗な花の名前ですね……じゃあ、あなたも花の名前ですか?」
慌てて、景子は違う話題を振った。
その件は、深く突っ込んではいけないと思ったのだ。
すると。
今度は、袴の唇の端が、少しだけ上がった気がした。
「はあ……私の名前は……その……」
少し顔を赤らめて、着物の女性は口ごもる。
「その……梅と申します」
綺麗で丈夫な花なのに。
古風すぎて、周囲にからかわれたことがあるのだろうか。
「寒い中でも美しく咲く、素晴らしい花の名前ですね」
景子がにっこりと笑うと。
頬を赤らめたまま、彼女は「ありがとうございます……」と返してくれた。
「でもよく、私達が姉妹って分かりましたね」
似てないって言われるんですよ。
梅にそう言われ、景子はアハハとごまかし笑いを浮かべた。
「な、なんとなくです…雰囲気が似ていたので」
とぼけた顔してババンバン。
でもこう言っておけば、実はちょっと鋭い観察眼の人、くらいでおさまるのだ。
本当のことなど、伝える必要はなかった。
「そうですか…不思議な方ですね」
鋭い方、とは違う表現に、景子は苦笑した。
梅こそ、鋭い人ではないか、と。
そんなやりとりをしている内に、苗の梱包が終わる。
抱えても着物を汚さないように、きっちりと仕上げを終えた。
苗を渡そうとして、景子は一瞬動きを止める。
どちらに渡そうかと、悩んだのだ。
両手が開いているのは、梅の方。
逆に、菊は両手ともふさがっていた。
片方は、蛇の目傘。
もう片方は──美しい布でくるまれた長細いもの。
最初は、竹刀袋かと思った。
しかし、それにしては美しい金糸の入った袋なので、ただの竹刀を入れているとは思いがたかった。
そして、景子が気にしているもう一つのこと、というのがその袋だった。
ぽわっと、光を放っているのだ。
生きているものが光るのを、彼女は経験から知っている。
しかし、無機物で光るものは物凄く少ない。
よほどの職人が、魂を込めて作った作か、作られた後に人にとても愛されたものか。
どちらにせよ、何らかの魂が込められたものだろう。
とてもいまの状態の菊に、苗を渡すことはできそうになかった。
しかし、両手で抱えられはするものの、身体の弱そうな梅に渡していいものか。
「大丈夫です…私が持ちます」
彼女の悩みを汲んだのか、梅が両手を差し出す。
はあ、と。
支払いが終わった後、景子は悩みながらも苗を彼女に受け渡した。
刹那。
景子のメガネが──大きくずれた。




