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菊と梅

「すみません、桜の苗はありますか?」


 やっぱり二人をじっとみていた景子に、着物の和風美人が再度声をかける。


「あ、は、はいっ」


 彼女は、もう一度我に返らなければならなかった。


 そして、慌てて裏の苗置き場の方へと駈け出すのだ。


 もう一つ、二人には気になることがあったのだが、仕事が優先だった。


 桜の苗かぁ。


 自宅に、桜の苗を植える人は、実は多くはない。


 造園に関わるものに相談すれば、まず止めるからだ。


 非常に大きくなりやすく、虫の被害も出る。


 更に、縁起も悪いと言われるからだ。


 だから、公共の場所に植える以外に売れることが少ないので、身近で扱っている店も少ないのである。


 時折、私有地以外に植える理由で、買いに来るお客もいるということで、祖母の趣味の延長のような形で、この店では数は少ないが扱っていたのだ。


 でもまあ。


 一番、春を目指す力の強い光の、小さい苗を抱えながら、景子はあまり心配していなかった。


 もし庭に植えるとするならば、きっと縁起のことも理解した上で植えるのだろうし、庭も大きいに違いない。


 そう、空想したのである。


 二人の姿が、それを象徴している気がした。


 あんな風情のある、悪く言えば酔狂な格好を、高校生の双子にさせるような家なのだから。


 何か、おめでたいことがあったのかな。


 着物の方からは、そんな華やかな気配が漂っていた。


 ただ、袴の方からは。


「お待たせし……」


 抱えた苗を持って、表へと戻ってくる。


「桜のために、こんなところまで来る必要はないだろう?」


「いいのよ、私が祝いたいんだから」


 二人は、割って入りづらい微妙な空気で会話を交わしていた。


 袴の方が、着物を気遣っている様子だ。


 確かに、着物の女性は若々しい気を持ってはいたが、その光にまた微かな陰りも帯びていた。


 余り、身体が丈夫ではないのだろう。


 二人の視線が、ゆっくりと戻ってきた景子へと飛ぶ。


 着物は、微笑んで。


 袴は、ふっと目をそむけた。



 ※



「この苗でよろしいでしょうか?」


 両手で苗を抱えているので、少し下にずれたメガネを、景子は直せないでいた。


 視界の一部が、猛烈にぼんやりとしてしまう。


「元気そうな苗ですね……それをお願いします」


 着物の女性が、目を細めて微笑む。


「では梱包しますので、少々お待ち下さい」


 根元を包もうと、景子はぱたぱたと紐やら新聞紙やらを準備を始める。


「何かよいことがあったんですか?」


 袴の微妙な空気には気づいていたが、彼女はあえて聞いてみた。


 お祝いの買い物を、花屋にしにくる人を好きだったのだ。


「はい……弟が生まれたんです」


 本当に、着物は嬉しそうだ。


「そうですか、おめでとうございます。こんな綺麗なお姉さん二人に祝ってもらえるなんて、弟さんも幸せですねっ」


 その嬉しさは、景子に簡単に感染する。


 この目のせいなのかもしれない。


 逆に言えば、悪いものも感染しやすいのだが。


 そんな幸福感染モードで、彼女はぺらぺらと語ってしまった。


 一瞬。


 袴は驚いた顔をして。


 着物は、ぷっと吹き出した。


「ご、ごめんなさい……菊を見て一目で女性だって分かる人も少ないんです。菊は袴ばかりですから」


 驚いた顔をした袴──菊を見て、もう一度彼女はおかしそうに笑う。


 ぷいと、また菊はあらぬ方を向いてしまった。


「へえ、綺麗な花の名前ですね……じゃあ、あなたも花の名前ですか?」


 慌てて、景子は違う話題を振った。


 その件は、深く突っ込んではいけないと思ったのだ。


 すると。


 今度は、袴の唇の端が、少しだけ上がった気がした。


「はあ……私の名前は……その……」


 少し顔を赤らめて、着物の女性は口ごもる。


「その……梅と申します」


 綺麗で丈夫な花なのに。


 古風すぎて、周囲にからかわれたことがあるのだろうか。


「寒い中でも美しく咲く、素晴らしい花の名前ですね」


 景子がにっこりと笑うと。


 頬を赤らめたまま、彼女は「ありがとうございます……」と返してくれた。



「でもよく、私達が姉妹って分かりましたね」


 似てないって言われるんですよ。


 梅にそう言われ、景子はアハハとごまかし笑いを浮かべた。


「な、なんとなくです…雰囲気が似ていたので」


 とぼけた顔してババンバン。


 でもこう言っておけば、実はちょっと鋭い観察眼の人、くらいでおさまるのだ。


 本当のことなど、伝える必要はなかった。


「そうですか…不思議な方ですね」


 鋭い方、とは違う表現に、景子は苦笑した。


 梅こそ、鋭い人ではないか、と。


 そんなやりとりをしている内に、苗の梱包が終わる。


 抱えても着物を汚さないように、きっちりと仕上げを終えた。


 苗を渡そうとして、景子は一瞬動きを止める。


 どちらに渡そうかと、悩んだのだ。


 両手が開いているのは、梅の方。


 逆に、菊は両手ともふさがっていた。


 片方は、蛇の目傘。


 もう片方は──美しい布でくるまれた長細いもの。


 最初は、竹刀袋かと思った。


 しかし、それにしては美しい金糸の入った袋なので、ただの竹刀を入れているとは思いがたかった。


 そして、景子が気にしているもう一つのこと、というのがその袋だった。


 ぽわっと、光を放っているのだ。


 生きているものが光るのを、彼女は経験から知っている。


 しかし、無機物で光るものは物凄く少ない。


 よほどの職人が、魂を込めて作った作か、作られた後に人にとても愛されたものか。


 どちらにせよ、何らかの魂が込められたものだろう。


 とてもいまの状態の菊に、苗を渡すことはできそうになかった。


 しかし、両手で抱えられはするものの、身体の弱そうな梅に渡していいものか。


「大丈夫です…私が持ちます」


 彼女の悩みを汲んだのか、梅が両手を差し出す。


 はあ、と。


 支払いが終わった後、景子は悩みながらも苗を彼女に受け渡した。


 刹那。


 景子のメガネが──大きくずれた。


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