手合わせ
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「頼もうー!」
そんな言葉をひっさげて、宮殿にやってきたのは、おそらくキクが初めてだろう。
ダイは、門に呼び出されて驚いたのだ。
本来、門番は許可のない者は絶対に通さない。
今回も、勿論通しはしなかった。
しかし、異国の服を美しく着付け、ばさばさにほったらかしていた髪を整えたキクのたたずまいを、彼らは無下には出来なかったのだ。
結果。
近衛隊長を、堂々と呼び出したのである。
「手合わせ願いたい」
そして、彼女は朗らかに笑うのだ。
そのために、宮殿までわざわざ来たのだと。
ダイは、呆れた。
わざわざ祖国の服を着て、入りにくい宮殿までやってきて、彼と戦いたいと言うのだ。
だが。
同時に分かった。
キクの持つ、あるいはダイの持つ問題が、一応解決した今でなければ、確かに叶わないことだっただろう、と。
アディマの護衛をしている時のダイは、無駄な戦いなど出来なかった。
キク側としては、トーがイデアメリトスに認められ、表面上は一段落だ。
そして彼は。
キクを、自分の責任で宮殿敷地内に入れることにしたのである。
近衛の詰所に連れて行き、訓練用の木剣を二本抜いたところで、ふと思ったのだ。
キクとの戦いを、部下にも見せるのはどうかと。
ダイは、隊長だ。
部下を鍛えることも、彼の仕事だった。
身体を鍛える事、戦い方を覚えること、勇敢さを育てること――良い戦いを見ることもまた、大事なことだ。
だから、詰所の前で戦うことにした。
キクは、周囲に人がいようがいまいが気にしないだろう。
その通りで、木剣を渡された彼女は、部下が何事かと近づいてきたことに意識は向けなかった。
両手で、木剣の握りと重さを確認するだけ。
「よろしくお願いします」
凛と。
キクは、剣を構えた。
※
余裕はない。
キクの腕は、とにかく確かだ。
何気なく振り出された剣にも、きちんと意味がある。
一撃を決めるための、補助的な振りもあるのだ。
崩すための技、打ち据えるための技、惑わすための技。
剛の技のみに進み、それのみで生き残ってきたダイは、すばらしい剣技の持ち主に、多く出会って来なかったことを痛切に感じたのだ。
長い泰平の中、野党狩りか、護衛や警備ばかりで、兵士の腕が実戦で鍛えにくくなっているせいもある。
最初から、身体に恵まれた力の強い者を中心に集め、力のみで鍛えるに過ぎないのだから。
いつか。
いつか、この泰平が打ち崩される日が来るかもしれない。
その時、兵士はおまけ程度で、すべてイデアメリトスの君の魔法に頼るのか。
そんな、腑甲斐ない真似、出来るはずがなかった。
初めて。
ダイは、初めてその思いを言葉として理解した。
こいつが、欲しい。
剣というものを、彼女は理解している。
ダイが、力で薙ぎ倒している間に、キクは剣という言葉で語っているのだ。
剣の言葉を、彼女はきっと人に伝えられる。
その言葉は、力のないものにも等しく届くだろう。
ただ。
ただただ、美しい。
武骨で、ただイデアメリトスの君を守ることだけに懸命だったダイの目に、彼女はとても美しく映るのだ。
部下が、二人の戦いに目を奪われていることも気付かず――彼は、キクに目を奪われていた。
※
一体、どれほど打ち合ったか。
キクが、片手を突き出して来て、戦いを止めた。
「まい……った」
滝のような汗の中、彼女は笑いながら自分の負けを認めるのだ。
ああ。
ダイは、理解した。
キクの戦い方は、一撃必殺の積み重ねだ。
長く長く戦い続けることとは違う。
戦場の兵士とは、質が違うのだ。
それでも、これほど長くダイと打ち合える部下はいないだろう。
「まだまだだな、私も」
心の底から、屈託のない笑顔を浮かべながら、彼女は深々と頭を下げた。
「ありがとうございました!」
さあっと。
風が、吹き抜けた――気がした。
辛いことなど、本当は皆やりたくない。
苦しい思いなど、したくない。
兵士も、同じだ。
だから、人の見ていないところで、手を抜く者もいるし、厳しい上官を恨む者もいる。
だが、彼女はいま自分の抱えている疲労のすべてを、素晴らしいものだと思っている。
素晴らしい戦いが出来た相手に、心の底から感謝しているのだ。
その気持ちが伝わってきて、彼の胸を涼しげな風が打った。
「ありがとう……」
何かに触れた気がして、ダイもまたそれを口にしていた。
だが。
パンパンと、上から拍手が降ってきて、彼は慌てて顔を上げる。
「よい戦いだった」
そこにいたのは。
イデアメリトスの君と――太陽だった。
この国で、一番高貴な親子が、そこに揃っていたのだ。
イデアメリトスの君は、分かる。
近衛詰所は、東翼の裏手にあるのだ。
「騒ぎは執務室まで届いたぞ」
明るいが鋭い言葉に、ダイは膝をついた。
「お騒がせして、申し訳ございません」
気づけば、下の階には文官たちさえも集まって来ているではないか。
「よいものを見せてもらった。そちらの客人は、楽士殿と一緒にいた者だな」
太陽の視線が――キクに向いた。




